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描いていた。浅黄色の絵の具を手に取り。彼女の手は虹色では足りない程の絵の具で彩られていた。
あたしはそんな彼女を美術室の扉の隙間から眺めている。憎々し気に眺めている。
きっと私の視線に色をつけるとするのならば、毒毒しく、鬱々しげな消炭色だろう。
「雪、帰ろう」
「あ、真理」
絵を描いていた絵画咲雪(かいがさきゆき)は、あたしを振り返って黄色に微笑んだ。
今日はそんなに集中しすぎてない日のようだ。たまに集中しすぎる日は、あたしの声は雪に届かないから。
「うん、生徒会。終わったの」
「うん」
「じゃあ、手を洗ってくるからちょっと待ってて」
雪とあたしは幼馴染。家も近くて、小学校の頃から、中学以外、高校三年生になった今までずっと一緒にいる。
「真理!また明日ー!」
「うん!また明日~」
あたしがクラスメイトに笑顔で声をかけられ時、雪は決まって肩をすくめる。まるで私の影にとけこむように。
小学校の時から一緒にいる雪とは、帰るのが一緒なだけの幼馴染。授業の時一緒に移動したり、修学旅行で一緒にまわったりとかはしない。
雪はクラスで浮いている。だって休み時間中、ずうっと絵を描いているんだもん。ノートに漫画とかじゃない。本格的な絵を描いている。ずっと。シャーペンでがりがりがりがり……。普通休み時間は友達と喋ったりするじゃない?昨日見たテレビのことで盛り上がったり、好きなアイドルの話をしたりするじゃない?
でも、雪はテレビも見なければ、スマホを頻繁に構う方でもないし、そもそも、クラスであたし以外の人間と会話することもない。
絵が友達。そんな感じ。
友達作ったら?って、喧嘩覚悟でいってみた。でも雪はいつも困った時にする癖。頭の後ろをかきながら、曖昧に笑うだけ。
「人と関わるの、苦手だし……」
私にはどうせ無理だよといっているような自嘲気味の笑顔を見て、あたしの胸の中でふつふつと何かが湧き上がってくるのを必死に押さえつけた。
「雪ちゃんって何考えているのかわかんないよね」
そうだよ。
そう言われても仕方ないんだよ。雪。あんたが人と関わらないから。自分から関わんないから。
「そうだよねー家近いからって雪の親に行き帰り一緒にいくように頼まれて困ってるのよ」
あたしも笑った。いつもみんなに見せている笑顔で。
「かわいそー」
あはは。
いつものように雪と帰る帰り道。雪は、楽しそうになにかをあたしに話しかけている。
「今描いてる絵はもうすぐ完成するんだけど、どうしても背景の色が決まらなくて」
雪の絵についての話は大抵の人にはわからないだろう。絵を描いている人にもわからないんじゃないかと思っている。私もさっぱり理解できない。
さっぱり理解できない話をずっとしてくる。でも理解できないとは言えない。
あたしは美術部の部長で、雪は副部長だから。
「コンテストで目をひくのは、大体赤とかオレンジとか暖色系じゃない?」
「うーんでも、それだと周りの絵と並べたときにぼやけてしまうというか、なんていえばいいんだろう」
なんていえばいいんだろう。雪はコミュニケーションが苦手だから人に自分の思っていることを伝えるのも苦手なのだ。
「今回のコンテストのテーマってなんだっけ。ってか、コンテストって再来月じゃなかった?」
「うん、でも描いてる」
今月は大きなテストがあるから美術部は再来月のコンテストに出すことになったのだ。それなのに、雪は描いている。テストの点数を聞くと隠すからどうせ点数もよくないんだろう。それなのに、一心不乱に絵をずっと描いている。
「テーマは友情」
友達。誰も住んでいないマンションのカーテンみたいな重たい前髪を直しながら雪はそういった。いつも絵を描くときはカチューシャであげている前髪も、切れば?っていったのに切らない。
人と目を合わせるのが苦手だからっていって。そんな暗い雪が明るい未来っていうテーマで絵を描いているなんて、どんな作品ができるのか、私は少し胸がきりりと痛んだ。
「友情がテーマなら。赤やオレンジであってるんじゃないの」
雪を見ずに答えたあたしに、雪は前髪の隙間からすっと墨で線をひいたような目を余計に細めた。
「ちがうの」
「違うって?」
「明るいのは周辺だけ、中央はもっと違う色、最近図書館で貝殻の図鑑を見て、人間の心の形を私の頭の中で貝殻に変換して人間の中に埋め込んでいこうと思っているの」
目を閉じて雪は透明のパレットを手に持ち、透明の筆を持つ。そして透明なキャンバスに筆を走らせた。
「ちがうのよ、こんな色じゃない。これも違う。そうじゃなくて……」
このモードに入った雪は、目を閉じているのにちゃんと帰っている。歩いている。自分の家に引き寄せられていくように。
こういう感じだから不思議ちゃんとか何考えているかわかんないとかいわれんのよ。と思うあたしは、ぶつぶついいながら一人で絵を描き始めた雪の隣で、スマホを起動させた。
あたしが美術部に入ったのは、純粋に絵が好きだったから。雪と一緒で、私は絵を描くのが普通に好きなのだ。でも雪程ではない。
寝る時間も食事も惜しんで描く程ではないけれど、幼馴染の雪とあたしは、家も近ければ趣味も同じだったからいつも一緒にいたのだ。
あたしたちはゲームとか外で遊んだりとかそういうことに興味がなくて、ずっとスケッチブックに絵を描いて2人で遊んでいた。それがあたしたちの遊びだったんだ。
でも、中学になって、高校になっていく過程で、絵を描いて遊ぶ。なんて人はいなかった。大人になっていくということは、みんなについていくことなんだ。
みんなの後を、ついていかないとクラスでおいていかれる。浮く。
だからあたしは中学で変わった。勉強もおしゃれも、メイクも頑張って、みんなの話についていけるように、人気のコンテンツを調べたり、流行に敏感になった。
そうしたら友達も増えてきて、ああ、これが正解なんだって。生徒会にも入って充実した学園生活を送ることができて、あたしはこれでいいんだって思った。
でも高校を選ぶとき、この高校に美術部があると知って、自分でも抗えないくらいの絵をもう一度描きたいという衝動に、自分でも驚いた。
なんだか無理してずっと好きだったことを我慢してきて、それが爆発したような感じだった。コップの水が溢れてしまったように、あたしは入部届けを提出したのだ。
その時隣で入部届けを描いていた、雪はすごく嬉しそうだった。
「真理がまた絵を好きになってくれて嬉しい!」
は?
あたしは友達に作るような笑顔で微笑んだ。頑張って微笑んだ。
「うん、また描きたくなっちゃって」
中学は別々だったから疎遠だった。いじめられて不登校になって雪は、ずっと家で絵を描いていたらしい。そんなだからあたしは同じ高校に入って幼馴染ということもあってか、雪のお母さんに頼まれたのだ。
部活も一緒らしいから行きと帰りだけでも一緒に帰ってあげてくれないかって。なんでそんなことを。
「無理しなくていいよ。お母さんが変なことをいってごめんね」
雪は申し訳なさそうに微笑んだ。頭の後ろをかきながら。
「そんなことないよ。いいよ行き帰りでしょ」
事情を知ってしまったからなんかじゃない。あたしは中学デビューしたとき身に着けた「八方美人さ、自分をよく見せるために平気で嘘をつく」というスキルが、ただただ自然と発動してしまっただけなのである。
凄い絵を描けるのは当然雪だった。
でも雪は3年生になって先生に部長になるように推薦されても断った。
「私なんかが部長なんて無理ですよ。******、*************」
そういった雪に、あたしは胸や胃が燃え尽きてしまうんじゃないかというくらい熱くなったことを覚えている。
「じゃあ、あたしがやりますよ。部長」
「え!ありがとう!真理!」
雪はすごく嬉しそうだった。あたしは爪が掌に食い込んで痛かった。
「じゃあ、真理。また明日!」
「また明日」
あたしは雪にくるりと背を向けた。その時から、あたしの顔から一切の表情が消えていることを、雪は知らない。
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