友達の絵

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 次の日も、雪はまた美術室で絵を描いていた。進路に関わるような大きなテストが近いというのに、再来月に提出すればいいはずの絵を、明日締め切りですって表情で真剣に描いている。あたしはそんな雪を美術室の隙間から眺めていたが、とうとう扉を勢いよくがらりと開けた。 「ひっ」  一瞬怯えた瞳でこちらを見た雪だったけれど、すぐにあたしと分かってほっとした表情になった。 「真理……どうしたの」 「ねえ、その絵いつ完成するの」  雪は少し考えるそぶりを見せた。 「ちょうど一週間後かな」 「テストの前の日じゃない。それまで絵を描くの?」 「うん」  さも当たり前のように答える雪に、あたしは全身の力が抜けかけた。もういいや。この人。って斬り捨てられたら、どれだけいいだろう。もういいよ、雪なんてって、いってしまえればどれだけ楽だろう。 「よいしょ」 「え?」  あたしは雪の隣の開いている椅子に座った。「みてもいい?」 「……えっと、いい、けど」  困惑したような少し恥ずかしそうな表情の雪にはおかまいなしで、あたしは隣で太ももに頬杖をついて、雪の描く絵を見ていた。  中央には、様々な幾何学模様でできた人間が、膝を抱えて恐らくだけど涙を流している。その周りには、複数の手、その不思議な人間は、一人の手をじっと見つめている。 全体的に暗い絵だけれど、それでも目を引く色使いと、気迫。友情がテーマだったら明るい絵を皆描いてきそうなところを、雪はあえて目を引くように暗い色にしたのだろうか。 でも背景は未だ白い。 「どうしてここは、この色にしたの?」 「なんでだろう、こう”視えた”からかな」 「なんでこんな模様でできた人間を思いつくの?この色はどうやって作ったの?」 「うーん、なんだろう感覚、というか適当?かな、真理は私の絵なんか気にせず、自分の絵を描いてくれればいいと思うよ」 「雪はなんで絵を描いているの?」 「***************」  雪はあたしを見ないで答えた。美術室には、雪がとった数々の絵のコンクールの賞状やトロフィーが飾ってある。  きっと何年も続く美術部の歴史の中で、伝説級の部員だろう。どうして部長ではなく副部長をやっていたのかと言われるくらいに。 「雪はさ、進路どうすんの」 「え?」 「もう3年生じゃん」  大事なテストが控えているというのに、雪はずっと絵を描いていた。ずっと描いて、ずっとコンクールで賞をとり続けていた。 「どうしたの?急に」 「いいから」  あたしは絵を描く手を止めない雪に問いかけた。心の中では、胸倉を掴んでいたと思う。  でも、現実のあたしは膝の上でぎゅっと手を握って問いかけていた。 「私は普通に近くの工場とかに就職するよ」  雪は言った。 「私なんかが部長なんて無理ですよ。別に絵がうまいわけじゃないですし。人と関わるのも、苦手ですし」  雪は言った。 「それは前も言ったよ。絵なんて暇だから描いているだけだよ」  雪は続けた。 「人とのコミュニケーションが苦手だし工場とかなら、その心配もなさそうだし」  雪が何か言葉を発するたびに、胸がぎゅううううとしめつけられて、あたしは暴れだしそうになった。  吐き気がする。あたしは顎がぎりぎりと歯車が壊れそうになるまで噛み締めた。 「ねえ、雪」 「ん?」 「なんで?」 「え?」  イライラしていた。ずっとムカついていた。許せなかった。嫌いだった。憂鬱だった。気持ち悪かった。軽蔑していた。苦痛だった。蹴り飛ばしてやりたかった。窓から頭をひっつかんで突き落としてやりたかった。 「なんでそんなに絵も描けて才能もあって、天才で、それなのに平然とそんなことが言えるの?」 「は、え?」  雪はここで初めてあたしを見た。どんな表情をしてあたしがこんなことをいっているのかみたかったのかもしれない。 「なんで?」 「だって絵は”ただの”趣味だから」  どうしてこの色を使ったのかと聞いても、この色だからと帰ってくる。  どうしてここに影をつけたのか聞いても、感覚で適当にといってくる。  どうして美術大学とか絵の道に進まないのかと聞いても、絵は”ただの”趣味だからといってくる。  絵のコンクールで賞をとっても、すぐ興味なさそうに次の絵を描いている。  あたしはそんな雪が絶望的に嫌いだった。  才能があるのにその道に進まない。あたしは美術部に入ってから絵を描いたよ。部活の放課後は雪とずっと絵を描いたよ。  でも1つ出来上がるたびに、雪との才能の差を見せつけられる。  コンクールで雪が受賞するたびに、部長としての自分が惨めになる。  あたしはそんな雪を見て自己嫌悪に陥っている。醜くて、汚い自分は消炭色。雪は個性的で、天才で、才能に溢れたカラフルな虹色。  そんな雪をあたしは心の中で呼び出して、首をしめ続けている。 「えっと、その沢山褒めてくれてありがとう。あたしこの絵頑張って完成させるね。完成したら見てほしいな」  雪は少し顔を赤らめて微笑んでいた。  あたしはいつものように取り繕った笑顔で答えた。 「いやだ」 「え?」  あれ? 「雪が絵は趣味じゃないって、自分が天才で、絵を描くのが好きで好きでたまらなくて、美術の道に進むっていわないといやだ」  あたしは、何をいっているんだ。 「……」  雪はあたしの方を茫然と眺めていた。目には滝のように次から次へと涙が溢れてきて、うっとおしかった。あたしは涙を拭って椅子から立ち上がった。 「真理?」 「なにいってんのかわかんないよね。あたしもわかんない。でも、雪には一生わかんないよ」 「真理!!」  雪はあたしを呼び止めた。でもあたしはそのまま教室を飛び出そうとした。 「待って真理!!」  雪はあたしの腕を掴んでいた。振り返ると、雪は苦しそうな表情であたしを見つめている。あたしの顔よ、それは。こっちのセリフよ、とでもいうようにあたしは心の中で吐き捨てて涙をぬぐった。 「ごめんね、泣かせて。私が真理のことを傷つけたんだよね」  雪は早口でまくしたてるようにそういって必死な顔であたしの両腕を掴んだ。 「ごめん、ごめんなさい。泣かせてごめんなさい。私、コミュニケーションをとるのが苦手だから、どうして真理が泣いているのかわからないの」  雪は、そばかすの散らばった顔を歪ませて。苦しそうに叫んだ。ごめんなさい、ごめんなさい、って。あたしは雪のこんな必死な顔を初めて見た。 「雪」 「私ね。私、真理にずっと恥ずかしくて言えなかったことがあるの」  あたしの喉から出そうになった言葉がひっこんだ。あたしの心臓は、自分でも驚くほどに大きく脈打っていた。  もう無理だと思っていた。あたしが雪と本当の意味で友達になる日なんてこないと思っていた。  ずっと平行線で、取り繕った笑顔を見せて、雪が頭をかく癖を眺めていた。 「ゆ……!」 「あたし、真理の絵が好き」  雪は、あたしを抱きしめた。 「あ」 「ずっと恥ずかしくて言えなかったの。でも真理は私なんかよりずっと凄いの。絵がうまくて、才能に溢れていて、私は真理の絵が一番好き。真理の絵に比べたら私の絵なんて……」 「は」 「コンテストの審査員の人はずれているのよ。いつだって私の中では、真理の絵が一番、一番だと思っている、よ。はあ、やっと言えた。真理、さっきは褒めてくれてありがとう。でも、私こそだよ」 「え」 「真理はどうしてこの色を乗せたのか聞くと、ちゃんと答えてくれるよね。ひまわりは何故黄色で塗ったのか聞いたら、夏を表したかったからって。太陽はどうしてオレンジ色で塗ったのか聞いたら、日の光の暖かさを表したかったからって」  雪は続けた。続け続けた。 「私は適当になんとなく色を乗せているだけだから、凄いと思ったんだ。真理はほんとに、絵の天才だよ。また一緒に絵が描けて嬉しい!」  雪は笑顔であたしの顔を見つめていた。あたしは全力で自分の顔を両手で覆った。見られないように、悟られないように。見つからないように。  あたしはこの時悟ったんだ。 「そう、なんだ」  そう、そのまま。あたしは”いつものような笑顔で雪を見つめた。 「ありがとう、雪。そんな風にいってもらえて、あたし嬉しい」  さようなら。雪。  あんたに友情がテーマの絵なんか本当の意味で完成させることなんてできるはずないよ。 「うん」  一生あたしは彼女と交わることはないだろう。あたしは汚い消炭色。  雪は個性的で、天才な虹色。  この日から、あたしは絵を描くのを辞めた。
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