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桃色のレッドカーペットのようになった校門への道を、踊るように軽やかに、歩いていた。不安より期待の方が大きかった。頑張って受験勉強して入学した高校。
入学した理由は……。
入学式が終わった後、微かに聞き覚えのある声がして、振り返ったあたしとカメラのレンズのピントがあうように、かちっとあたしと雪は目が合った。
「真理ちゃん?」
「雪?」
雪は、髪を目の下まで伸ばしてお母さんの後ろに隠れていた。中学で別れてから、連絡先打って交換していなかったし、どこで何をしているかなんてさっぱりわからなかった。
影の陰に隠れるようにして背中を丸めている雪は、少し怯えたように、でも笑顔のままあたしの方を見つめていた。
「真理ちゃん、お久しぶり」
雪のお母さんは大袈裟ににこっとしてあたしとあたしのお母さんに近づいてきた。
「真理ちゃんがいるなら安心だわ、よかった。雪ね、中学の時いじめられて不登校になっちゃってね、高校行きたくないって言ってたんだけど、美術部があるからって頑張って入学したのよ」
「まあ、真理も美術部があるからって入学したんですよ」
お母さんは、正直に余計なことを言ってくれた。
「そうなの?じゃあ、雪ちゃんと一緒に登下校してくれない?部活も一緒のところ希望ならよかった、真理ちゃんがいるなら安心だわ」
雪のお母さんは、無責任に胸をなでおろして本心の笑顔を浮かべていた。雪はというと、そんな雪のお母さんの背中にべったりくっついている。
あたしは、初めてコーヒーを飲んだような顔をしていたと思う。でも、雪は一歩前に出てあたしに手を差し出してきた。
「真理ちゃん、よろしくお願いします」
あの時と同じ、真理ちゃんって呼ばれ方。でも、あの時と違って雪は背が高くて、髪も伸びていて、目がゆらゆらしている。
「真理ちゃん、描けた?描けた?」
ニコニコしながら絵を見せてきた雪と今の人に対して怯えた子犬みたいな表情の雪はまるで別人のようだった。
「一緒のクラスだといいわね」
「明日発表でしたっけ」
お母さんと雪のお母さんは話しながら歩き出した。勝手に行かないでほしい。
あたしは、伸ばされた手より私を置いて歩いて行ってしまったお母さんの方に目線がいっていて、振り返った雪の表情にちょっと戸惑った。ぎょっとした。
震えながら、涙目になってあたしに手を伸ばしている。まるであたしが手を掴まなかったら死んじゃうみたいだった。
やばい、なんか言わなきゃ。泣く、絶対泣くわ。
「よ、よろしく!一緒に帰るよ!っ部活も一緒なんでしょ?あはは、よかった~雪ちゃんと一緒で、あ、同じクラスだといいね!」
自分の感情なんて、その辺の鳥にでもくれてやれって感じで、あたしは雪の手を掴んでずっとしゃべり続けた。雪はあたしが話しかけても取り繕った笑顔を必死に浮かべるだけで、ちゃんと話聞いてんのかってくらい目は泳いでて、でも涙は引っ込んでいた。
あたしの手をハムスターみたいな力で握り返してきた雪は、あたしばっかり話させて自分は「あ、そうだね」とか、「あはは」とか、気の抜けた返事を返すだけ。人と話すのが3年ぶりって小さい声で言っていたから、さっき雪のお母さんが言っていた雪がいじめられて引きこもりだったっていうのは本当なんだなと思った。
中学に行っている間も雪とは家が近かったけれど、登下校中や休みの日に外に出たときでさえ、あたしは雪とすれ違ったり雪と顔を合わせたことがないのが、魚の骨が引っかかるみたいに心に引っかかっていた。それにもなんで気になるのってイライラしたけど。
でも、今あたしの手を掴んでいる雪が、全部だ。
「真理ちゃん、ああ、あの」
「真理でいいよ、同級生なんだし~」
中学の時、友達になった子に言われたこの言葉。すぐに名前で呼び合って距離が縮まったから、あたしは色んな子に同じこと言ってクラスに友達を作った。
「あ、は、っあはは、私も、雪で」
「うん、雪。よろしくね」
雪の目が、青空を反射して光った。溺れている青空の中で、雪の黒い瞳がゆらゆらと漂っている。あたしは、そんな雪の瞳に写る自分の顔を見て、思わず目をそらした。
中学の時、いつも笑顔だったから沢山友達ができた。友達が沢山いる子っていつも大体ニコニコ笑ってる。
あたしも、ニコニコ笑っていつも笑顔でいられるようになっていた。はずだったのに、雪によろしくね、と笑いかけたあたしの顔は、必死だったから。
青空の中でたった一人溺れている雪を、あたしが助けなきゃって。手を伸ばして、笑顔なんか相手を安心させるためのアクセサリーで、友達になろうっていつもいっているような、余裕な笑顔なんか顔からとっくに剥がれ落ちていた。
「じゃあ、また明日」
「うん」
帰ったらあたしはなんだか泣きたい気分だった。早くさよならしようって手を振る私に、雪のお母さんは本当に嬉しそうに手を振ってくれた。
俯いて無機質なコンクリートを眺めている愛想のない雪と違って。
「あの、真理ちゃ、真理」
「どうしたの?雪」
もじもじしている雪は、最後に意を決した表情で話しかけてきた。なんといってくるのだろうとさすがにドキドキしたあたしに、
「ありがとう!」
「え?」
「わ、わた、私、もし今度いじめられても、ま、ま、真理とび、美術部で会えるから、一緒に登下校できるから、が、頑張れるよ。学校、楽しみだって思えるよ、まっ、ままた一緒に!」「うん」
「絵を描こうね」
*
「変なこと、思い出させないでよ」
写真立てを伏せたあたしは、そのままぼふっとベットにダイブした。あの時、雪と再会した日のように。
押入れの中には、今まで描いてきたスケッチブックが入っている。雪の部屋に行った時、あたしの押入れに入っているだけの世界とは比べられないくらいの色んな世界が詰まったスケッチブックが、丁寧に並べられていた。
雪の中学の時に、雪のお父さんが亡くなってから雪は母子家庭になったらしい。
雪のお母さんは雪が絵を描くことを応援している。家に行ったら大量のスケッチブックが廊下に置いてあったし壁には雪の絵が飾ってあった。
あたしはそんな雪の家の中で、一人取り残されたような孤独感を味わっていた。一階の雪の家では、そんなに広くないのに絵であふれていて、カラフルで、それなのにあたしはそんな雪の家がすごく広く感じた。
取り残されているような孤独感と胸の痛みは、なんだろう。
「お絵かきで、ごはん食べていけないでしょ?」
そういったあたしの、お母さん。
お母さんは、あたしの絵がたまったら倉庫にしまっていた。小さい頃は喜んで絵を飾ってくれていたけれど、高校生になったあたしの絵なんて文化祭で見て終わりだ。
持ち帰っても倉庫にしまわれるだけ。そんなの当たり前だ。きっと雪の家が変わっているんだ。それが普通なんだ。
「雪ちゃんはいずれ絵でビックになるわ、だからこうして飾ってるの」
嬉しそうに話す、雪のお母さん。
照れている雪と雪のお母さんを見て、あたしはなんだか急激に寒くなってきたのを忘れていない。雪と雪のお母さんがサムイとか、そういうわけではない。
ただ、あたしは踏み入れてはいけなかったのだ。
この温かな、虹色の空間に。
起き上がったあたしは、押入れまでふらふらと歩き出した。
「……」
いつも辛いとき、悲しいとき、雪と絵を描いて劣等感を抱いたとき、美術部で雪と比べられた時、私は押入れに新しく描いたスケッチブックを数冊とって、ベットの上で抱きしめて眠っている。
「うっ……うう」
お母さんに倉庫に入れられないように、押入れに避難してある、スケッチブックたちは。美術部もやめたし、これからあたしが大人になっていく過程で、思い出の品、になるのだろうか、
倉庫に入って、そこで終わりの、宝物だったもの、になるのだろうか。
「わたし、今、すごく……早く、大人に……なっているみたいだ……っ」
胸が苦しくて情けなくて、悲しくて、私はどうにもならない気持ちで、どんよりとした空を背に枕を濡らした。
前髪が緞帳みたいに長くていつも俯いているあの雪が、あたしにとって誰よりも、太陽みたいに眩しかったんだ。
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