友達の絵

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「ごめん、部長の引継ぎとか全くしてなくてさ、今日だけ美術室寄って雪と帰るわ!」 そういったら、あかりたちはあたしの肩を叩いて笑った。 「うん!なんか嫌なこと言われたらいいなよ」 「美術部には戻らないってちゃんというんだよ?」 「うん!もう戻らないんだし、最後だと思ってちゃんと話しておいで!」 春香に肩を叩かれて、あたしは最後という言葉を胸の中で復唱した。 「うん!行ってくるね~」 腫れた目で笑ったあたしは、美術室に向かった。今は全校生徒テスト期間。こんな時にまで美術室で絵を描いているのは、学校中探しても雪しかいない。 「ごめん、待たせて」 美術室に入ると、雪はイーゼルも絵の具も用意せず、椅子を美術室の真ん中に2つおいて座っていた。 最初からあたしと話すつもりで呼んだらしかった。 「なに?雪」 「座ってよ」 「いいよ、ここで」 あたしは、すぐに出ていけるように、なんて考えていなかったけれど真正面から雪と話したくなくて扉の前から動かなかった。 雪は、少し残念そうな顔をしてゆっくりと、立ち上がった。 「どうしてやめたの?美術部」 単刀直入。予想はしていた。 「あたし、人付き合いが苦手だから回りくどい聞き方とかできない、ごめん。でも、どうしても知りたかったの」 知ってる。 だから喧嘩しないように私は、イライラしてもニコニコして、飲み込んで、本音言わずに流してきたんじゃない。 あたしは、深呼吸を1つして長い髪をわざとらしく耳にかけた。 「聞いてない?3年生になったんだから勉強しなきゃでしょ」 「夏のコンクール!」 「……」 「去年、私が大賞受賞して、真理は銅賞だった。すごく素敵な絵だったし、審査員の人も褒めていたよね、真理は、来年こそは大賞をとるって意気込んでたじゃない」 そんなことばっかり覚えてるんだよね、絵にしか興味ないくせに。 「でも、大賞の雪のほうが褒められていたよね」 「観客の人たちの人気投票の結果は、雪の絵の方が上だったでしょ、私も今回も雪の絵が賞を取るって思ったんだよ」 今回も?も?もってなに。いつも雪が賞をとるんだから、雪に決まってんじゃん。あたしは背中でぎゅっといつものように両手を握りしめた。 手を痛めつけるように握ると、痛みでいつもより余計に沸騰しそうな頭が収まるかと思ったからだ。いつものように収めることができると思ったのだ。 「そんなの、大賞をとった雪の絵の方がいいに決まってるじゃん」 絞り出すようにいったあたしは、雪のことをみることができなかった。今雪をみたら、確実に今まで人に見せたことない顔で睨みつけてしまう。 賞をとった絵を見に来た人たちの中でアンケートをしたとき、あたしの絵に、1、2票程だけど多く票が入っていたらしい。 でも、だからなんだというのだ。 観客の人より、絵を描いている、絵を知っている審査員の人に評価されている雪の方が凄いに決まっている。 「真理はいい絵ってなんだと思ってる?」 「雪みたいに賞をとる絵に決まってるじゃん」 引きつった笑いで答えると、雪は真剣な表情で答えた。 「違うよ。人の心に届く絵を描くことでしょ」 ……あー、あーあーあーあーあーあーあーあーあーあーあ、もういい。 もういいよ、何それ。 「ふざけないでよ、絵のことは自分の方がよくわかってるって?説教でもしてるつもり!?」 自分は、こんなに大きな声で人に怒鳴り散らすことができるような人間なんだと、あとで後悔して悔やむことになっても構わない。 テスト勉強をしているであろうクラスとは離れている一番端のこの美術室で、あたしは悪魔が乗り移ったような顔をしているのだろう。今までの悪意や恨みや、妬みや、自分の汚い部分全部、“最後だから”ぶちまけてやろうって気になって。 あたしは例えクラスとクラスの真ん中にこの美術室があったとしても、これから雪に対しての攻撃をやめないだろう。 「雪はあたしの気持ちなんかわかんないでしょ!?あんたが人付き合いが苦手だからっていうから、私は部長やらされたの!それなのに、雪の方がいつも賞をとって、いつも比べられていたあたしの気持ちなんか考えたことないでしょ!?雪は天才のくせに、絵は趣味だからとかいってる雪には、3年生なのに、毎回賞をとるくらい天才のくせに、絵の進路に行かずに就職するだなんていってる雪には、わかんないでしょ!?」 息をきらしながら、一気に話したあたしは、雪をキッと睨みつけた。いつも人と目を合わせず、俯いている雪は、あたしの目をキッと睨み返してきた。 「真理こそ、私の気持なんかわかんないでしょ。真理はコミュニケーション能力があって、人気者で、美術部の先輩だって、後輩の子たちだって、私のこと褒めてるの“絵だけ”なんだよ。友達だっているのに、絵だって描けるじゃん。前にも言ったけど、私は適当に色を載せているだけなのに、真理はちゃんと絵の本を買ったり技法を勉強して考えて絵を描いてる。ずっとうらやましかった。進路だって……!」 雪は、つかつかと私の方に歩いてきて、あたしの胸倉をガって掴んで叫んだ。 「うらやましい……?あたしなんかを雪が羨ましがるわけないでしょ?馬鹿にしないでよ!小学生の時から雪はあたしのレベルに合わせて絵を描いてバカにしてたじゃない!毎回雪が私のことを褒めるのを、毎年賞さえとれなくて、やっと去年の夏のコンクール銅賞をとったあたしが、どんな気持ちで聞いていたかわかんないでしょ!?」 雪の胸倉をあたしも掴み上げた。身長は雪の方が8センチくらい低くてあたしは上から雪をにらみつけた。雪もあたしを睨み上げている。 「賞賞賞賞五月蠅いよ、賞とったからなんなの?あんなの描いたものを勝手に知らない人が評価しているだけでしょ、絵が描けるより人とコミュニケーションとったり勉強できた方が優秀に決まってるじゃん、私には絵しかなかったから描いてただけ、その私の絵より真理の方が周りの世界と関わって、専門的な技法を使って、虹色の絵を描いていたじゃん」 「絵を描いたって評価されなきゃ意味がないでしょ?賞をとらなきゃ、評価されなきゃ、ただの色塗った紙じゃない、あたし絵しかなかったっていってみたかった。人と関わらず、評価も顧みず、ただ一人で絵を極め続けている雪が羨ましかった、雪こそ、見たものをそのまま描いただけっていう絵が、そのまま賞をとるじゃない」 虹色の絵、あたしにとって雪は天才で、絵を描けば賞をとるような手の届かない光。 その脳みそと、その腕を交換してほしいって何度思ったか。 必死に絵を描く雪の横顔を何度見つめながら、彼女になれたらと思ったか。 何度完成した雪の絵に、感動させられたか。 そんな風に言わないでよ。 凡人のあたしなんかを羨ましいなんて言わないでよ。 「あたしは、雪には、自分が天才で絵が好きで好きで大好きで、美術の道に進むっていってほしいんだよっ……!そしたら、あたし、諦められるのに……!!」 あの日、あの時。 あたしのレベルにあわせて絵を描いていたと分かった時に雪が描いていた学校のうさぎの絵を、あたしは喉から手が出る程ほしいと思った。 あの時、あの瞬間から、あたしは心臓が真っ赤に染まり、鳥肌が止まらなくて暴れだしたいくらい、彼女のファンなのだ。 そっとあたし胸元から手を離した雪は、俯いた。 涙をぬぐったあたしの目には、 「……」 目に涙をいっぱいためた雪が、あたしを睨みつけていた。 「それはこっちのセリフだよ、人と関わって勉強もして、部長もして、絵も描けるんだから真理の方が天才でしょ、美術の道に進めばいいじゃん、本当は絵が好きなんでしょ!?雪の絵からは純粋に絵が好きで描いてるって伝わってくる……でも、3年生になってから、私みたいな絵を描くようになった。一番ダメな絵を。気づいてるんでしょ?」 「なんでそうやって自分の絵を悲観するの!?」 「こっちのセリフだよ」 お互い一歩も譲らない状態で美術部の扉が、がらりと開いた。 「雪さーん、青美大の推薦入学の話だけど……あれ、谷口さん?やめたんじゃなかったの?」 美術部顧問の先生が、悪気なくそういって顔を出した。 「……」 雪は何も答えない。 「今日まで返事を待ってくれっていってたけど、大学からぜひ来てほしいって言われてるんだから、もう待てないわよ」 「……青美大の推薦なんて入る一択じゃん」 都会にある有名な美術大学だ。 ぼそりと呟いたあたしに、雪は首を振った。 「やっぱりやめます」 「は!?なんでよ」 「真理が、美術の道に進むならって思いましたけど」 何を言っているの?雪は。 雪が推薦されて、才能があるから来てほしいっていわれて、それなのにそれを凡人のあたしが行かないからって行かない? 「バカなこと言わないで!あたしみたいな凡人なんかが青美大に入れるわけないでしょ!?」 あたしが怒鳴ると、雪は俯いた。 「……」 ごしごしと目をこすった雪は、また首を振った。 「じゃあ、そうやって書類書いておくわね……」 先生は、心底残念そうな顔をして、扉をぴしゃりとしめた。あたしは、扉が閉まるのと同時に爆発したように雪につかみかかった。 「行きなさいよ!青美の推薦なんてそれだけ雪に才能があるってことじゃん」 俯いている雪の肩をゆさゆさとゆすると、微かな震えと共に、涙をためた雪が笑顔で顔をあげた。 「私は真理の絵が好き、だからこれからも真理と一緒に絵を描いていたかったの、絵を続けてよ、真理。美大、じゃあ一緒に受けようよ。お母さん、いいっていってくれたんだ。大学、さ、大学行ってもどうせ私、友達だってできないし、1人でただ描くだけ。真理も一緒だったら、頑張れるから」 ……。 ……。 ……雪は、いつもそう。 美術部の部長の件だって、私にはできないよ~どうしようって、どうしようってそればかりで、あたしがじゃあ、っていいだしたから、喜んでた。 あたしをいいように使ってるだけ。劣等感を抱いて、自分より絵の下手な人間を傍において、全く思っていないくせに褒めたりして、調子づかせようとして、自分が絵を描きやすくしてるだけ。 なんて自分勝手なんだろう。 「あたしのこと……なんだと思ってるの……?」 「え……真理?」 「嫌い」 「……」 「あんたなんか、大っ嫌い。保育園で一緒に絵を描いていた時から、あんたのこと嫌いだったの、もう絵も二度と描かない。美大も行きたくなければいかなければいい。勝手にすれば」 「真理、違う……違うの、真理」 自分でも驚く程冷淡な口調だった。人を人とも思っていないような自分の心の奥底にある悪魔が変わりにしゃべっているような感覚。 「違う、違うよ、真理。私はただ、真理と一緒に絵を描きたいだけなの」 「……うるさい」 涙がつーっと頬をつたって、あたしの顔の熱で溶けていく。 「私は真理の絵が……!」 真理の手を、私は勢いよく振り払った。 「ずっと迷惑だったのよ!!」 「ま……真理!!!!」 叫んだ雪の言葉を、私は切り裂くようにして走った。 それから、卒業式まで美術室に足を踏み入れるのは、今日が最後だった。あんなに足しげく通っていた美術室から、逃げるように飛び出した。なんというくだらない最後。 絵からも、雪からも、あたしは逃げたのだ。家に帰ってきたあたしは、クローゼットの中に入っているスケッチブックの絵を全部びりびりに破いた。 「くだらない……くだらない……!っこんなもの!こんなゴミ!ゴミゴミゴミ!!」 結局あたしは、才能もなければ絵を描く資格もない。もう二度と絵なんか描かない。 くだらない、ゴミ、こんなもの……呪いのように呟きながら、あたしはもう絵を描かないという鎖をかんじがらめに自分を守るように自分の体に巻き付けた。でもその鎖は鋭い刃がついていて、あたしはベットの上で痛くて痛くて涙が止まらなかった。
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