3 中村 憲 なかむら けん 

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3 中村 憲 なかむら けん 

 衝撃を受けるという言葉は正確ではないかもしれない。雷に打たれたような驚きや、息が止まるような感動を覚えたわけでもない。どちらかと言えば、朝起きたら雀が鳴いていたとか、空に浮かんでいた雲が動物の形に見えたとか、水をあげ続けていた蕾が花開いたとか、そういう類の幸福だと思う。  夜矢さんに初めて会った時、僕は、彼女の映画を撮りたいと思った。 * 「琴子ちゃんでしょ? 知ってるよ~」 「藤岡も知ってんの?」 「知り合いって言うか友達? 最近はあんまり会ってないけどね、一年の最初の頃はたまに一緒に授業受けてたよ、サークルの新歓も一緒に回ったりしたしね」 「なに、有名人?かわいい?」  映研の部室は第一校舎の一階にあり、撮影機材が雑多に並べられた倉庫と、プロジェクターと古い映画のDVDが並ぶ広々した部屋がある。藤岡と大悟は持て余した暇を潰すようにお菓子や飲み物を広げながら、手に持ったA4用紙三枚一組の紙の束をめくる。 「かわいいけどあんたには紹介したくないわ~」  ちぇー、と大悟が不満そうにつぶやく。  夜矢さん、下の名前はコトコって言うのか。  藤岡はどこかのテニスサークルとうちを兼部していて、大悟は最近までバイトばかりだった。映研は映画研究会の略で、映画を見るのが好きな人と、映画について話すのが好きな人と、そして映画を撮りたい人が集まるサークルだ。彼らも僕も、きっと三つ全てに当てはまる。だから卒業を前にしてもこんな所で駄弁っている訳で。 「で、主演をその、夜矢さん? にしたいという訳ですか」 「うん。絶対彼女がいい」 「憲、琴子ちゃんと面識合ったっけ?」 「こないだ初めて会って、ちょっと喋った」 「まじか! 俺にも紹介しろよ」  七月二十日、僕が初めて夜矢さんに会ったのは、夏休みに入ってすぐ、映研の部室の外に貼ってある夏公演のポスターを彼女が眺めていた時のことだった。後輩たちが作った短編映画のポスターは、監督を務めた二年生の影山が、こちら側にビデオカメラを向けている写真がでかでかと載っていた。 『この映画を見ているあなたも、この物語の登場人物です。』  印象的なキャッチコピーのその映画は粗削りだけど、影山の感性を感じる映画だと思った。  夜矢さんは映画を見終わると、上映していた多目的室からお客さんがいなくなった後も、ずっとポスターを眺めていた。  僕が話しかけると彼女は、驚くでも嫌がるでもなく「良い映画ですね」と言った。僕は何もしていないんだけど、なぜか自分も褒められている気がした。  その日は彼女とその映画について少しだけ話した。主人公はきっとカメラを通して外の世界を見ることで、同時に自分の心の内側を見つめようとしているんだと思う。僕がそう言ったら彼女は小さな声で「素敵」と言った。 「中村って言います、ここの四年生、良かったらまた観に来てよ」 「夜矢です。うん。また」  彼女はそう言って去っていった。  その後ろ姿を見て、僕は、彼女の映画を撮りたいと思った。 「じゃあ私から琴子ちゃんに連絡しといてあげるよ」 「ありがとう!」  藤岡はラケットが入った大きなリュックを背負う。そういえば彼女もテニスの大会があるんだっけ。僕の周りには好きな事を好きなようにやるやつしかいないのかな。僕も含めて。 「まじでその子俺にも紹介してくれよ!」 「うるせえよ!」      しつこく顔を近づける大悟の頭を、藤岡ががしがしと掴む。  僕と、大悟と、藤岡と、夜矢さんと。  学生最後の夏休みは、僕の学生生活の集大成にしよう。 * 「私は無理だよ~!」  無理だった。まじかよ。めちゃくちゃショックだ。学生生活終わったほんとに。  藤岡から、とりあえず夜矢さんが会って話を聞いてくれるというので、ココスでドリンクバーだけ頼んで三人で会うことになった。映画の概要をまとめた企画書を彼女はざっと眺めてくれて、可愛らしい笑顔でそう言った。     「うける! 憲ってモテないんだね~」 「関係ないでしょそれ!」 「かわいそ~、え、てか琴子ちゃんやっぱ無理? なんかごめんね?」 「ど、どうして……」      打ち合わせまで来てくれたもんだから、僕はてっきり、OKを貰えるものだと思っていたのに。現実はそう甘くはないのか。     「演技なんて無理だよ~、緊張で固まっちゃうもん!」      彼女の意見はもっともだ。普通の大学生に急に映画に出てくれなんて、そもそも僕の方のわがままが過ぎたのかもしれない。     「あ、でもなんか、琴子ちゃんは自然に座って本とか読んでるだけで大丈夫みたいよ。台詞も無いし、カメラの前で自然に振舞ってくれれば大丈夫だって。だよね?」      藤岡が僕に助け舟を出してくれる。まるで魚を釣ろうとして、舟から落ちたみたいな感覚だよもう。     「あ、そうなんですか?」 「うん、ナレーションを夜矢さんの映像に後から付け加えるから、夜矢さんは台詞を言ったりしないし、カメラの前で普通に大学生活を送ってもらえればいいんだ」 「私なんて撮っても面白くないよ~」 「そんなこと言わずにさ、ちょっとでいいから考えてあげてよ、ね? こいつ琴子ちゃんじゃないとダメだってうるさかったんだから!」      えっ、という表情で夜矢さんがこっちを見る。うわめっちゃ恥ずかしい。公開告白してるみたいだよこれ。  藤岡はレシートを取ると自分の分のドリンクバー代を机に置いた。夜矢さんは二杯目のジュースを飲んでいて、僕はまだ一杯目の、冷めたコーヒーを飲んでいる。     「まあ、嫌だったらはっきり断っていいからさ! じゃあね~」      藤岡はそう言い残して店を出ていった。      しばらく二人きりの沈黙が流れると、夜矢さんはもう一度静かに企画書を読み始めた。  藤岡がいないとこうも静かなのかこの店は。  僕は冷めたコーヒーを、間を埋めるようにゆっくり飲んでいた。     「いっこ聞いてもいい?」 「え、あ、うん」      夜矢さんは企画書に目を落としたまま、落ち着いた声でそう言う。右手の中指で前髪を右側に流すと、ふわっと柔らかい毛先が揺れた。     「どうして私なの? 彩ちゃんの方が可愛いし、私より緊張とかしないと思うよ」       彩ちゃんが藤岡の事だと気が付くのに一拍間が開いて、その間に彼女は続けて言う。     「こないだの映画に出てたヒロインの子も綺麗な子だったじゃん。改めてこの企画書を読んでも、私よりもっといい人がいると思っちゃうな~」      夜矢さんはストローを咥えてオレンジジュースをちょっとだけ飲む。吸い上げられたジュースが彼女の口の中に広がって、ストローから離れた唇が少し濡れている。     「ねえ、なんで私なの?」 「……引かない?」 「なに、引いちゃうような理由なの?」      ふふっと目を細めて夜矢さんは笑う。  僕は覚悟を決めて、言葉を続けた。     「なんか、夜矢さんに会った時、夜矢さんじゃないとダメだと思ったんだよ。上手く説明できないんだけど、夜矢さんが良いなって」 「ええ〜私は別に可愛くもないし面白くもないし、映画に出るような、そんな特別な人間じゃないよ。私いつもみんなから、すっごい普通って言われるもん」      夜矢さんはグラスから手を放す。指先も少し濡れている。細く、白い指だった。     「普通でいいんだよ、世の中の大抵の人が普通なんだから。普通の夜矢さんを、普通の僕が、誰よりも綺麗に撮るよ」      普通の大学生が、普通とは何かを考える。僕の話を楽しそうに聞いてくれる夜矢さんは、僕にとって普通の人なのか。そういう映画を僕は撮りたいんだ。     「……口説いてるように聞こえるよ」 「……いや、違うよ! 真面目に!」 「考えておくよ」      そう彼女は言ってその日は解散になった。    僕は一人帰り道を歩きながら、撮影場所や使う機材を頭の中で洗い出しながら、「考えておくよ」と言った夜矢さんの表情を思い返す。改めて、彼女の映画を撮りたいと思った。      ポケットの中で、スマートフォンが振動する。取り出して画面を付けると、藤岡からのメッセージが一件ポップアップされていた。     『琴子ちゃん、OKだって。あんたどうやって口説いたの?』      だから口説いてねえよ!    って言うより先に、僕の右手は小さくガッツポーズを作っていた。     *     「松岡大悟って言いまーす! 気軽に大悟って呼んでくれい! 俺がカメラ回させてもらうんでよろしく! つっても大したカメラじゃなくて申し訳ないんだけどさ」 「よろしく! 大悟君!」      んんよっろしくー! と大悟は出会い頭からのハイテンションで夜矢さんに襲い掛かる。まあでも夜矢さんも楽しそうで良かった。     「あれ、夜矢さん俺らとタメだよね? 今四年でしょ?」 「うん。法学部法律学科」 「俺、経営! てゆうか法法なら影山の先輩じゃん!お前夜矢さんに会ったことあるんじゃね?」 「いや、学生何人いると思ってるんですか! はじめましてですよね~夜矢さん!」 「ふふ、うん! 影山さんもよろしく!」 「気軽に莉乃って呼んでください! 私も琴子さんって呼んでいいですか?」 「いいよいいよ~!」      二年生の影山は今回、音響とナレーションを手伝ってくれることになった。僕が監督と脚本演出を担って、大悟がカメラを回してくれる。影山は元々高校で放送部に入っていて、今回の企画の話をしたら二つ返事で参加を決めてくれた。あとは主演の夜矢さんと、小道具や衣装の調達やその他の雑作業を手伝ってくれる藤岡で、合計五人のチームが出来た!      前期のテストも就活も終わった僕たちは残り少ない学生生活をどう過ごそうか迷ってしまう。時間は会ってもお金はないし、機材はあってもそれを扱う能力はない。だけど唯一、同じ作品を完成させようとする仲間が近くにいる。たったそれだけで、僕たちは暇を持て余した大学生から、夢を追う立派な撮影チームになることが出来るのだ。      部室に集まると映画の内容の説明と、撮影から公開までの大まかなスケジュールを話し合った。今回撮ろうとする映画を簡潔にまとめて話すと、一人の大学生が普通の生活を送りながら、どこか不安を感じているという話だ。朝起きて、大学で講義を受けて、友達とおしゃべりをして、バイトやゼミやサークルに顔を出したりして、時には飲み会もあったりして、そう言う日々を過ごす中で、将来自分は何者になるのかと、漠然を不安に思ってしまう。そういう物語だ。物語は主人公が最後、踏切から遠のいていく電車に、どこかへ旅立とうとする自分を重ねたところで終わる。      撮った映画は九月末が締め切りのショートフィルムのコンテストに応募して、また十月の学園祭にも映研の作品の一つとして公開する予定だ。夜矢さんはちょっと照れていたけれど、快く承諾してくれた。     「琴子さん私の映画見てくれたんですよね! すっごい嬉しい!」 「面白かったよ! 素敵だった!」 「嬉しい! 大悟さんも憲さんも全然褒めてくれないからな〜」 「おいおい! 俺も面白かったって言ってやったろ!」 「言ってやったってなんすか! 大悟さんひどー!」    夜矢さんも影山も大悟も、初対面と思えないほど打ち解けていた。影山は夏公演で上映した作品について夜矢さんと盛り上がる。夜矢さんは影山の映画を見て感じたことを素直に伝えると、影山は照れたり得意げになったり忙しそうだった。      ミーティングが終わると、大悟が懇親会をやろうと言い始めたので、僕たちは大学の近くの居酒屋でいかにも大学生っぽく飲み始める。夜矢さんは一杯目にカルピスサワーを頼んでそれをゆっくり飲んでいた。      店を出るとそれぞれに駅まで歩きだしたので、僕は影山と二人で帰ることになった。大学は二つの駅の中間にあって、僕と影山は緑道沿いを歩いて遠い方の駅に向かう。     「なんか嬉しそうじゃん、どうしたの?」 「ええ~別に~? 憲さんと一緒に帰ってるからですかね~」      影山はにやにやしながらそう言う。影山は僕より十センチは背が低いのに、一歩一歩の歩幅が広いので歩くスピードは僕と変わらない。     「楽しみですね! いい映画にしてくださいね」 「言われなくても、もちろん」      影山は浮かれるように歩き続ける。楽しそうに、嬉しそうに。     *      撮影は順調に進んでいく。初めは緊張していた夜矢さんも徐々に自然な表情を見せるようになった。彼女が笑えば周りの空気が柔らかくなり、視線を遠くに向ければそこに何か特別なものが写りそうな、そういう魅力があった。     「ここはもう少し寄りで撮った方が良いっすね」      カメラの映像を見返しながら影山が言う。僕もその通りだと思って指示を出す。     「確かに、こっちから同じように撮り直そうか。大悟」 「OK! 琴子ちゃんはその調子で!」 「うん!」      大悟が再びカメラを回す。ベンチで本を読んでいて、ふと夜矢さんはスマートフォンを手に取る。けれどそこには何の通知もない。スマートフォンを仕舞った彼女は少し落ち込んだような表情を浮かべてから、腕時計に目を落とす。進みの遅い時計の針に失望したように、もう一度本を読み始める。     「カット!」      影山のアドバイスをもらったシーンは劇的に良くなったので、やはり彼女は凄い。まだ二年生、二十歳になって二ヶ月というのだから、正直言って嫉妬してしまう。    彼女はたぶん、映画を撮る才能がある。自分の見ている世界を、美しく切り取る才能がある。      夜矢さんは慣れないながらもカメラの前で精いっぱい演技をしてくれた。可愛くて、優しそうな雰囲気で、ちょっと不器用そうな彼女の、ありのままに近い姿をカメラは捉え続ける。      二日間の撮影で、大学構内で撮りたいシーンは一通り撮影できた。後は電車を見送るラストシーン残すだけとなった。   「わー、なんだか照れちゃうなあ」      夜矢さんは今日撮った映像を見返しながら、照れて口元を隠している。     「そこは二テイク目を使おうと思うんだ。影山のアドバイスをもらったら、画面に動きが出たから」 「確かに、言われてみるとそうかも。でもやっぱり恥ずかし~」      夜矢さんはしおらしく髪の毛を触り始める。柔らかい毛先がくるくると彼女の指に巻き付いた。     「こないだの影山の映画さ、小さい映画祭だけど、賞を取ったんだ」 「そうなんだ。莉乃ちゃん凄いんだねえ」 「うん、凄いよね」      夜矢さんが観た影山の映画は、大学映画祭で特別賞を取った。彼女の才能が評価されたのだ。    映画を撮る才能。自分の見ている世界を美しく切り取る才能。  そして、人の心を動かす才能。      影山莉乃は、きっと、特別な人だ。  そして僕には、彼女のような才能はない。      普通の大学生は、夜矢さんではなく、僕の方だ。  才能なんてなくて、自分が特別だったら良いのにと思って、映画を撮ることで少しだけ背伸びをして。  だけど、僕はいつまでも、どこにも行けないんだ。 「この映画を撮って、僕は何がしたいんだろうな」      僕は独り言のように、何とも情けないことを言った。  大悟も藤岡も影山も今はいない。    僕のその言葉を聞いたのは、夜矢琴子だけだ。     「ふふ」      夜矢さんは、静かに笑いはじめる。僕は彼女の横顔をじっと見つめている。     「中村君、自分で言ってたのに。世の中の大抵の人が普通なんだって。誰かと比較したり、そんなことしなくていいじゃん」      夜矢さんはこちらを向いて、僕の目を真っすぐに見つめて答えた。 「それに、中村君はそうやって、自分の作りたい世界をしっかりと持っていて、それを実際に作ろうと頑張ってて。それってもう、結構すごいことだと私は思うよ」      僕は黙ったまま、彼女の視線を捉え続けていた。夜矢さんはもう一度、カメラの映像を見返し始める。     「私を誰よりも綺麗に撮ってくれるんでしょ?」 「……そうだった」 「それなら、私にとって中村君は、とっても特別だよ」      夜矢さんはにんまりと笑った。彼女も、凄い人だと、僕は思った。     *     「琴子ちゃんはこの道をまっすぐ進んでって、それを俺がカメラを横で回しながら追うから。で、踏切の前で立ち止まって、遠ざかっていく電車を見つめる。OK?」 「うん!」 「憲、ここナレーションは?」 「最後に電車を見つめるところで『この道は私に通じている。ずっと、先の未来の私に』って入る」      ナレーションの入るタイミングも確認して、みんなが最後の準備を整え始める。    大悟がカメラをしっかりと構えて、影山はマイクを準備しながらもう一度絵コンテを確認する。藤岡は歩行者が来ないか目を配らせて、夜矢さんは目をぎゅっと瞑って心の準備をした。      八月二十九日、十三時十五分。僕たちの映画の、ラストシーンの撮影が始まった。      人通りの少ない道に沿ってゆっくりと歩いていく夜矢さん。夏の終わりの風が彼女の髪を優しく揺らしていく。大悟のカメラが夜矢さんの表情を捉え続ける。彼女は儚げで、不安そうで、でも強い意志を持っているようで、そういう表情をしていた。      遠くで踏切が鳴り始める。夜矢さんはまだ歩いている。去っていく電車をみて、主人公はいつか、自分もどこかへ向かって歩きだそうと決意する。自分を自分らしくしてくれる何かを見つけに。夜矢さんはゆっくりと歩く。僕は彼女に自分を重ねた。この映画を撮ることで、僕は、僕らしくなれるのだろうか。      夜矢さんが立ち止まったので、大悟が彼女の表情をクローズアップする。踏切は既に遮断機を下ろしていて、かんかんと音を鳴らし続けている。そしてついに、地響きと共に、電車が踏切を通過する。       『この道は私に通じている。ずっと、先の未来の私に』        その時、僕は、息を飲んだ。      電車を見送った夜矢さんの頬を、すうっと、涙が真っすぐに伝っていた。     「……カット」      夜矢さんはゆっくりこちらを振り返って僕の方を見る。  僕も、大悟も影山も藤岡も、何も言わずに彼女の方を見ていた。       「ごめん、なんか泣いちゃった」       *      学園祭の上映を観に来た先輩達や他の部員達からは、思った以上に温かい言葉を貰った。「この映画は子供から大人になろうとしている全ての人に見せてやりたい」だなんて、何様だよって感じの感想だけど、それでも嬉しかった。      夜矢さんは「やっぱり自分で見るのは恥ずかしすぎる!」と言って隅っこの方で映画を観ながら、彼女の表情がスクリーンに大きく映るシーンでは、可愛らしく手で目を覆ったりしていた。      ラストシーンの夜矢さんは、主人公と気持ちがリンクしたのか、それとも夜矢さんの中で何か思うところがあったのか。本当のところは分からない。けれどこの映画を撮れてよかったと思う。夜矢さんも、そう思ってくれてたらいいな。     「中村君、ありがとうね! おかげですっごく楽しかった!」 「こちらこそ、ありがとう! 夜矢さんのおかげで良い映画が撮れた!」      打ち上げの帰り道、僕と夜矢さんはそう言って別れた。軽やかな足取りで、やがて彼女の姿は見えなくなった。学生最後の夏は、きっと忘れられない夏になる。       「憲さん」      と、夜道に名前を呼ばれて振り返る。  そこには、顔を赤くした影山が凛と立っていた。     「何?」 「私、憲さんの作る映画が好きです。一緒に映画を作って改めて思いました。悩んで、手探りで、自分で自分の事も分からなくなって、そうやって藻掻きながら、でも必死に前に進もうとするような、憲さんの作る映画が好きです」      影山は一息にそう言った。今まで思っていたことを吐き出すように、そう言ってくれた。     「ありがとう」 「だから止めないでください。自主制作でも何でもいいです。映画、作り続けててくださいよ。私の目標でいてください」      影山は小さな体を震わせながら、力強くそう言う。        才能のある彼女が、こんな僕を、目標にしてくれるのか。     「わかった。僕も、お前には負けたくないから」        僕は精いっぱい背筋を伸ばしてそう言った。  彼女は顔を上げると、まだ赤い顔のまま、続けて僕に言う。       「あと、もういっこだけ、言わせてください」 「うん。なに」     影山の顔が更に赤くなる。 「私、憲さんが好きです」  彼女の言葉が僕の頭に巡る。そして僕も、気が付けば顔が赤くなった。     「憲さん、好きです」        彼女はもう一度、力強くそう口にした。        僕はゆっくり、彼女の方へ一歩、歩み出した。      
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