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5 松岡 玲奈 まつおか れいな
「好きな人ができた!」
高校を卒業して以来、久しぶりに会った哲太は開口一番にそう語った。
「へー、今度はどんな子?」
前に好きだった子は確か何とかってアイドルグループのセンターの子にちょっと似てた。その前の子はそんなに美人ではなかったけど、運動が得意で誰にでも気さくに話しかける子だった。哲太は昔から色んなタイプの女の子を好きになる。哲太は友達も多いし、慕われる先輩後輩も多い。きっとどんな人に対しても、好きになれるところを見つけるのが上手いのだろう。まあ、だからいつも友達どまりで振られるんだろうけど。
「実はバイト先の社員さんでさ~!」
「え、年上?」
哲太はへらへら笑って返事をした。浅黒く日焼けした肌が夏を過ぎても捲られた袖から露出する。彼の元気な性格をこれでもかと濃縮したような容姿だ。
哲太は大学近くのCDショップでアルバイトをしている。流行りのアーティストの最新のアルバムから、クラシックやジャズのCDや譜面、さらには楽器も売っていて、ギターや管楽器、ピアノも沢山並べられている。あたしにとってはCDショップだけれど、他の人にとっては楽器屋だったりするのだろう。街の音楽好きが一同に集まるようなお店だ。哲太は音楽を聴くのも自分で弾くのも好きだから、きっと今みたいな笑顔で働いているに違いない。
「その人の写真とかないの?」
「あ、待って、たぶん探せばある。夏に懇親会あったからさ」
哲太はがさがさと鞄からスマートフォンを取り出す。ポケットにスマートフォンを入れないところが彼らしいと思った。
哲太のスマートフォンにおそらくバイト先の人たちの集合写真が表示される。彼が指さしたのは、一番右端で、小さくピースを作っている女性だった。
あれ?
あたし、この人、どっかで見たことある気がする?
「可愛いじゃん! え〜今度見に行くわ〜」
「おお来い来い! 紹介してやるよ!」
あたしはもう一度哲太のスマートフォンの写真を見る。どこで見たんだっけなあ。
*
「……いや、マジで来るのかよ!」
週明けの月曜日、授業まで時間があったから、有言実行。哲太のバイト先に足を運んだら、シャツの上にお店のエプロンを着込んだ哲太がぼけっと働いてた。
「だって来いって言ったじゃーん!」
「言ったけども!」
「どこ? 例の人はどこ?」
「ばか! ちょっと静かに……」
「もしかして、伊藤君の彼女さん?」
と、哲太の後ろから私たちに向かって、思いもよらぬ言葉が届く。
あたしは彼女の顔を見る。そして次に、無遠慮に、彼女の胸元のネームプレートに目をやった。
夜矢さん。
む。
やっぱりどこかで聞いたことあるぞ。
「いや! 彼女じゃないっすよ!」
「幼馴染でーす! お仕事のお邪魔ですよね。うるさくしちゃってすみません!」
「そんなことないですよ~。今日はお客さんも少ないから。ゆっくりご覧になって下さいね!」
哲太は照れているのか何なのか、顔を赤くして珍しくおどおどしている。いやーごめん哲太。まさか彼女と勘違いされるとは。あたしが可愛いばっかりに。
夜矢さんはにこやかにあたしに微笑んでまた管楽器のコーナーに戻っていった。小さな背中をしっかり伸ばして、つま先を持ち上げるように歩いていく。肩に掛かりそうな長さの上品な茶髪は、毛先がふわふわと揺れている。
「夜矢さん」
「え、なんで名前知ってんの?」
「ネームプレート、見えた」
よるやさん。
記憶の中をさかのぼってその名前を検索してみるけど、全然思い出せないな。
「哲太、好きそうな人だね〜!」
「だから声がでけえって!」
必死な哲太が面白くて、あたしはお店に迷惑にならないように、哲太をからかい続けた。
*
「へえ、哲太また好きな奴できたんだ。あいつも懲りないね〜」
「ね! こないだバイト先まで見に行ったよその人! なんか大人の女性って感じの人だった~」
舞とは高校の時からの付き合いだから、哲太の事もよく知っている。哲太が女子を好きになるたびにあたしと舞で応援したり、半分冷やかしたり、それで振られたらいつもあたしの家の近くにある公園に行った。だだっ広い公園の端にあるオレンジ色の長ベンチで、くよくよしている哲太に活を入れてあげた。あたしたちはそういう関係だった。
舞とあたしはドリンクバーのコーヒーを飲みながら勝手に哲太の恋バナを始める。哲太は見た目は悪くないんだけどねえ。舞はあたしを見ながらいつもそう言う。そしてあたしもいつも通りに言う。彼氏って感じじゃないよねー。
「二十四歳ってことは、あんたのお兄さんとタメじゃない?」
「まじ!? ほんとだ! えーあたしだったら無しだわー」
「えーなんでいいじゃん年上」
舞はにやにや楽しそうにあたしに尋ねて来る。二十四歳、兄貴の姿を想像すると、やっぱ年上過ぎて無理だなと思った。
「玲奈、専門学校に良い人いないの?」
「無理、美容師見習いにあたしの青春は捧げられませーん」
青春って!舞は笑いながらもう一口コーヒーを飲んだ。たかが高校を卒業したくらいで、簡単に青春が終わってたまるか。そう思いながら、あたしも残りのコーヒーを一気飲みする。
専門学校には色々な人がいる。夢を持ってそれを叶えようと必死な人や、先生や周りの人に負けないように努力を続ける人。みんながみんな、手に職を付けて一人前になろうとしている。これもきっと青春の一つの形だと思う。
彼氏も彼女も大事だけどさ。なんか、今のうちに手に入れておきたいものって、他にもいくつかあると思う。
「まあ玲奈は中途半端な男と付き合わないでほしいわ」
一人だけ彼氏持ちの舞が上から目線でそういうけれど、その言葉に悪気が無いのが伝わる。ほらやっぱり。彼氏よりも、友だちがいる方がずっと嬉しいもんね。
家に帰るとその兄貴から連絡が来た。今は一人暮らしをしているけれど、今度久しぶりに家に帰ってくるらしい。別にどっちでもいいんだけど、兄貴がいると家族の雰囲気は一気に明るくなる。全然頭も良くないし、勤め先も良くわかんない中小企業だし、別にイケメンでもないし。
でもそういうところは素直に凄いなと思う。
「兄貴、今度帰ってくるって」
「あら、そう。いつ?」
夕飯を作る母さんが普段より一段階は高い声で返事をした。
母さんの肉じゃがの匂いが、ぶわーと部屋に広がっていく。
「再来週だってさ」
「はーい、久しぶりねえ」
兄貴が一人暮らしを始めてからはほとんど会っていない。別にこの歳になって嬉しいも寂しいも感じないけど。でも兄貴がいる時の家は、なんていうか、すごく好きだ。ずっとここに居てしまいたくなるような家になる。
ポケットの中でまたスマートフォンが揺れた。がさごそと、ポケットからそれを取り出す。
『俺、やっぱ夜矢さんに告るわ!』
哲太からのメッセージが目に飛び込んでくる。
哲太の打つ文章は、いつも彼の元気な声で頭の中に再生される。
そんなことまで律義に連絡しなくていいっていうのにさ。哲太の笑ってる顔を想像すると、こっちまで笑ってしまう。
頑張れ哲太。
と、返事をするのは恥ずかしかったので、猫のスタンプを三つ連続して、哲太に送り付けた。
*
実習室に集まった学生はみんな、短い授業の中で自分の才能を探している。もしくはそれを補うように努力を塗り重ねていく。この実習室の中で一番になれれば自分の夢に近づくからかもしれない。それは同時に、この実習室で芽が出なければ、きっとこの先も何一つ実を結ばないという事かもしれない。
今日の講師はこの学校のOBで、南青山で店舗を構える現役の美容師だ。雑誌やSNSでも顔を見るような人が、あたしたちを同業者を見る目で指導する。季節はもう十月になっていて、入学時と比べてたぶん二割くらいの学生が既に夢を諦めた。あたしは必死に手を動かし続ける。
シャンプー、ブロー、カット、カラーリング、セット。
どれも難しいけれど、それぞれに奥深い面白さがある。やっぱりあたしはこの学校に来てよかった。好きな事を仕事にできるのなら、それはなんて喜ばしいことなんだろう。
哲太は好きな人の良いところを沢山見つけられる。
けれど、あたしだって、自分の好きなことだったら、その好きなところをたくさん思いつくことが出来るんだ。
「襟足が甘い! やり直し!」
「はい!」
あたしはもう一度コームとハサミを持ち直した。
これでいい。
これが、あたしの青春だ。
*
「お疲れさん! こんな時間までやるんだなー」
バイトが休みの哲太とあたしは、学校の近くの居酒屋で落ち合った。一日の授業でくたくただけど、哲太と一緒にいたらその馬鹿みたいな元気さを分けてくれそうな気がする。
「哲太さ!あんた、夜矢さんのどこが好きなの?」
「なんだよ急に!」
「いいじゃん! 教えてよ!」
焼き鳥の盛り合わせを箸で串から取り分ける。一口分の焼き鳥は他のどの料理よりも、頑張った一日の終わりに合う料理だ。
哲太は夜矢さんをデートに誘うらしい。来週の日曜の夜はシフトが哲太と夜矢さんだけだから、その時に映画に誘ってみると言った。何の映画にするのかあたしが尋ねたら、それはこれから決めるって言った。全く、あたしならそんな奴からのデートの誘いはお断りだぜ。
「好きになるのに理由なんてないだろ」
「えーなにそれつまんない。じゃあ十個好きなところ挙げて!よーいはい!」
「えっと、優しそうなところだろー、しっかりしてて大人っぽいところだろー……」
いやそれは言うのかよ!好きな人がいる時の哲太はツッコミどころが多くて好きだぞ。
哲太は良いやつで、友達も多くて、優しくて、でもこれまで彼女が出来たことがない。中学二年生の時に好きだった子には他に好きな人がいるって言われて振られて、高一の時に好きだったバスケ部の先輩には告白もできないまま卒業されてしまった。哲太は好きな人が出来るのと同じ数だけ、胸が痛む失恋を経験している。
もし仮に、あたしと哲太が幼馴染じゃなくて、もっと違う形で出会っていたとしたら、哲太はあたしの事を好きになっただろうか。
それはまた、逆も然りだ。
違う形で出会っていたら、あたしは哲太を好きになっていたのだろうか?
「今いくつ?」
「あと二個!」
「あとは……顔が可愛い!」
「あと一個!」
「髪型が可愛い!」
十個の好きなところを挙げ終えた哲太は、グラスに残ったビールを一気に飲み干す。
あたしは最後の一口のぼんじりを食べた。口の中の隅々まで、心地よい油が染みていく。
*
「お、久々」
「おいっす」
日曜日の夜、兄貴が帰った来た。
事実だけ述べればそれだけの事だけれど、いつもよりちょっとだけ夕飯が豪華なところを見ると、なんだか今日はいい日だと思う。時計は二十時を指している。
兄貴が職場の話や同僚の話を楽しそうに話すと、母さんも嬉しそうに笑った。兄貴はちょっとだけ、哲太に似ていると思う。楽しいことを見つけるのが得意なところとか、たくさん笑うところとか。
「お前はどうなの? 専門」
「やー楽しいよ。疲れるけど」
夕飯を食べ終わった兄貴はベランダへ煙草を吸いに行こうとする。スマートフォンを見ながら、もしかすると彼女とLINEをしているのかもしれない。会うたびに違う子と付き合う、ふしだら兄貴。こういうところは哲太と似てねぇな。
「いいじゃん、いろんな奴に会っといた方がいいぜ」
スマートフォンに文字を打ちながら兄貴はそう言った。
彼女も彼氏も友人も、人と人とは一期一会。袖振り合うも他生の縁。
「あ、ねえ」
「ん?」
兄貴はスマートフォンから目を離す。あたしは兄貴に尋ねる。
「夜矢って人、知ってる?」
「琴子ちゃん?」
よるや、ことこ。
兄貴の知り合いだった。
「あたし、会ったことある?」
「俺が大学の時、映画撮ったじゃん。ほら、お前も学園祭に見に来てたやつだよ。それに出てた子。え、何?なんで?」
ああ、そうだ。
夜矢琴子。
あの映画の主人公の人だ。
「琴子ちゃん懐かしいなー。ラストシーン、俺が横でカメラ回しててさ、振り返ったら泣いてたんだもんよ。あれはびびったよな」
兄貴はあの映画の最後のシーンを思い返す。あたしは哲太の顔を思い浮かべる。夜矢さんをデートに誘う、夜矢さんに告白する、哲太の顔を。
「確か、付き合ってた奴が、海外に行った時の事を思い出しちゃった、とか言ってさー。あれ、琴子ちゃんってまだそいつと付き合ってるんだっけ?」
なんだよそれ、知らないよそんなの。
知らないけどさ、
もしそうだったら、そんなの、あんまりだよ。
ぶぶっ、と、マナーモードのスマートフォンが揺れる。
取り出すあたしの手も、震えている。
『ダメだった~! いや~ショック!』
なんでだよ。
『明日授業までヒマ? 久々にあの公園行こうぜ!』
こんな時まで、へらへら笑わなくたっていいんだよ、哲太。
*
次の日、月曜日なのにバイトを休んだ哲太は、約束通り公園の端にあるオレンジの長ベンチに座っている。昔から、哲太が女の子に振られてくよくよするたびに、活を入れた公園だ。
哲太は昨日、夜矢さんに告白した。俺は夜矢さんのことが好きだから、良かったら一緒に映画を見に行きませんか?哲太はそういうふうに告白したらしい。大学の時から付き合っている彼氏がいて、遠距離恋愛だけど今も続いていて、だから伊藤君とデートはできない。哲太はそうやって振られた。
「しゃきっとしろーい!」
「いやーマジでショックだわ! 俺ってホントに彼女できねえよな~」
哲太は分かりやすく、から元気で答える。あたしも励まそうと明るく振舞ってみたけどすぐに二人して静かになってしまった。
「俺ってさー、思うんだけど」
哲太はベンチにもたれかかって、空を仰ぎ見る。秋空はまっすぐ晴れ渡っている。
「人を好きになるのは得意なのに、人に好かれるのは苦手なのかなあ」
十月の風は思ったよりも寒くない。そのくせ耳障りな音を立て続ける。
哲太は真っ直ぐ上を向いて、体の力を全部抜いて、人生悟ったようにネガティブになっていて。
まるでこの世界に独りぼっちになってしまったかのように、ため息交じりの吐息を吐き出す。
そういう、全然らしくない哲太。
の、がら空きの腹筋を、あたしは力いっぱい殴った。
「痛ってえ!」
「女の子に惚れっぽいところ!」
哲太は体を跳ねるように起こしてこっちを見る。
「はっ?」
「いっつもへらへらしてるところ! いっちょ前にへこむところ! 振られたくせに強がるところ! 付き合ってもないのにのろけるところ!」
あたしは決して、哲太の方を見ない。
「馬鹿なところ! 真面目なところ! 寂しがりなところ! 情けないところ!」
哲太の方を向いたら、あたしが先に泣いてしまいそうだ。
「でもちゃんと告って振られたところ!」
哲太の代わりになんて、泣いてやるか。
「十個! 哲太の良いところ! ちゃんと十個あるぞ!」
好きなことなら、私だってたくさん思いつく。
私がたくさん思いつくのは、私の好きなことだけだ。
だからしゃきっとしろ、哲太。
「あたしは哲太の事好きだぞ! だから、好かれるのが苦手とか言ってんな!」
あたしは息を切らせながら顔を上げて哲太の方を向く。哲太は驚いたような、救われたような表情を、また、得意のへらへら笑いに変える。いつも通りの、へらへら笑顔に。
「お前、好きって、友達としてだろ!」
「当たり前でしょ! 自惚れんな!」
公園の端、オレンジ色のベンチにあたしと哲太の声が響く。
つむじ風の不快な音は、あたしたちの声にかき消される。
「わかった!哲太の髪、あたしが切ってあげるよ!失恋したらばっさり切るもんだよ!」
「それ女だけだろ!」
「でた! 男女差別最低!」
哲太は腹の底から笑っていた。あたしも笑った。
彼の瞳を濡らしたのは、振られて流した涙じゃない。
きっと、あたしが笑わせてやった、笑い涙だ。
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