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その答え合わせができたのは存外早かった。返却日にまたあのショップに行ったとき、あのおじさんを見かけたからだ。私の失礼極まりないイメージに反して、おじさんは店長と和やかに雑談をしていた。
「こ、こんにちは~……」
「ああ、こんにちは」
「おや、キミは前にもここにいた子かな」
「え、なんで知って……」
「こんな辺鄙なレンタルショップに、制服の女の子がいたから気になってね」
「辺鄙で悪かったですねえ」
おじさんの言葉に店長が笑う。店長は私の返却バッグを受け取って、今日も手際よくDVDを読み込んでいく。
「そうだ、この子アナタが毎回同じのを借りてくのは何でだって、気になってるんですって」
「ちょっ……店長!」
「ああ、そうなの?いいよ、大した理由でもないからね」
「……そうなん、ですか?」
「うん。おじさんの昔話を少し、聞いてくれるかい」
私はこくりと頷いた。おじさんは今日返却して、そして今日もまた借りていくのであろう3つのDVDを私に見せてくれた。1つ目は、女の子のシルエットが描かれた、「哀」のコーナーにあったのだろう、悲しい記憶。タイトルは「親の不在」。
それから2つ目は、痩せ細った女性が顔を覆って泣き崩れている「シングルマザーの苦悩」。3つ目は、おじさんがしっかり掴んでいてタイトルがよく見えないが、「怒」の記憶コーナーの目印になる赤いシールが貼られていた。大した理由ではないとおじさんは言うが、正直、とんでもないおじさんの性癖が語られるのではないかと恐怖した。
「この店にある記憶はみんな、誰かの捨てた記憶だっていうのは知っているよね」
「そう、聞いてます」
「この2つの表紙にいるのはね、おじさんの娘と妻だった人なんだ」
「え……」
「まあ、もう離婚しているから元娘と元妻なんだけれどね」
身構えていた妄想がガラガラと音を立てて崩れ、代わりに現れたのが、ここにあるものは皆誰かの本物の記憶だという事実だった。おじさんが嘘をついているようには見えなくて、予想もしていなかった話にわかりやすく狼狽えてしまう。おじさんはそんな私を気にも留めず、優しく笑って話を続ける。
「わかるかな。親の不在は、つまり僕の不在。この子は父親であるおじさんがいなくなって、悲しいという記憶をこの店に置いていったんだ」
「じゃあ、シングルマザーっていうのも」
「そう、おじさんの奥さんだった人が親権を持っていったから、シングルマザーとしての辛い記憶をここに置いていったことになるね」
「……よく見つけましたね」
「はは、おじさんも驚いたよ。けれど、この2つが並んでいるのを、自分の記憶を全てなくす前に気づけて良かった」
「どうして、そんな記憶を?」
「忘れないためだよ。……たとえ本人が辛く、忘れて置いていきたい記憶だとしてもね」
パッケージの二人を見つめながら、ひどく穏やかな声音でおじさんはそう言った。ひょっとして、贖罪、なのだろうか。何かしらの理由で別れてしまった、娘と奥さんに辛い目に遭わせてしまったことを悔いていて、それで罪滅ぼしのために繰り返し、記憶が薄れないようずっとこれらを見続けているのだろうか。
離婚の事情などに踏み込むほど無神経ではないが、何か複雑が事情があるのかもしれない。おじさんなりの考えが合ってのことなのだろう。けれど、だとしたら、パッケージを見つめる目はあまりに静か「すぎる」ように思えた。
「その、教えてくださって、ありがとうございます。……すみません、失礼なこと聞いてしまって」
「ふふ、いいんだよ。マニアックだとはおじさんも思っているからね」
顔をあげたおじさんは、やはり最初の印象通り穏やかなおじさんだった。その表情につい気が緩んで、私も笑みを浮かべてしまう。
「……ちなみに、3つ目の記憶は誰の記憶なんですか?」
「うん?ああ、おじさんの記憶だよ」
「え?」
2枚のDVDをバッグにしまい、おじさんは赤いシールのついたパッケージを照れくさそうに見せてくれた。真っ黒なパッケージには、赤色で縁取られた黒い誰かの影が描かれている。おどろおどろしい、きっとおじさんも置いていきたい記憶だったはずなのに。どうしておじさんは、これを見つけてしまったのだろう。
タイトルは、『恨み』。
「この2枚の記憶を見つけたとき、どうして近くに自分の記憶もないんだろうと不思議に思ったんだ。自分はどうして思い出せないんだろうって考えてね。……けれど初めてこれを見たとき、ようやく気がついたんだ。おじさんの記憶は「哀」なんかじゃないって。ようやく見つけたときの嬉しさと言ったら!おじさんはね、もう忘れてしまったんだけれど、だからこそこれを見て思い出すんだ」
おじさんは、なんてことのない世間話のように話してくれた。おじさんがイメージ通りの平凡な会社員だったこと、それでも家族のために、一生懸命働いたり、帰ったら家事に育児も手伝っていたこと。家族との幸せを願って努力して、それでも裏切られてしまったこと。
よくある話だね、とおじさんは笑った。
「気づいたのは、おじさんの貯金が0になってからでね……ああ、そうは言っても、おじさんは覚えていないんだけどね。この記憶によると、おじさんの元妻はね、おじさんとは違う男に貢ぐために、貯金に手を出し借金を膨らませ、加えて家のことも仕事もろくにしていなかったんだ。だから、おじさんが娘のご飯を作ったり、仕事の合間に買い物にも行ったりしてね。……笑えるだろう、その頃にあの女はせっせとよそで男と酒を飲んでいたんだ。
そのくせ、娘には「パパがお金をくれないからご飯がない」だの、ありもしないことばかり吹き込んでね。どれだけ頑張っても、娘はわかってくれなかった。幼い子供とはもう呼べない年齢だったのにね。わかってはもらえなかった。愛していたのに、グレてしまった娘に「死んで保険金ちょうだいよ」なんて言われ続けるとね、たとえ自分の子供でも愛せなくなってしまうんだ」
だからおじさんは、まずこの恨みを思い出すのだとパッケージを撫でながら言った。そうして、離婚後にいかに元奥さんが、元娘さんが、どれほど苦しい生活を強いられたのかを残りの2枚でしっかり見るのだという。タイトル通り恨みを絶やさず、ずっと同じDVDを借り続けて、思い出してはまた借りてを続けているのだという。もう、5年になるとのことだ。
「だから、初めてここでこの3枚のDVDを揃えたときは嬉しかったなあ」
「……」
「お嬢さんは、自分のお父さんやお母さんは好きかな?親はね、基本的には子供のために頑張れる生き物だけど、少しだけ、大事にしてくれると嬉しいね。それじゃあ」
おじさんの姿が見えなくなって、ようやくひゅう、と喉に空気が通って噎せてしまう。人の不幸は蜜の味と言うが、あそこまでおじさんを歪めてしまった記憶が恐ろしくて仕方なかった。
「店長、」
「だから言ったろう?人のレンタルしたものに興味を示すものじゃないと」
「その、なんて言ったらいいか、わからないんですけど」
「ここにある記憶の持ち主は、その記憶だけはどうしても思い出せないものさ。たとえ、自分の記憶を見つけたとしてもねえ」
「……じゃあ、おじさんはどうしてあれを見つけたんですか……?」
「さあ?恨みの記憶以外は持っていたんじゃないかなあ」
だとしたら。
だとしたら、離婚に至る理由だけを忘れた状態で、家族の悲しい記憶を見つけたことになる。おじさんは大好きだった家族と離れて、その理由も思い出せないまま、家族が苦しんだ事実を目の当たりにして。恨みを忘れたのなら尚更、どうして自分の忘れた記憶が、怒のコーナーにあると思い立ったのだろう。そこに至る元家族の記憶は、おじさんの話から想像するのもはばかられた。
「言ったろう。他人に笑ってくれた方が、ここに映った悲劇の誰かも救われるというものだよ」
「……」
「……キミは、思い出さないといいねえ」
「何を、ですか?」
「決まっているだろう?思い出せないここに置いていった、自分自身の記憶さあ」
おじさんの静かすぎる目と、店長の言葉に肌が粟立つ。店長はいつも通りのうさんくさい笑顔で、DVDの掃除を始める。
「彼は思い出せないはずの怒りを、ただの映像から膨らませて延々とループするんだ。妻と娘はさっさと忘れて、おそらくは新しい生活を歩んでいることだろうに。その先の記憶は知り得ないが、忘れたい記憶は蓋をしておくに限る。店長はそう思ってるんだあ」
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