05_瑚乙音と茉奈

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05_瑚乙音と茉奈

 2022年4月20日午前7時 「! 」  わたしは驚きの中で目を覚ました。  猫? 猫に襲われた? それとも戦艦にいたような気がする。  わたしは自分のベッドの上にいる。何故か寝汗でびっしょりだ。まだ、3月だというのに。体調が悪いのかな。  夢に出てきた猫に、思い当たるふしはない。いや。近所でも知り合いの猫などいない。本当に猫の夢を見ていたのかな。何度思い返しても、現実のこととは思えなかった。  スマホの目覚ましアラームが鳴りだした。  反射的に止める。いつもの朝の動作だ。  そのままスマホの別のアイコンを押す。  オープニング画像が現れる。同時にデータ受信が始まる。 「無敵艦隊 姫提督の野望XXI」  データ受信が終了するとBGMがスタートし、海図が表示される。 「……」  確か今朝4時までわたしは自軍の海軍基地をメンテナンスしていた。  完全なメンテナンスをした筈だが、何故かもくもくと煙が上がっている。  不安な気持ちで画面をタップする。……これはひどい。  確認すると、わたしの保有する艦隊はほぼ全滅していた。  防御履歴を調べると、犯人はマップ上でご近所のほぼ同時期にゲームを始めたプレーヤー。  これで3度目の焼き討ち……。  顔の見えない相手にイラっとする。このような執拗な攻撃。相手は絶対女だ。経験的にそんな気がした。 「朝から軽くホラーなんだけど……」  すでに攻撃者とのレベル差は10以上。  多分、反撃しても返り討ちにあってしまうのは確実だ。何もできない自分が恨めしい。  わたしの持つ戦力は、原子力空母1隻と駆逐艦5隻。自動修復されるのはルール上16時間はかかる。  大切にしていたのは、ゲーム内の無料ガチャで奇跡的に得られた原子力空母だ。  なぜだかこの空母を守るだけにわたしはゲームを続けている。  それと、ゲーム内で女子の友達はつくってこなかった。いつ敵味方になるか分からないからだ。変な友情が芽生えれば、何かあった時、メンタル的に面倒だ。  このゲームは、友情などの柵がない分、いつでも削除できることだけが私の救いだ。  ……でも、課金すれば奴に報復できる。 「うーん。無課金では、もう限界……だね」  しかし、今までのわたしの苦労はなんだったのか。これまでかけてきた時間のことを考えると、だらだら続けてしまった自分が恨めしい。  根が戦艦好きの隠れ軍オタ女子だからだろうか。  一度課金すると癖になり、課金廃人となった同級生の娘(コ)を何人か知っている。課金のためにバイトを始めた。収入は最低限の生活費を残し、残りは、ほぼすべてを課金につぎこんでいる。電気代も節約して、電灯もつけない薄暗いアパートで生活している。  聞いたところ乙女ゲーに嵌まっているらしい。多分イケメンに囲まれた乙女ゲーで幸せな夢を見ているのだろう。それなりに幸せなんだろうけど。  でも、ああはなりたくないなと、そのコを見るたび思ってしまう。  わたしも同類の予備軍なのだろうけど。しかし黒煙渦巻く艦隊戦に嵌まるのは、乙女としてどうなのかとも考えてしまう。                 ◇ 「瑚乙音ぇ」  母の呼ぶ声がする。どうやら朝食のようだ。ベッドから起き上がると、階段を降りる。 「はーい」  わたしは、名越瑚乙音(なごえ ことね)。豊島大学社会学部の2年生だ。  今日は大学の図書館に用があり、電車に乗るため駅のホームに立っている。  ふいに後ろから声がかかった。 「コ・ト・ネっ」  振り向くと、顔の大半をマスクで覆ったコが立っている。ウェーブのかかったきれいな黒髪セミロング。眉はきれいに揃えられ、お化粧もしっかりしているのが分かる。わたしとは対照的だ。 「えーと? 」 「マナだよ」  ちょっとだけマスクをずらす。近所に住んでいる金沢茉奈(かなざわ まな)だ。彼女は中学まで一緒だった。彼女とは進路が違い、高校進学時から疎遠となっている。それでも、母から中央線沿線の東京文芸大学の教育学部に進学したことは聞いていた。  わたしは、身長170cm。ストレートの黒髪セミロングに前髪ぱっつん。できるだけ、顔が見えないようにしている。眼鏡とマスクのおかげでお化粧する部分も少なくて済む。服装もおしゃれな娘が多いガッコウだけに、競争しても自己嫌悪に陥るだけなので、無難なものでまとめることにしている。  久しぶりに会ったマナは、身長165cmくらいかな。スタイルがいい。出るとこは出てるし。かわいめのファッションでまとめている。 「ひさしぶりだねー」  と、マナ。  パンデミックの影響で、わたしもマスクをして歩いているけど、よくわたしだと分かったものだ。人を遠目から見分けることのできる先生になれる素養を持っているのかもしれない。 「ガッコウ? 」 「うん」 「じゃ、新宿まで一緒だね」  電車がホームに到着し、ドアが開く。わたしたちは乗車する。  席はこの時間としては空いている。  パンデミックエチケットで、マナが小さな声で話しかけてくる。 「最近何してるの? 」  ソーシャルゲームを始めたなんて言えない。最近、これと言って何かしているわけでもないから会話は続かない。わたしは車窓から景色を見て答えを考えるが、この場を取り繕える良い回答は出てこない。 「特には……」 「ふーん。私はサークルに入ってるよ」  話しの内容から、ソーシャルダンスをはじめたようだ。なるほど、お化粧に気合が入っているわけだ。  わたしはお貴族様が宮殿でドレスを着てくるくる回るダンスを想像した。気障(きざ)な男の人が多くいそうだ。マナはべたべた身体を触られても大丈夫なのだろうか。 「大変だよ。今度大会があるから、後輩指導と準備で忙しいんだ」  どうも今日は競技ダンスの練習で学校にいくらしい。   「コトネもやってみる?うちのサークル紹介するよ。感じいいコもいるよ」 「無理」  即答する。わたしはダンスどころか、盆踊りもあやしい。何しろ身体が硬い。  ドレスを着ようにも、ここのところのオンライン授業で少しお腹が出てきたような気もする。  競技ダンスは衣装にもお金がかかりそうだし、親に高額な学費を出してもらって私大に通うわたしには所詮無理な話だ。別世界の『おはなし』として聞いておこう。  電車が止まり、ドアが開いた。 「じゃ。わたし行くね」  駅に着くと、彼女は小さく手を振り、スカートを翻しエスカレータを駆け上っていく。案外、たくましい。  わたしは彼女の後ろ姿を見送った。  さて、わたしもガッコウに行かないといけない。  新学期で受講申請した授業の下調べを図書館でする予定なのだ。本当は何か、別の理由もあるような気もするが。それが何かいくら考えても思い出せないのだ。それも、今日でなければいけない何かがある。  電車から外の景色を見つめながら、憂鬱な気分から抜け出せない自分がいた。
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