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秋になった。病院の空調が温度を一定にしてるので、院内には季節感というものがほとんど無い。窓から秋の植物が見えるだけだ。
5歳年下の女性患者、城町奈々はオシャレに余念が無かった。彼女は仁が一人の時を狙って接近してきた。案の定、打ち明け話。
「お母さんに愛されているか、わからないの」
「それは、お母さんに話そう」
「あなたは愛されたでしょ?」
「それはどうかな」
「え〜っ、愛されていたよお! 私、わかるもん」
「僕はあなたが嫌い」
彼女が凍りつく。
「そういう人だったんだ! 騙されたよ!」
仁に貢物を持ってくる女性患者、中原南。こちらは太めの年上。
「仁! ミカン好きでしょ! 買ってきたよ」
「いらない」
「ええ? じゃあこれ、どうするの? 仁のために買ったのに」
「知らない」
「そんなあ!」
その後、南はミカンを食べ歩いて周囲に説明する。
「仁が食べてくれないから腐っちゃう。どうしよう、私が食べたら太っちゃうのに、仕方ないなあ。仁が食べてくれないから、仕方ないなあ、私が欲しいわけじゃないの。仁が食べてくれないから腐っちゃうでしょ。仕方ない、仕方ないなあ」
翌日、南がメロンを貢いでくる。
「いらない」
「だって、仁のために買ったんだよ」
「勝手にして」
「どうしよう、太っちゃう。仁が食べてくれないから腐っちゃう、どうしよう、私が食べたら太っちゃう」
南はモリモリメロンを食べた。
翌日はブドウを貢いでくる。
「いらない。勝手にして」
南が他所で吹聴して食べ歩く。
「ねえ、聞いて?仁が食べてくれないの。どうしよう、腐っちゃうでしょ?どうしよう、仕方ないなあ」
モリモリブドウを食べる。
奈々が仁を攻撃。
「いいよねえ、カマトトはあ、みんなに貢がれてさ! ホントはお腹の中、真っ黒なんだよね!」
男性患者、畑本智也は30代。小太りでシルバーのアクセサリーを好むらしかった。かといって、ピアスの穴を開けるほど見た目には打ち込んでいない。ゲームの話が大好き。
「仁、これあげるよ!」
また貢物。最高級ブランドのバスケットシューズ。仁は首を傾げた。
「バスケ、やらないよ?」
「オシャレにだよ。カッコいいだろ?」
仁は首を横に振る。
「こんな高価なもの、怖くて受け取れないよ」
「じゃあこれ、どうするの?」
「知らない」
「そんなあ!」
翌日、智也は、貢物にならなかったシューズを履いて病棟内を歩いていた。若い女性患者がそれを見つけ、黄色い声をあげる。
「ダッケンのシューズじゃん! すっごい。それ、どうしたの?」
智也は説明した。
「仁にプレゼントしたけど、履いてくれなかったんだ。仕方ないから履いてる。履かなかったらシューズが可愛そうだろ」
「サイズは?」
「偶然、仁と同じなんだ」
智也は金持ちらしく、三日後も仁に最高級シューズを貢いできた。
「じゃあこれ、どうするの?」
「勝手にして」
仁に突っ返されると、智也はまた「仁が履いてくれないから」と周囲に説明して、シューズを履いていた。
奈々が仁を中傷。
「いいよねえ、愛された人はあ! 本当なお腹の中、真っ黒なんだよね!」
そこへ南の兄、北斗が妹の面会に現れた。ある瞬間、妹を平手打ち。
「仁は食べてないじゃないか。自分が食べたいだけだろ!」
「私は仁のために!」
「仁に謝れ!」
患者家族の北斗まで、仁のファンになっていた。兄妹で取っ組み合いになる。
「仁に謝れ!」
「私は仁のために!」
そのうちに、病棟各所で『仁のための』暴力が激化する。
若い女性看護師を、壮年男性患者が革ベルトで打ち据える。
「仁に謝れ」
「ごめんなさい、仁、ごめんなさい、ごめんなさい」
「仁はそんなことじゃ許さないんだよ!」
「ごめんなさい、ごめんなさい、もうぶたないで、仁、仁、許して」
「仁は、許さないって言ってるんだよ!」
現代の聖職者にこんな現象は起こらないが、実在する生き神や、昔の天皇はこんな感じのはず。偶像崇拝とはこういうもの。
二週経つ頃には、仁はトイレで吐く事になった。彼はトイレットペーパーで口をぬぐった。
――オレの経歴、調べ尽くしてる……。落ち着け、ここは友の会。実際の社会じゃない。
トイレから出ると、高齢男性の患者家族が彼を待ち伏せしていた。
「あんたのせいで、うちの娘は一生癒えない傷を負ったんだ。顔にだよ。許さないからな」
別の場面で仁を睨むのは、老衰した男性患者。背骨は曲がり、歩くのにも立つにも杖を頼っている。
「私は君を認めない。みんな『仁、万歳』と言って、死んでいったんだ」
奈々が続く。「一人だけぬくぬくと貢がれて」
3周目。仁の周りに展開される暴力の数々。
――疲れた。もう死のうかな。
冬になった。病院一部のエレベーターが故障。朝食の時間になると、厨房職員達が専用通路の階段を登って食事を運び込んで来た。
患者達は監視はあったものの、厨房職員に協力し、踊り場で食事を受け取っていた。
七階から声。
「あっ、間違えちゃった」
「何のこと?」
六階踊り場にいた仁は、知ったような女声に首を傾げる。
その時、七階から、割烹着姿の女性厨房職員が、あろうことか階段の手摺に座って、滑り落ちてきた。
「仁さあぁぁぁぁぁぁん!」
仁は食事を放り出し、脊椎で彼女を受け止めることになる。現れたインベーダーに度肝を抜かれ、尻もちはしてしまったが、たまたま横抱きになった。
「由美さん!」
「6階でしたか。良かった、生きてた!」
由美が破顔する。階段は職員と患者でごった返していたため、空いてる手すりを滑って来たらしいが……。
彼女は、騒然と取り巻いている病院構成員を睨んだ。
「よくも仁さんをいじめましたね」
由美は取り巻きに向かって、懐から出した何かを投げつけた。
煙幕。
由美の声。
「こっち!」
彼女が仁の手を引いてる。
「応援の来る場所まで案内します」
「煙幕に慣れてないでしょう」
「部隊の皆さんが専用ゴーグルを貸してくださいました」
仁は彼女につられた。煙幕の中、階段を降りるのは危ない。しかし、彼女は階段から離れる廊下ルートを走っているようだった。
「どうして由美さんが」
「この病院の幹部と知り合いなんです。友の会には勝てませんが、病院には顔がききます。私が適任でした」
仁の知らないルートを通り、6階からの脱出に成功。屋外非常階段で五階に入り、煙幕が切れる。由美は割烹着の帽子を取って、ゴーグルを付けていた。
おそらく帽子の中に隠していたのだろう。女性は髪の長い人が多いから、後頭部がふんわりしていても、怪しまれない。
二人はコンピュータールームに潜入した。
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