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羽田空港を離陸して暫くすると、CAがドリンクを配り始めた。通路側の私はコーヒーを、窓際の女性はスカイタイムを頼んだ。CAがスカイタイムが注がれたカップを慎重に差し出す、それを私が一旦受け取って、窓際の彼女へ渡そうとした。すると受け取ろうとした彼女の手がカップを掠めて素通りする。
渡し方が悪かったのかな、と思って頭を下げた。すると、すみません、と彼女は苦笑いを浮かべる。その瞬間、違和感を感じた。視線が合っているようで合っていないような。目の前にある物が見えているようで、見えていないような、そんな違和感だった。私は、彼女の手に触れてカップを握らせた。
「有難うございます。私、弱視なんです」
彼女はそう言って口元を綻ばせた。そこに深刻さは微塵も感じられない。
それから暫くの間、私は彼女と会話を交わした。
数年前、彼女は目に異常を感じたそうだ。物の輪郭がぼやける、そんな症状から始まったらしい。最初のうちは日常生活に影響を及ぼすような事は無かった。しかし次第に影響が顕著になっていく。彼女は病院を訪れて診断を受けた。そして進行性の目の病を患っていた事を知る。
文字を読むのが困難になり、薄暗いところでは物が見えづらくなり、距離感が掴めなくなった。この先、さらに症状は悪化していくと言う。
それは色々と大変ですね、と私が言うと、色々と大変でした、と彼女は笑顔を浮かべながら答えた。大変でした、と過去形になっているのが気になった。まるで解決した問題のように聞こえたからだ。
いずれ失明する事になるだろう、と彼女は話す。だけどそのニュアンスに重さが感じられない。どうしてそんな深刻な状況なのに笑っていられるのだろう、私は不思議に思いながら、明るく笑う彼女の顔を見つめた。
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