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キッチンファイト②
Mは持病があり厳しい食事制限を課せられていた。朝昼晩と栄養調整された宅配の弁当で、或る日、Tはその弁当を試食して、こんな味気ないものを毎日食べているか、と絶望的な気分になった。
『好きなものを食べる自由』を奪われる悲惨さをTはそのとき痛感した。
そう言えば・・・・
Tが帰国すると、MはTのために料理をたくさん作った。テーブルが一杯になるほどだ。戻って来た息子を喜ばそうと気合が入ってのことだとTは思っていたが、もしかするとそれだけではなく、『好きな料理を作る自由』までは奪われたくないという危機感の顕われだったのかもしれない。
もしそうだとしたら、TはそんなMから『料理を作る自由』まで奪おうとしていることになる。
そんな酷いことはしたくないが、客観的に見て、残念ながらMにはもう料理は無理なのだ。
何とかMの自由を奪わずに済む方法はないものか・・・・
Tは考えた末に或る結論に至った。「できるだけMの傍に居て食生活全般の面倒を看る」ということだ。生活の軸足を海外から日本に戻し、Mの専属料理人となる覚悟を決めたのだ。
「これからは俺が料理を作る。Mの好きなものを作れるように、料理を基本から教えてくれないかな?」
Mは最初キョトンとしていたが、事情が呑み込めたらしく、笑みを浮かべて頷いた。
これがキッチンファイトの始まりだ・・・・
最初の頃は、包丁で指を切ったり、油で火傷したり、とプチ負傷が絶えなかった。料理の技術だけでなく栄養学の本も読み漁り、知り合いの栄養士に会う度に質問攻めにした。
かくして、二カ月ほどで何とか1週間分の献立を完成させることができた。朝はお粥、パンケーキ、玄米パンの3パターンと飲み物、それに納豆か味噌汁がついてくる。昼は栄養調整弁当を継続。
拘りの夕飯は、天ぷら、餃子&春巻き、すき焼き、うな丼、蟹のちらし寿司、カレーとMの好物ばかり。量は雀の涙だが、食材は一切妥協せず、料理の腕の拙さを食材でカバーした。不味いものを三食腹一杯食べるより夕飯に僅かな量ではあるが大好きな物を食べる方が1日の満足感は大きい筈だ。
キッチンファイトと言いながら、この時期はとても穏やかでキッチンに立つことは喜びですらあった。Mは『食べる自由』を取り戻し『料理を作る自由』はTに譲り、笑顔が復活した。
本当のキッチンファイトはそれから少し後のことだ・・・・
Mは殆ど噛めなくなり、あまり呑み込めなくなった。
噛まずに食べられる食品が市販されているが、どれを試食しても天を仰ぐしかなかった。Tは最後までMに好物を食べさせてやりたかった。
Tは試行錯誤の末に、新たな1週間分の献立を完成させた。例えば、うな丼は、焼き立てのウナギから全ての小骨を抜いてピザカッターでペースト状になるまで微塵切りにしてタレをかけ、流動食のご飯に混ぜる。
「美味しいわ・・・・」とMは嬉しそうに言ってくれた。Mの笑顔がキッチンファイトの原動力となる。
しかし、キッチンファイトは更に過酷になっていく・・・・
Mは完全に食べられなくなった。水を飲むのがやっとだ。
専属料理人を長く務めたおかげでTはMの好物を熟知していた。ロイヤルミルクティーが大好きだと知っていたので、希少なミルクティー味の栄養補給飲料を探し当てて買い占めた?
試飲してみて、Mの好みの味に微調整すると、Mはそれを喜んで飲んでくれた。
亡くなる前日までMはそのミルクティー味を飲み、飲み終えると嬉しそうな顔で言った。
「美味しいわ・・・・」
翌日、Mは天に召され、Tのキッチンファイトは終了した。
今もキッチンに立つと、使わなくなったピザカッターや栄養補給飲料の箱につい目が行ってしまう。
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