動物の森のウッドデッキ

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動物の森のウッドデッキ

或る日のこと。実家の庭に立派なウッドデッキが出来ていた。2メートル四方で洗濯物を干すときの足場だと言う。 それまではガラス戸を開け、庭に降り、靴を履き、洗濯籠を持って物干しへ移動していたが、さすがにMの膝ではもう無理だということでケアマネさんが業者に依頼して造ってもらったそうだ。 日差しを浴びながら物干しをしているMの姿は穏やかで微笑ましかったが、Tは、実は常にビクビクしながら眺めていた。デッキの高さは30センチ。足を踏み外して落ちたら、などと想像して落ち着かなかった。 杞憂であればよかったのだが、そうはいかなかった。何気なくデッキを見ると、物干しは途中でMの姿が無い。風で飛ばされた洗濯物を追い掛けてMはデッキから落ちたのだ。 幸い怪我はしていなかったが、地面に座り込んだまま、膝はあまり曲がらないので上手く踏ん張れない。抱き起そうとしても、Mは小柄で40キロ少しなのにビクともしない。 このときは未だ車椅子も歩行器も無かった。デッキの下に落ちたMを家の中に運び入れる、というのは至難の業だと、介助術を学んでいなかったTは途方に暮れた。頭の中が真っ白で助けを呼ぶという発想も浮かんでこなかった。 一人で何とかするしかない・・・・ 力任せにMの身体を引っ張り上げ、デッキの縁に座らせ、芋虫をごろんとさせるようにしてタオルケットの上に横たえ、タオルごと引っ張って何とか寝室まで運び、同じ要領でベッドに寝かす。 実際には30分余りだったかもしれないが、軽く1時間は掛かった感覚がある。今考えると、運が良かったとしか言いようがない。あんな力任せの乱暴なやり方だと骨折したり内臓を痛めて最悪の事態になっていたりしても全く不思議ではない。思い出す度にゾッとする。 この日を境にしてMとTの役割分担が逆になった。デッキで物干しするTの姿をMがダイニングから眺める。少し寂しそうで、申し訳なさそうな表情を見るのは辛かった。また一つ自由をMから奪ってしまったのだ。 Tは仕事があるので家事の効率化を考える必要がある。キッチンファイトに関しては一切手を抜きたくなかったので、物干しについては乾燥機に任せることにした。 かくして立派なウッドデッキは早々に役目を終えて動物の森の住民たちの憩いの場となった。2e10169f-24a3-4740-97cb-ff3aa5087208何処から現れたのか、黒猫の親子が警戒感ゼロで寛ぎ、シャチ柄の猫が時々日向ぼっこをしていく。猫が居ないときには、絨毯の質感のペレットが走り回り、彼らの隙をついて様々な野鳥が降り立つ。 ガラス戸越しにウッドデッキが眺められるダイニングにMは陣取り、動物たちと話をする。Tがふと覗くと、黒猫の親子やシャチ柄の猫と本当に話をしているのだ。 以前は、サスペンスドラマを観るのがMの日課だった。バディーの刑事が活躍するシリーズや科捜研が舞台のドラマはお気に入りで再放送でも真剣な表情で自分なりの推理を巡らせていた。 Mは或る時期からテレビを観なくなった。 庭のウッドデッキは、物干しの足場としては早々に役目を終えたが、Tはケアマネさんに心から感謝している。デッキで寛ぐ動物の森の住民たちと話をするMの表情は豊かで幸せそうだった。 Mが亡くなって、不思議なことに動物たちも皆、Mの後を追うようにして姿を消した。 Mが使っていた椅子に座り、Mが居ないダイニングから朽ち果てていくウッドデッキを眺めていると一瞬、かつての風景が残像のようにして見えたりもする。
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