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表紙のあいつ
最後の二年間、Mに寄り添い、常にMを癒してくれた恩人?が居る。
或る日、一匹の猫が生後一カ月くらいの子猫を連れて挨拶にやって来た。子猫をウッドデッキに残し、親猫はいつの間にか居なくなっていた。子猫をMに託したかのようだった。
ガラス戸を開けると、その子猫は、警戒しながらではあるが、家の中に入って来た。「Mは優しい人だから怖がらなくても大丈夫」とでも親猫から言われていたのだろうか。
一週間も経つと、あいつはすっかり慣れて、Mのことを親猫だと思ったのか、四六時中一緒に居るようになった。Mが食事をするときは、椅子とMの身体の間に嵌り込んで絶対に離れないし、就寝時は、布団に潜ってMの隣に顔だけ出して寝る。
最後の二年間でMは二回倒れ救急車で運ばれた。いずれも現場に居合わせたのはTとあいつだった。
最初の一年は、Mはまだ一人でトイレに行けたので、Mは一階、Tは二階で寝ていた。深夜にMが倒れたとき、あいつはTの寝室に来て妙な鳴き方をした。それがなかったらTはMが倒れたことに気付かなかっただろう。これは奇妙な話だが、本当の話だ。
Mはトイレの前で倒れていて、意識はなく、呼び掛けても反応がない。Tは同じような状況を以前に経験していたので、狼狽えず救急車を呼び、同乗して病院に向かった。あいつも一緒に連れて行きたかったが、救急隊が入って来たのに驚いて、外へ駈け出してしまったのだ。まあ、そうでなくても救急車には乗せてもらえなかっただろうが。
Mは心不全と腎疾患のダブルパンチで結果的に三週間ほど入院した。あいつは家を飛び出したまま戻ってこなかった。退院したMは、あいつが居ないことに気付き落ち込んだ。
「仕方ないよ。あいつを探す余裕なんてなかったから」
一時は本当に危機的状況だった。「手術となれば、正直、五分五分といったところです」という物騒な台詞も飛び交った。なぜ手術にならなかったのかは、また別の機会に振り返るとして・・・・
TはMの近くで寝ることにした。医者からアドバイスされたこともあったが、あいつが居なくなったらMに何かあっても誰も知らせてくれないと、一気に不安になったからだ。
Mが退院して二週間ほど経った或る朝、ウッドデッキを見ると、あいつが何食わぬ顔をして日向ぼっこをしていた。Mは大喜びで、あいつを迎え入れた。
「無事に戻って来たんだ?」と、Mもあいつも互いにそういう顔をしていた。
Tはスーパーに走り、あいつのために普段よりも高いキャットフードを買った。
あいつはMが亡くなるのと時を同じくして姿を消した。
今度はいつまで待っても戻って来なかった。
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