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言えない本音
「許されるなら・・・・」
Mは耳慣れないフレーズを口にした。日常会話では聴いたことのない言い回しだったので「何を言い出すのか?」とTは少し身構えた。バルコニーでハンモックに揺られていたときのことだ。
「あの家で、最後までTに看て欲しい・・・・」
Mは消えそうな声でそう言うと、優しい風を避けるようにして申し訳なさそうな顔をした。
以前、将来の介護の話題になったときMはTや兄弟にこんな風に言ったことがある。
「ちょっとでも惚けたり、身体が悪くなったりしたら、さっさと施設に放り込んで。そのために貯金しているし、保険にも入っているんだから、安心して・・・・」と。
ずっと先のことだし、他に考えなければならないことが沢山在ってTは曖昧に頷いてお茶を濁した。そのときのTの反応をMはとても冷たく感じただろうし、おそらくMはあのとき、我が家でTに看取られる最期は諦め、見知らぬ何処かの施設で見知らぬ誰かに看取られて最期を迎える覚悟を決めたのではないだろうか。
だから「許されるなら・・・・」などという言葉をMに言わせてしまったのだとTは解釈した。
「ごめん。ごめん。妙なことを言って。せっかく、こんなに楽しいときに。忘れて、忘れて」
Mは慌てて発言を撤回し大袈裟に笑った。
そのときTは咄嗟に覚悟を決めなければ、と思った。介護というのは厄介な問題で、看られる方も看る方も常に覚悟が揺れ動いてしまうものだと思う。だからこそ覚悟を決められるタイミングは貴重で、そのタイミングを逃したら後悔しか残らない。どんな決断だったとしても覚悟をもって決めたことなら後悔はない筈だ。
「当然だ。最期までT(俺)が看るよ。安心して」
Tはそう答えた。在宅介護についてあまり知識はなかったし、そう答えたことでこの先に何が起きるのかもあまり想像できていない状況で宣言したのは無責任だと今振り返ってもそう思うが、「許されるなら・・・・」などという謙った言葉をMに言わせたことが無念で、他に選択肢はなかったのだ。
Mはとても嬉しそうだったし、安堵したみたいだった。
それから「眠い、眠い」とブツブツ言いながらベッドに戻って行った。
あのバルコニーの不思議な解放感がMに思い切って本音を言わせたのだとしたら、VIP旅行を企画して本当に良かったと、今でもそう思う。
もし、Mが本音を打ち明けないまま、Tも覚悟を決めるタイミングを逸していたら、最期の瞬間にMが横たわっているのは余所余所しいベッドだったかもしれないし、Mの身体を抱き留めているのは余所余所しい見知らぬ誰かの腕だったかもしれないと思うからだ。
Mが最期の瞬間に思い浮かべた情景はハンモックで揺れながら話したあのバルコニーだったのではないかと、Tはなぜかそんな気がしている。
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