2020年11月21日(土)最後まであと11日

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2020年11月21日(土)最後まであと11日

Tの一日はとても規則正しい。昼夜を問わず2時間ごとにMの姿勢を変える。1回は看護師さんが姿勢を変えてくれるから、この貴重な4時間のインターバルで、まとまった睡眠を確保する。 ケアマネさんから「やり過ぎです。Tさんが倒れてしまったら大変だから」と幾度となく注意された。それでもMの寝返りに拘るのには理由があった。 まだ介護の知識も乏しく技術も習熟していなかった頃、Mのおむつ交換で無理やりおむつを引っ張ってしまい尾骶骨の辺りに擦り剥きの傷が出来てしまった。Mの身体には自然治癒力がもうあまりなくて、その傷が広がり深く広範囲の褥瘡となり仰向けになると激痛が走る。TのせいでMは仰向けになれないのだ。 仰向けの姿勢なら長時間何とか耐えられるが、横向きだと腕が痺れ、関節が痛み、呼吸が苦しくなる。だから2時間ごとにMの姿勢を変えなければならない。 尾骶骨の傷は1日3回、消毒してクリームを患部に大量に塗る。どれほど痛いのかTは経験したことがないので分からないが、我慢強いMが毎回失禁するくらいだから想像を絶する痛みなのだろう。その度にTの心は、大袈裟かもしれないが敢えて言うと、剃刀で切り刻まれる。 この日、Tは朝から軽い眩暈があった。これまでも眩暈は何度も経験しているから気にもしなかった。 しかし、この日は眩暈だけでは済まなかった。スーパーで買い物して会計を済ませたあたりから記憶が飛んだ。見知らぬ誰かに声を掛けられて目を覚ましたが、スーパーからの帰路、財布が無いことに気付いた。慌ててスーパーに戻り店員さんに探して貰ったが見つからなかった。 気力が身体から全部流れ出していくような感覚だった。街行く人々が全て敵に見えた。 そうとう参っていたのだと思う。 最も大切な2時間のインターバルを失念してしまったのは、クレジットカードや玄関の鍵の処理でバタバタしていたからだ。 しかし今振り返ってみて気付いたことがある。インターバルを忘れたのはMが唸らなかったからだと。 かなり正確に2時間毎にMは苦しそうな唸り声を上げる。ところがあの日、Mは唸らなかった。 考え過ぎかもしれないが、Tが心身ともに追い詰められていることを察知して、面倒をかけてはいけないとMは苦しいのを我慢したのではないだろうか。 振り返って思うことは、Mは老いて、自分で出来ることが減っていって、色々なことが分からなくなっていって、幼児のように無防備で弱い存在になっていったが、実は、Mの目線はずっと母親のままだったのではないだろうか。 今思うと、死期が迫ったこの日でさえも、Mの目線は母親の目線だったような気がする。  
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