2020年11月23日(月)最期まであと9日

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2020年11月23日(月)最期まであと9日

Mが相手のことを認識できなくなっているのをTは医療関係者以外は誰にも伝えていない。親族たちにも、神父さんにもだ。 隠したいわけではない。Mは誰が訪ねて来ても笑みを浮かべ、嬉しそうに相手の話を聴く。だから誰もが普通の調子で当たり前に話し掛ける。まさか何もかも分からなくなっているとは思いもしない。Tは言い出す機会を失っているのだ。 Mは人と会って話を聴くのが大好きで、何もかもを奪われても、相手の話を笑みを浮かべながら聴くことだけは最期まで失わなかった。 余命宣告のあったあの日、O先生がこんなことを言った。 「Mさんの笑顔を見ていると、Tさんの選択は間違ってなかったと改めてそう思います」 選択というのは、人工透析をしないという選択のことだ。人工透析をしていれば、おそらく2021年も2022年の正月もMは迎えられただろう。 人工透析についてはH医院で詳しく説明してもらったし、実際に見学にも行った。その上でMは感じ取ったのだ。週4回の人工透析はかなりタフで最終的に自分は笑顔で人と会えなくなるだろうと。 「命の代償として笑顔を失いたくない」というのがMの強い想いだった。 Mはせっかくの好意を無下に断ることなど出来ない人だったからTが代わりに人工透析を断った。 「Tが人工透析を独断で拒否した」という話は悪いかたちで独り歩きをした。 本当にあの選択で良かったのだろうか、と胸苦しくなるときがあるのも事実だ。 だからO先生の言葉でTは救われた。 この日、もう1つ救われることがあった。 午前中にFさんが訪ねて来た。 FさんはMのことを姉と慕う半世紀以上の付き合いの親友で『聖油の秘蹟』を教えてくれたのもFさんだ。 コロナだからと、FさんはMに会わずに帰ろうとしたが、Tは強引にFさんを寝室に通した。 さすがにFさんには現状を包み隠さず話そうと思い、「実は・・・・」と切り出したのだが、Fさんは両手を翳して制した。 「痛いところもあるだろうに、こんなに一生懸命、笑ってくれて・・・・あんた(T)が居てくれてMは幸せだわ。私も笑って最期を迎えたいわね・・・・」 Fさんは「ありがとうね」と言ってTに一礼した。 Mにとって実妹のようなFさんからの感謝の言葉にTは本当に救われた。
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