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空前絶後の台北VIP旅行-③
実は、台北旅行で一番大変だったのは事前のリサーチではなく、Mの主治医を説得することだった。
「息子さんとお会いするのは初めてなので、この際、ご説明しておきます」
主治医は恨めしそうな目でTを一瞥してMの持病について語り始めた。
糖尿病、高血圧、腎疾患、高脂血症、肝疾患、不整脈、内科ではないが膝痛。常用薬は朝昼晩で13錠、食前にはインシュリン注射しなければならない。
「海外旅行はお勧めしませんね。旅先で環境が変わると、インシュリンを忘れたり、薬飲むのを忘れたり、万が一のときには地元の医者に説明しなければなりませんからね。息子さんの負担はそうとうなものですよ。今回は良い機会なので、旅行よりも日常生活を気を付けてあげて下さい」
当時のTはMの持病についてやや楽観的だった。
楽観的と言うのは、病状を軽く考えたのではなく、もう歳なのだから仕方ないと認識していた。よりストレートに言うと、いつ死んでも不思議ではないと思っていた。当時は『人生100年時代』なんて言葉は無かった。だからこそ今のうちに強烈な親孝行をしておこうという発想になったのだ。
「お母さんの傍に居て、病状が悪化しないように生活習慣を改善してあげて下さい」
主治医は強い口調で言ったが、海外生活を止めるという選択肢はなく、その埋め合わせとして台北VIP旅行を企画したのだった。このとき、Tは主治医を説得して台湾に行くことしか頭になかった。
「できれば食事もケアしてあげるべきだと思いますよ。糖尿病や腎疾患だとメニューを考えるのも大変ですからね」
全くピントこなかった。Mは聡明だし料理も上手だからケアする必要などないとTは確信していた。
しかし、今思えば、それは大きな誤解だったのだ。独り暮しのMは料理の腕が急落し、そこいらのもので済ませていたし、体調が悪く、日々の困りごとが山積みで、食生活など考えられない。本当はVIP旅行などよりTに一緒に居て欲しかったのだと、Mが寝たきりになった頃にようやくTは気付くのだ。後悔し過ぎて、罠にかかった獣の如く唸ったこともある。
だから、Mが亡くなって、看護師さんから台北VIP旅行が凄く嬉しかったのだと聞かされたとき、Tは癒され、救われた。その結果、こうやって旅行のことを振り返ることができている。
ちなみに、台北VIP旅行でMが一番気に入った料理はカエルの炒め物だった。満漢全席?のようなテーブル一杯に並んだ料理の中で、よりによってカエルとは・・・・確かに美味しかったが。
夕食会には六人の有志の方々が出席してくれて、豪華な料理もそうだが、その人たちの気持ちが、Mはとても嬉しかったと思う。
藍さんが、「また何十年後かに再会できたら、そのときに封を切って乾杯しましょう」と言ってプレゼントしてくれた希少なウイスキーが、Mが亡くなる少し前に実家で見つかった。残念ながらそのウイスキーのことをMは思い出せなかったが、カエルが美味しかったことは満面の笑みでいつでも思い出せる。
ウイスキーは藍さんと撮った写真を添えて風呂敷で丁寧に包んであった。
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