膝小僧のラプソディー

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膝小僧のラプソディー

Mには膝痛の持病があった。 痛み出すと表情が歪み動けなくなり、MだけでなくTも凹んで、全てのやる気が失せてしまう。 実は、台北VIP旅行は、着いてすぐにMの膝が悲鳴をあげて、最悪のスタートだった。 藍さんが凄腕だと評判の鍼灸師を紹介してくれて、Tは門外漢で半信半疑だったが、他の選択肢が無かったので診て貰うことにした。 膝に黒っぽい(海苔の佃煮みたいな)何かを塗り、古墳から出土したような木製の道具でツボを押し、鍼灸でMが苦悶の表情になるのを見ていると「今回の旅は駄目かも・・・・」と絶望的な気分になった。 ところが、施術を終えたらMの膝痛が驚くほど緩和されていた。MもTも小躍りしそうなほど嬉しかった。あのときほどMの丸くて元気そうな膝小僧が愛しく思えたことはない。 ハワイVIP旅行では、台北の経験を踏まえて万全の体制で臨んだ。Mは嫌がったが、空港からホテルまでの移動は車椅子を使い、すぐに観光には出掛けず、先ずロミロミの達人に膝のケアをしてもらった。 ロミロミのお陰なのか、その後行ったパワーズポットの効果なのか、膝のコンディションは最高だった。フラの元世界王者から手ほどきを受けて少しだがフラを踊ったくらい調子が良かった。 時々、元気だった頃のあの膝小僧を思い出して胸苦しくなる。 『歩けない』という残酷な現実を決めるのは、Mではなく、医者でもなく、介護士でもない。 決断するのはワンオペの当事者、つまりTなのだ。 『歩けない』には二段階あって、第一段階は車椅子、次の段階が『寝たきり』で、そのどちらの段階もTが決断しなければならない。 「もう自分の脚で歩くことはない。これからは車椅子で生活する」と、或るとき、Tが判断したのだ。 「諦めるのはまだ早い。もしかしたら再び自分の脚で歩けるようになるかもしれない」 そういう希望に縋りたい気持ちを追いやって、Tは「今後は車椅子で・・・・」と宣言したのだ。 車椅子の宣言よりも『寝たきり』の宣言は更に辛い。 台北やハワイを元気よく闊歩したあの膝小僧を思い出して、拳を握り、歯を食い縛る。 『寝たきり』は半年くらいで比較的短かったのが不幸中の幸いではあったが、「歩行能力を維持するためにもっと厳しくリハビリしておくべきだった」とTは猛烈に悔やんだ。 しかし、腕の中でMが息を引き取ったとき、全く動かなくなったMの身体を腕に感じてTは別のことを思った。 「まだ歩きたい? それとも、もうゆっくりと横になっていたい?」とMにしつこく訊くべきだった。 安らかなMの表情を眺めていると、「もう、そんなに頑張らさないで」と苦笑しながら諭すように言っているような気がした。
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