謎のカレンダー

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謎のカレンダー

Mは毎年、A2くらいの大きなカレンダーを壁に吊るしていた。航空会社のカレンダーで、日付の余白に日々の予定を書き込んでいた。 結構、ぎっしりと予定で埋まっていて、「本当に、こんなに予定が入っているのか・・・・」とTは不思議に思っていた。 尤も、どんな予定が入っているのか確かめたくても、字が汚い、と言うか、日本語かどうかも怪しいレベルで崩れていて解読不可能なのだ。 数字はかろうじて読めるが、”34”とか書いてあると、時刻ではないし、余計に頭の中がこんがらがってしまう。 「これ、読めるの?」とMに訊いたことがある。 Mはクンクンと頷いて、しかし、目は合わさずに、明らかにお茶を濁す構えだった。 Tも、それほど拘りは無かったので、謎のカレンダーはその後かなり長期に渡って謎のままだった。 後になって考えると、あれはMの苦肉の策だったのではないだろうか。 MにとってもTにとっても受け入れ難い悲しい現実から目を背けるための・・・・ Mが約束の時間になっても来ない、といった問い合わせが頻発するようになって、Tはようやく気付いた。 Mはカレンダーが理解できなくなっていたのだ。カレンダーと言うよりも日時や曜日の概念が理解できない、というショッキングな状況で、Tは狼狽えた。 Mは、A2のカレンダーでスケジュールを管理する聡明な女性を俳優顔負けに完璧に演じ続けた。だからTはそのことに気付けなかったのだ。 TはカレンダーをMの手元に置いて、日時や曜日の概念について教えようとした。ちゃんと日常会話はできているのだし、きっと以前のように、今日は○曜日、だとか、明日は□曜日、という当たり前の概念を理解できるようになると信じていた。 ところが、幾ら反復して練習しても「今日は何月何日?」や「今日は何曜日?」に答えられない。 遂に泣き出してしまう始末だ。情けなくて泣いたのか、Tのしつこさに腹が立って泣いたのか、もっと他の感情だったのか、涙の理由もカレンダーの記述の意図も謎のままだ。 TはA2のカレンダーを外さなかった。月が変われば、これまで通り、カレンダーを捲った。 年が明ければ、これまで通り、新しいカレンダーを壁に吊るした。 旅行の出発日が近付くと、これまでと同じで、カレンダーの☆印を指差してMの期待を煽った。 何もかも以前と同じだったが、カレンダーの余白は真っさらのままで、何も書き込まれなくなった。 今でも時々、謎のカレンダーのことを思い出して、その度に胸が詰まる。
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