1.タクシーまたは水のボトル

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 少女の方も、状況の異様さに気が付いたようだった。それは同時に、彼女が「お荷物」から「少女」という人格を取り戻す瞬間でもある。  なぜか内側からは開かないドア。黒いシートが貼られた窓。前の席との間を分ける樹脂製の仕切り板。そして何より、見覚えのない運転手と車窓の景色。  多くの場合、彼女たちは絶望し、パニックに陥る。映画やワイドショーだけだと思っていた事態が、現実のこととして自分の身に降りかかったのだから。 ところが、今度の「お荷物」は髪の色以外においても、特異だった。冷静に車内を見回し、扉に鍵が掛かっていること、窓の開閉装置がないことを確認してから、真っ直ぐにバックミラーに映る男を見据えた。 「……あたしは誘拐されたのね」  少女の第一声。あくまでも落ち着き払っていた。男はチラリと視線をやって、なんと答えるか考える。これまで何人もの「荷物」を運んできたが、ここまで動じない娘は初めてだった。 「おはようさん。よくわかったな」  さんざん悩んで、出て来た言葉はこれだった。少女は素っ気なく肩を竦める。 「車に連れ込まれた記憶はあるもの。でも、この車じゃなかった」  彼女は正面に見える計器を睨み、ようやく不思議そうな声を出した。 「タクシー?」 「カモフラージュさ。実態は運送屋」 「なるほど」  なにがなるほどだ、と男は顔を顰めた。どこまでも落ち着いた様子が、逆にやりづらい。宥め、諭す手間はかかるけれど、それでも対処法が決まり切っているいつもの「お荷物」の方が気が楽だった。こういう冷静な娘は、いつどんなタイミングで逃げ出そうとするかわからない。
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