1.タクシーまたは水のボトル

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「……は?」  咄嗟にブレーキを踏まずに済んだのは、男のささやかな意地だった。三度バックミラーを見る。少女は先程の体勢のままで、こちらを見ようともしていなかった。 「処女、買ってよ」 「なんでだよ」 「十六歳のヴァージンだよ?」 「ガキに興味はねぇよ」  いつの間にか、陽はとっぷり暮れていた。街には街灯が灯り始め、送り火のように前から後ろへ流れていく。対向車のライトが眩しい。男の無骨な横顔を舐めるように通り過ぎて行った。 「……本当はね」  少女が口を開く。 「誰かにナンパしてほしかったの。セックスって楽しいんでしょ? それを教えてもらったら、あたしも死にたくなくなるんじゃないかって、期待して」 「……よかったじゃねぇか。これからはセックス三昧だ」 「うん……」  でも、と。  はじめて、そこに微かな震えを聞き取った。 「『初めて』は、優しい人がよかったなぁ……」  それきり、どちらも口を開かなかった。
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