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レンタルあっちゃん
前を歩いていた女性がICカードを落とした。
すぐに拾い上げ、「落としましたよ」と肩をたたくと女性が振り向いた。
その顔に見覚えがあった。
ずっと見つめていたら、向こうも私をじっと見つめた。
「あっちゃん?」
私は言った。
「みいちゃん?」
彼女は言った。
お互いの存在を確信した私たちは手を取り合って再会を喜んだ。
切れ長の目にスーッと通った鼻筋に少し薄い唇。
ポニーテールだった髪型はショーットカットに変わっていたけれど、顔はあっちゃんそのものだった。
小学五年生から中学卒業まで同じクラスだった友だちだ。
11年ぶりの再会だった。
私たちは駅前のカフェに入り、お互いの近況を話した。
土曜日の午後でカフェは混雑していた。
もっとゆっくり話したいからうちに来ないか、と誘ったら、あちゃんは目を伏せて言いにくそうに言葉を発した。
「今日、泊めてくれない?」
上目づかいで私の返答に緊張するあっちゃん。
何かあったのだろうと察して「いいよ」と言うと、あっちゃんは笑顔になった。
「実は、一緒に暮らしている彼氏とケンカして、家を飛び出してきちゃったの。何も持たずに出てきちゃったからどうしようかと思って……」
「そういうことなら、仲直りするまでうちにいていいよ」
つい雰囲気に流されて、そんなことを口にしていた。
五階建てのマンションの三階でエレベーターを降りると、カレーのにおいがした。
まずい。約束をすっかり忘れていた。
「ちょっと待ってて」と、あっちゃんを廊下に待たせ、玄関を開けた。
「おかえり」
玄関を入ってすぐの小さなキッチンの一口コンロで、広樹がエプロン姿で鍋をかき混ぜていた。
「来てたんだ?」
「忘れてたの? 今日、カレー作りに行くよって言ったじゃん」
広樹の趣味は、スパイスから作るカレー作りで、時々合い鍵を使って私の部屋にカレーを作りに来る。
「入らないの?」
扉を開けたまま立っている私に広樹は言った。
「実は、友だちが来てて」
そう言うと、横からあっちゃんが口を出した。
「彼氏?」
「うん。でも帰ってもらうから」
「いいよ。悪いから」
じゃあ、帰るよ、と言うのかと思ったら、あっちゃんは、こう言った。
「私は、三人でも平気だよ」
「よかったらカレー食べてください。食べたら俺は帰るんで」
広樹が身を乗り出し、あっちゃんに告げた。
小さなテーブルを三人で囲み、あっちゃんは「おいしい」と何度も連呼してカレーを平らげた。
お店開けるレベルだとかあっちゃんが広樹を持ち上げるから、広樹は気分がよくなり酒を飲み始めた。
結局、三人で深夜まで飲み、あっちゃんと私の小学校の頃の話で盛り上がった。
弱いくせに調子に乗って飲んだ広樹は、寝てしまった。
叩いてもまったく起きない。
「いいよ。かわいそうだから。それより、シャワー貸して」
「……うん」
やっぱり泊まっていくのか。
でもどうするのよ。
広樹も寝てるし、この狭い部屋に三人で寝るの?
疑問は絶えなかった。
キッチンの向かいにある扉の向こうから声がした。
「タオル貸して」
クローゼットからバスタオルを取り出し、浴室に持って行った。
「あと部屋着も貸して」
再び部屋に戻り、広樹をまたいでスエットを探した。
「メイク落とし貸して」
「そこにあるの適当に使っていいから」
声が尖ってしまった。
私の気分に気づいていないのか、あっちゃんはさらに腹立たしいことを口にした。
「お湯ためていい?」
ひきつる顔をおさえ、「どうぞ」と言うと、あっちゃんは「ありがとう」と明るい声を出した。
浴室の扉を閉めると、シャワーの音と共に鼻歌が聞こえた。
大きく息を吐き、広樹のお尻を叩いた。
「広樹、起きて」
広樹は、うーんと声を出しながら上半身を起こすと、そのままベッドになだれ込んだ。
「ちがう。起きて。もう帰らないと」
何度叩いても広樹の身体はビクともしなかった。
仕方なくあきらめ、タオルケットを広樹の身体にかけた。
私とあっちゃんは床で寝よう。
空き缶を回収し、洗い物をしているとあっちゃんがお風呂から出た。
「あー気持ちよかった。みいちゃんも入りなよ」
「うん」
「あ、充電器貸して」
広樹のスマホからコードを抜くと、あっちゃんに渡した。
「化粧水も貸して」
私は、棚を指差した。
「ドライヤーも貸して」
ガーとドライヤーの音が始まると、私もシャワーを浴びた。
ユニットバスでお湯をためたいなんて図々しい。
昔から、あっちゃんはそうだった。
怒りと共に昔の記憶がよみがえった。
ノート貸して、消しゴム貸して、ハンカチ貸して、マンガ貸して……。
私は、いろんなものをあっちゃんに貸してきた。
あっちゃんは何も持っていなかった。
人に借りればいいと思っていて、いつも一緒にいた私はあらゆるものをあっちゃんと共有していた。
しかも返ってこなかったものも多い。
次々と思い出がよみがえり、ぞわぞわと身体中に鳥肌が立った。
シャワーを止めると、静寂がおとずれた。
扉の向こうから一切の音が聞こえない。
ドライヤーの音もテレビの音も物音がひとつもしなかった。
急いで泡を落とし、着替えた。
部屋に戻ると、あっちゃんがベッドのふちで頬杖をつきながら広樹の寝顔を見ていた。
あっちゃんは私に気づくと言った。
「かわいい寝顔だね」
そして、ニヤリと口元が笑った。
「彼氏、貸して」
嫌悪感が全身を駆けめぐった。
「そんな顔しないでよ。冗談だよ」
あっちゃんは、ケラケラと笑った。
笑えない。
笑えないよ、あっちゃん。
まだ返してもらっていない大事なものがある。
あっちゃんが奪ったんでしょ。
あのとき、あっちゃんはこう言った。
「妹、貸して……冗談だよ」
次の日、私の妹は行方不明になった。
あれから15年、まだ妹は見つかっていない。
あっちゃんは、私が持っているものを奪うのだ。
もう私は大人だ。
もう奪われない。
大事なものは自分で守る。
あっちゃんの命、貸して……。
私は、赤ワインに睡眠薬を入れた。
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