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私には口がないから、代わりに読んでくれないかと、あなたは言った。
「いやいや!先生はオンライン授業を始めるのに、マイクの手配が間に合わなかっただけでしょう!?」
思わず俺はツッコミを入れた。
大学の講義がオンラインになった。ビデオ通話でのやりとりが増え、先生はパソコンから授業を配信する。しかし、そのパソコンにマイクが内蔵されていなかったらしい。先生は大手ネットショッピングサイトで外付けマイクを注文したけれど、初回の講義には間に合わないようだ。
俺は仕方なく、先生の指示通り、教科書を読み上げた。
やっぱり君の声は素敵だね、とあなたが言う。
「おだてても何も出ないですよ」
俺はそう返した。
先生はケラケラと笑って楽しそうだ。
先生に聞こえているなら問題ない。今日は先生に頼まれて、来月から始まるオンライン授業の諸々のテストに付き合っている。
尊敬する先生に褒められて照れるなんて、カッコ悪いから必死に隠している。
マイクが無くて話せない先生は、チャットでやりとりを重ねていく。
俺は先生の言葉が好きだ。綺麗で、独特だけど優しい言葉が。
声に乗せると、消えてしまうその言葉が、チャットだと文字として残るのが嬉しかった。
先生は小説家を目指していたらしい。そんな昔の夢を語ってくれたことがある。だからだろうか、講義で喋るより、文字でのやりとりの方が先生に合っている気がした。
尊敬する先生の、新たな一面を知るのが嬉しい。
俺は大学の文学部に所属している。先生は文学部の教授で、俺は先生のゼミに入っている。それは、俺も小説家を目指しているからだ。先生が昔小説家を目指していたと聞いたときから、この先生について行こうと決めた。
何より、天然だけど優しくて、良い先生なのだ。
《式が無いのは残念でしたから、こうして最後にお話できて良かったです。》
先生がそう文字にした。
俺は大学四年。外には、蕾が枝に色を添える桜の木。三月。俺は昨日大学を無事に卒業した。
「俺もです」
話せて良かった。
《卒業おめでとう。》
あなたが文字を打つ。
なんだかその文字を打った先生が画面の向こうでキラキラして見えた。
そうか。先生がわざわざ、卒業した君ならオンライン授業の練習に付き合って貰っても大丈夫ですよね、と連絡してきたのは、そういうことだったのか。
おめでとう、を言おうとしてくれたんだ。
「ありがとうございます」
俺はそうマイクに声を乗せて、先生に届けた。
音を拾いやすいようにパソコンに繋げているマイクは、春の陽射しを受けて、俺の部屋の中でも時折キラキラと光っている。
涙もろい先生を見て、天然だけど責任感が強い、締め切りは必ず守る先生の性格を思い出した。心配性で、オンライン授業の練習をするくらい、計画的なことも。
だから、あなたの嘘に気づいた。
「先生、涙声隠すためにマイクが届かなかったなんて嘘、バレバレですよ」
嘘だ。バレバレなんて。俺は今気づいたのに。
あなたは驚いたように目を見開いて、苦笑した。
《バレてしまいました。》
そう言った先生は儚く笑う。
チャットでそう返事をして、そこで先生はーーマイクをオンにした。
先生がマイクをオンにすると、ネットの向こうの、ほんの少しの雑音、ノイズ、生活音が聞こえて、繋がっていると実感した。
この感覚が、初めてなのに懐かしい。
俺もビデオ通話にはあまりなれていなくて、画面の向こうの音を聞くのは新鮮だ。
けれど、極力人と会わない生活を強いられる今は、身近に人の気配を感じる音が、懐かしい感じがした。
先生がマイクをオンにして、音が聞こえた。お互いの音が聞こえて、通じたと実感した。
一緒にいられることが、傍に居ることが当たり前じゃないと今の状況は伝えてくる。
当たり前だと思っていたことが、どんなに幸せなことか。
気づいてしまったら、手離してしまいたくなくなるじゃないか。
「ハナさん、俺は貴女が好きです」
赤音花。それが先生の名前。画面の向こうで涙ぐむ、俺と年の差5つの彼女の名前だ。
最初は憧れだった。年上の女性で、同じ夢を持っていた尊敬できる人。
でも、可愛い一面を知って、頑張ってる姿をいつも見て、支えたいと思った。学生なんて相手にされない。頑張っている彼女の負担になりたくない。この気持ちは伝えないと決めていたのに。
「俺はもう、卒業して、学生じゃないので」
薄々、先生も同じ気持ちかもと思っていた。けれど伝えるつもりはなかったし、先生も何もしないと思っていた。
ただの優しさだとしても、練習という言い訳をして、個人的におめでとうと言って貰えるなんて。
そんな「特別」を感じてしまったら、伝えるくらい良いじゃないかと思ってしまった。
言い訳がましけれど、卒業してもう俺は学生じゃないし、会えることが、傍に居ることが当たり前じゃないと嫌でも実感させてくる世の中だ。伝えられるときに伝えたかった。
彼女は幸せそうに笑ってくれた。
ーーあぁ。
その笑顔を見て俺は心底安心した。けれど、あなたから言って欲しい。きちんと、返事の言葉が欲しい。
先生は嬉し泣きで、まだ声が上手く出せないようだ。
画面にチャットの通知が来た。
《私もです。》
くちなしのハナは文字を打つ。
俺はそんな彼女の文章が大好きなんだ。
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