髑髏橋

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 わずか二歩で渡れてしまう橋にも名前が存在していた。一メートル下には小さい溝があり、かつてはわりと綺麗な水が流れていた。水路の両サイド半分は、人一人が歩けるように通路になっている。したがって、実際に水が流れている範囲は大人が大股一歩で跨げてしまうぐらいなのだ。 橋はそのためだけに架けられている。 馴染み深い風景。通りでキャッチボールをしていた少年らがボールを取りそこね一メートルの土手を軽々とジャンプして降りて流されるボールを少年らの連携プレーで取るという光景をみる。わずか一跨ぎ分の水路とて風が強いと流れが速くなりボールが無くなってしまう。 普段、水嵩は浅く、大きい石が水面から顔を出していて、運がいいとボールは石に引っかかって止まる。水から出ている石の形が髑髏に似ていると少年らが騒いだ事があった。子供の時期とは、そういうもので数日間は楽しめる。話が大きくなりすぎて、町の大人らが本当に腐敗した髑髏ではないか確認しにくるくらいだった。  倉 哲哉はこの町に越してきて三年目である。どことなく出身の田舎と似ている雰囲気が彼を落ち着かせた。大学、仕事と生活を都会に求め早十年がたち、引越しを何度か繰り返し、辿り着いたのが田舎と似ているところを撰ぶところが、彼は都会暮らしに終止符を打つときが近づいていると感じ始めていた。要領のいい性分ではない倉は、二流大学時代は遊びに走ることなく、まじめに勉強した割には苦労して何とか卒業が出来た。希望した就職には全くありつけなかったことを不景気のせいだと言い続けた。挙句の果てに、社会での人間関係が上手く行かず、三度も仕事を辞めた。彼の人生で物事を辞める事は熱心な親の教えに反していて、大学を出るまで自分で決めたことはやりとおしてきた。だが、何とか拾ってもらう形で就職できた職場はほとんどが学のない連中ばかりでやることなす事が半端な奴らばかりしかいなかった。非常に苦しみながらも人生で初めて「途中で止める」と親に伝えたときは手に持つ携帯が手汗で水没してしまうのではと感じたほど緊張した。母親が受け答えをしてくれた。ようやく決まった就職を止める事は残念だったが、これを期に田舎へ帰ってくるのも悪くないという母親らしい思いやりで倉を励ました。 自分にとって難関だった絶対的な親を説得する事に成功すると「辞める、諦める」事に肉体的に嫌悪を感じることはなくなり、刑罰があるわけでもないと初めて解き放たれる思いがした。「嘘つきは泥棒の始まり」という簡単な諺があるが、これに似たものを倉は会得してしまい、些細な事で気に入らない事があると辞める、諦める癖がついてしまった。結果、転職が続き固定給があがらず、引越しが続き資金が流れていってしまった。しかし、成熟して覚えた投げ出す事の開放感はすぐに彼に罪悪感に変わり、体たらくな生き方になってしまっている事を後悔していた。  倉は二階に位置する自室の窓から見える狭い裏通りの水路を見ていた。車一台分の道路の奥に水路があり、一箇所だけに橋がかかり、水路の向こう側は土路があって、フェンスがはられていて小学校の裏側になっている。水路の水は綺麗なほうだが、それでも湿っぽい今の時期は流れも遅く独特の異臭がする。それでも部屋が煙草臭くなるのは引越しの際に不利になるのを学んでいるので、窓に顔を出して煙草をすっていた。 短い休み時間の間に、大きな画板を持った子供らが廊下を移動していのが見える。倉もあの子らの歳頃には美術が授業の中で一番好きだということがはっきりしていた。本当は大学は美術を学べる所が良かったが、親に反対されて断念せざるなかった。後悔の人生は今に始まったわけじゃないかと思いかえした。 仕事用の指定されたスーツを着て、無頓着に髪を撫で、歯を磨き、濃くない髭を剃った。眼鏡を表向き用と決めているレンズの上の淵だけに黒のフレームがかかっているものに変えた。この習性は今の仕事、警備職、しかも今週から美術館の特別警備に当たることになってからだった。  倉にとって警備職はまったくやりがいのないものだった。彼がいる警備会社はだれでも働けるので教養がない連中が多かった。最初に仕事を辞めたときと同じ境遇に巡り合って、倉は同僚と会話が合うことなく全くもって面白みに欠ける時間を過ごす。普段は一人でいられる企業の夜警を担当していたが、今回、私立美術館でイタリアから有名な絵画の展示会が行われるということになり、警備体制を万全にする為、警備隊の増員する要請があった。運よく、倉が働く会社に話が舞い込んできた。期間限定の警備だが、美術館の裏側を知れる事に興味があったので珍しく自らの希望を会社側に伝えた。絵や芸術に興味のない同僚ばかりだったので、倉の希望は当たり前のように受け入れられ、一番のりだったが為に、彼は絵画が展示される部屋の警備主任となった。 絵画の展示期間は一ヶ月でこの日が最終日だった。 倉はせいせいする気持ちだった。倉の気持ちとは裏腹に警備会社組は一切美術館の裏側には触れさせず、定時に絵画がある部屋に来て観衆の行動を見張り定時に帰らされ続けた。元々の美術館の警備員らは疎外感をはっきりと露にし、よそ者に主任という名を与えられたのが面白くないようだった。 美術館の事には一切触れさせず、責任だけをとらされるのが落ち度だった。  勤務二日目にして自分が場違いで歓迎されていない仕事をしていると分ったとき、倉は面倒だけは起きないことを願った。美術鑑賞という格式高い趣味をお持ちの方々が滅多にそれを起こすはずもないだろうと思っていたが、小さなくだらない小競り合いの数が半端じゃないほど多く、さっさとこの仕事にうんざりしていた。観衆の多くが美術鑑賞の暗黙のルールを知らず、絵に触れようとしたり、食べ物を出したりする連中の行儀の悪さに驚いた。 美術館側の警備員の生真面目加減にもうんざりした。展示されている作品への距離が決まっているらしく、ミリ単位で離れるように口うるさく注意するのにも驚いた。倉はこまごましたやっかいな仕事を避け、あからさまな連中だけを注意した。その態度に美術館側の警備員らは、倉が生半可に仕事をしていると妬みに似た感情を抱かれた。  美術館を訪れる観衆には様々なタイプがいて、少なからず一ヶ月もいれば警備にもパターンができてきていた。ツアー型の観衆はガイドがいるので騒々しさを我慢すれば扱いやすかった。中国、韓国からの海外観光客らもこの時期に東京を訪れ名画を鑑賞できて運が良かったと思っていただろう。学生ツアーは違った。自由時間を与えられると、倉がいる部屋に戻ってきては好き勝手する。大人は歳を召している分、ゆっくり見る。倉も余生をゆとりもって妻と一緒に美術館に来らたらいいなと妄想した。学もあり、さほど崩れた顔でないのに一行に女性と上手く行かないのは「譲れない性格」のせいかもしれないと薄々気づき始めていた。 最も面倒な観衆は子供連れと若い同性の組み合わせだった。 それでも真面目な美大生らがメモを取りながら作品とにらめっこをしている姿は捨てたものじゃないなと感じ、作品の裏に隠れた思考を議論をし合あえる仲間同志を見ると、胸が締め付けられる思いだった。 倉は親の言いつけを守り夢を諦めた。思い上がった空想に飛びついた自分の浅はかさをこれまでの都会での生活と重ね合わせて考え限界に達していると感じた。自分の人生はどうしてここまで狂ったのか理解できずにいた。
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