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僕の話
隣の住人が帰ってくる音がして間もなく、昨日までなかった赤ん坊の泣き声が、僕の居る部屋に届いた。
どうやら隣に新しい家族が増えたようで、気付いたのは昼過ぎの、暑い陽射しがまだ僕のいる部屋に居座り続けているときだった。
隣の住人は夜の仕事をしているようだった。いつもは朝方に帰ってくるはずなのに、ここ数ヶ月は出入りする時間帯がまばらで、最近音沙汰ないからてっきり引っ越していったのかと思っていたら、そういうことだった。
その日から僕は、至極冷え切った心の片隅に、小さな温もりを感じるようになった。
赤ん坊の泣き声は隣の住人である母親があやす声で大体泣き止んだ。オムツを替えてほしいのか、お腹が空いたのか、或いは真夏の暑い時だったから寝苦しいのか、赤ん坊が泣く理由なんてそんなところだろうと僕は子供ながらに考えた。
頻繁に聞こえてくる泣き声は、凍てついた僕の心を次第に溶かし、動かしていった。
泣くことしか知らず、それでも一生懸命に自分はここにいると訴えている。僕には出来なかったことが、生まれたばかりのその子には出来ていた。
赤ん坊が泣く声を毎日聞いていると、僕の中に段々と、何とも言えない感情が芽生えていくのを感じた。
僕はいつしか、姿も顔も見えないその赤ん坊を、一枚の壁を隔てて可愛がるようになった。
きっと小さい手は紅葉のようで、僕の手の小指をキュッと握るので精一杯なんだろうな。まだぼんやりとしか捉えることの出来ない瞳を見て、僕は目が合ったと勘違いするのだろう。そしてフッと口角が上がったのを見て、自分に笑いかけてくれたのだとまた勘違いしてしまうのだろう。
そうやって、以前友達の家を訪れた際に目にした、生まれたばかりの友達の弟と重ね、思い浮かべていた。僕の想像は止まなかった。
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