わたしを殺したパパが好き

3/11
前へ
/11ページ
次へ
  ※  3  ※ 待ち合わせは午後2時に花咲駅の前だった。 わたしの住んでるところから3つ隣の駅で、この辺りでは一番大きな街だった。複数の路線が交わる場所で、駅直結のショッピングモールがあったり、すぐそばの大通りには色んな店が並んでる。 当日は秋晴れで、夏の蒸し暑さもなくなっていた。かといって寒くもなく、日差しが当たれば適度に暖かくなるような過ごしやすい一日だった。 千夏は約束の10分前に到着した。 わたしが貸した制服を着て、文庫本を開いていた。いつもと違って、行き交う人たちが彼女にじろじろ見ることはない。千夏が人目を惹くのは制服のブランドやお嬢様然とした身のこなしによるところが大きい。 離れた場所から覗き見てると、千夏に近づいてくる男の人がいた。パパだった。 一目でわかったのは、事前にSNSを調べてたからだ。 いくつかの写真を確認したが、パパは10年前とほとんど容姿が変わってなかった。 気弱で優しそうな雰囲気はそのままで、髪が薄くなったり皺も増えたりしていない。不気味なほど昔のままだった。 『あの人は昔、俳優をやってたの』 昔、酔った勢いで母が話してた。 『俳優の養成所に通って、役者になりたがっててね。小さな役でテレビに出たこともあったの。あの頃は素敵に見えたのよ』 安酒をあおりながら、母はパパとキャバクラで会ったことを話した。 先輩に連れられて店に来た彼は初々しくて、格好良かったこと。その頃は母も場末のホステスなんかじゃなく、店の稼ぎ頭だったこと。 自慢話に飽き飽きして大半は忘れたけど、パパの話は頭に残ってた。もっとも今は足を洗って、普通に働いてるようだったけど。 パパは頭に手を当てて、ぎこちなく挨拶する。 千夏もそれに緊張した様子で応える。初対面ではないけど、今は親しいとは言えない間柄だ。互いに距離が感じさせながら歩き出す。 パパは黒いスーツ姿で、制服姿の千夏と並ぶと、歳の離れた兄妹みたいだった。 2人はエスカレーターに乗るとショッピングモールの最上階に行って、レストランコーナーの喫茶店へ入る。 わたしもそれに続いた。 店内は混み合っており、3つ離れた席に座った。通路側の席で、パパの背中を見るような位置取りだった。 わたしが珈琲を二人分頼むと、店員は首をかしげた。 「じきに来るので。一緒に持ってきてください」 頷くと店員は去っていく。 あっちも注文を済ませて、ぽつぽつと言葉を交わしてるところだった。千夏の表情は固く、演技なのかはわからないけど、【久々に顔を合わせた娘】という設定には合ってるように思えた。 しばらくして珈琲が運ばれてくる。 一つはわたしの前に。 一つは向かいのテーブルに。 カップから白い湯気が昇った。 「…………」 わたしはパパが振り向くのを待っていた。 嘘を見抜いて席を立ち、パパがわたしのテーブルにやってくるのを。 『■■■じゃないことは一目でわかったよ。幼い頃と全然違ったから』 パパは10年前と同じ笑顔でそう言うのだ。 わたしも昔みたいに素直に笑って、それに応える。 千夏は微笑みながら立ち上がり、祝福するように拍手をする。周りの人たちもお芝居のように、全員が立ち上がって拍手をする。 わたしは照れながらも、にこやかにお礼を言って、パパと向き直るのだ。 そうやって奪われた10年を取り戻すように、わたしたちはお互いのことを語り合う。 そこでは時間が緩やかに流れており、周囲の雑音は遠ざかる。 童話やおとぎ話のような優しい世界だ。 わたしは、心の奥底ではそんな展開を望んでいた。 でも願望とは裏腹に、パパが振り返ることは一度もなかった。 「…………」 珈琲の湯気がおさまった。マッチの火が消えたみたいだと思った。 周囲のテーブルでは誰もが誰かと一緒にいた。笑い声や愚痴や冗談などの断片が、あちこちから飛んできた。 居心地が悪くなって、会計を済ませて外に出る。 通路を進み、少し離れたところから二人を見た。 まだほんの短い時間しか経ってないのに千夏は楽しげだった。パパも緊張してるようだったけど、笑顔をのぞかせている。 スマホを出すと、わたしは2人を撮った。 千夏はうまくやっていた。ちょっとした仕草や表情から出る上品さを、うまく隠していた。彼女は 日常でも、ああやって自分を演じているのだろう。  会話でボロが出ないように、必要な情報は伝えてある。賢い子だから全て覚えて、齟齬が生じないようにやれてるはずだ。 パパはどうだろうか──。 指が動き、写真を何度も撮った。 スマホにパパと千夏の画像が溜まっていく。 何枚も、何十枚もだ。 二人はしばらくすると店を出た。 向かった先は雑貨屋だった。賑やかな店内には、お洒落なインテリア雑貨や、キャラクターもののグッズが所狭しと並んでる。 千夏はそれらを指さしたり手に取ったりして笑ってた。わたしにはない明るさや社交性で、バパと言葉を交わしてる。パパの笑顔からも、ぎこちなさは消えていた。 また、写真を撮った。 わたしが望んだ光景だった。 相手がわたしでないという点を除けば、理想的な親子の再会だった。 わたしはその場から逃げ去ると、休憩用のベンチに座り込んだ。立ってられなかった。今見たものが頭から離れなかった。 あれは……娘と一緒にいるから笑ってたのだろうか。 それとも『わたし』が明るくて美人だからだろうか。女の子らしいグッズに興味があったり、親しいクラスメートの話をしたり、普通のコミュニケーションを取れるような子だから、ああいう顔をしてるのだろうか。 わたしが隣に立ってたら、同じように笑ってくれてただろうか。 「……そんなわけないじゃん」 自虐めいた笑いが出た。 わかってたから千夏に頭を下げて頼み込んだのだ。 『パパをがっかりさせたくない』という話は嘘ではない。 だけどわたしは――心のどこかでパパが気付いてくれるのに期待してた。どんなに可能性が低くても、そうなって欲しいと願わずにはいられなかった。 パパとの思い出は、大切な宝物だった。 それがそっくりそのままなんてあり得ないことは、理性ではわかってた。でも、もしかしたらという気持ちは棄てきれなかった。 愛を試しても応えてくれると、わたしの中の純粋な部分は信じ切っていた。 それは裏切りを恐れる気持ちと表裏一体だったのだろう。 パパと直接会って、理想と現実が乖離していくのを体験するのは残酷すぎた。 心の準備さえ出来れば、大人びた対応ができた。理想と違うとわかっていれば、表面上うまくやり過ごして、心の交流は求めずにいられた。 千夏との入れ替わりは、お互いに変わったということを認識するための儀式だったのだ。 「だから、これは、失敗なんかじゃない……」 自分に言い聞かせるように声を出す。 でないと子供みたいに泣き出してしまいそうだった。 うずくまって、しばらくじっとしてた。無数の足音が通り過ぎていった。声をかけてくれるような人はいなかった。 スマホが震えて、現実に引き戻される。 『姉様へ。お家に行くことになりました』 『話の流れによっては、家に上がることになるかもしれません』 『ご家族はいつ頃、帰って来られますか?』 『姉様も来て頂けますか?』 画面に表示された文字を見て、舌打ちする。 ゆっくり立ち上がると、わたしは駅へ向かった。改札を抜け、タイミングよくホームに来た電車に飛び乗る。 つり革を掴みながら、千夏に返信した。 『いま、向かってる。両親はしばらく帰らないはず。』 『千夏に対応は任せるけど、いざとなったら、わたしのことは話していい。』 『面倒なことさせて、ごめん。』 返事はすぐに来た。 『謝罪より、後でご褒美がほしいです』 『こちらは大丈夫。愛してます』 苦笑すると、目を閉じ、息を吐いた。 こうなる可能性は想定していた。お互いの話をすれば、今どこに住んでてどういう暮らしをしてるかという話題は出るだろう。車で行ける場所なら、ちょっと見てみようとなるのも、あり得る話だ。でもそれは可能性としては低いものだ。運が悪いとしか言いようがない。 千夏にはわたしの通学鞄も含めて私物は全て渡してあるし、家の鍵だって持っている。わたしの家にも来たことがあるから、家に上がってお茶をするような展開になっても、やり過ごせる。 ただもし誰かが帰ってきたら、話がややこしくなる。母であれ義父であれ千夏とは面識がないので、見知らぬ他人が上がり込んでることになってしまう。 そうでなくても、頃合いかもしれなかった。 パパのあの様子からして、これ以上、時間をかけても入れ替わりに気付くことはないだろう。進展が見込めない以上、早めに打ち明けたほうが今後のためにも良さそうだった。 「…………」 未練がましい気持ちが邪魔したけど、あえて考えないようにした。 三駅しか離れてないので、電車は15分ほどで到着した。 外に出て、バス停に向かおうと歩き出して、ぎょっとした。停留所に長蛇の列が出来ていたのだ。 周辺にいた人の話し声が聞こえてくる。なんでもバスが事故を起こして、来れなくなってしまったみたいだった。 仕方なく歩くことにして、スマホを確認する。 千夏から連絡は来ていない。 パパが今住んでる家はここからそう遠くないので、車で来てるはずだった。事前に調べたから間違いない。道路が混雑してたとしても、向こうはもう到着してるはずだ。 進展があれば千夏も連絡するだろうから、家には上がらなかったのか──。 (取り越し苦労だったかな……) 肩透かしを食らったようだけど、ちょっとだけ安心した。 『バスが事故ったみたい。少し遅れる。』 もう別の所に行ったかもしれなかったが、一応連絡を入れておく。 駅からの家路を歩くうちに、周囲は次第に暗くなっていく。 十字路の角を曲がると建物が見えてきた。義父が親から相続した一軒家は、リフォームもしてないので古さがかなり目立ってる。 その二階にあるわたしの部屋は、灯りがついていた。 「………???」 なぜ照明がついてるのだろう──。 スマホを確認したけど、やはり通知はなかった。 バスが来なかったせいで、わたしは2、30分くらいは歩いた。パパと千夏がすぐ家に入ったとして、30分くらい、二人は一緒だったことになる。 想定外のことがあっても、千夏ならうまくアドリブを利かせられるから、その部分は心配してない。 だた、既読すらついてないのは妙だった。 この状況では、何かがあったときに連絡できるよう、スマホをこまめにチェックするはずだ。 電池切れなら、ゼロになる前に知らせるだろう。 不自然だ──というのが率直な感想だった。 家に到着すると、門を開け、玄関扉に触れる。 鍵はかかっていなかった。 音を立てないように、中に入る。靴は二つだけだ。誰かと鉢合わせたわけではないようだった。 忍び足で二階へ上がり、ドアの前に立つ。 隙間から光が漏れてるだけで、話し声などは聞こえない。 ……何をしてるんだろう? 怪訝に思い、ドアノブを回し、ゆっくりと引く。 きぃぃ、と耳障りな音を立てて扉が開いた。 千夏が、部屋の真ん中で倒れていた。 うつぶせで、横を向いている。四肢からは力が抜け、髪が四方に散らばっていた。 パパはそのそばに座って、頭を撫でていた。 わたしは、状況が読めなかった。 何してるんだろうと思い──千夏が全く動かないのに気がつく。 呼吸をしている気配がなかった。 その意味を悟り、息を呑んだ。 こんなのは想定になかった。 パパがゆっくりとこっちを振り向き、その日、はじめて目が合った。 パパは顔中が脂汗でいっぱいだった。表情は悲壮そのもので、ほんの数十分の間に、50歳は年老いたみたいだった。 それを見て、理屈抜きに理解した。 ああ、この人が殺したんだな、と──。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加