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「生きたまま死ね。苦しみながらだ」
深い穴の底に、声が降る。
大好きなパパの声だ。
数メートル上のところで、ランタンの灯がパパを照らしている。黒い影がせっせと動いて土を降らし、わたしを生きたまま埋めようとしてる。
穴底は湿ってて、埃っぽさと木々の生臭さで満ちていた。
雨粒が時折、額に当たる。
体は動かなかった。
後頭部をスコップで殴られたせいで、頭と体を繋ぐ配線が壊れたみたいだった。パパは穴を埋めようとするのをやめないだろうし、助けが来ることもない。
わたしはこれから地面の一部になって死ぬのだろう。
悲しみや恐怖はなかった。
痛みを訴えるばかりの身体と違い、胸の中は暖かいもので満たされていた。
パパ。
ありがとう。
心は穏やかで、最後の瞬間をこんな風に迎えられるのが夢のようだった。
目を閉じると音が遠ざかり、これまでのことが走馬燈のように流れていった。
※ 1 ※
わたしは義父をパパと呼んだことがない。血が繋がってないからだ。
母が彼と再婚したのはわたしが中学二年生の頃だった。
黒縁の眼鏡をかけたサラリーマンで、挨拶のときも笑顔をみせなかった。3年経った今でも笑った顔を見たことがない。
実の父親は──パパはこんなんじゃなかった。
思い出の中のわたしたちはいつも笑ってた。
手を繋いだり肩車で散歩して、一緒にご飯を食べるときも、二人でいつも笑ってた。
あったかくて優しくて、わたしが泣きじゃくってるとすぐに駆け寄って背中をさすってくれるような人だった。
両親が離婚したのは小学一年生の頃だった。
お別れの車に乗って、残ったパパに訳もわからず手を振った。もう会えなくなるというのを当時のわたしはわかってなかった。
それきりパパとは一度も会ってない。
10年も音沙汰がないので再開できるとも思ってなかった。
でも──。
「会いたいんだって」
母は化粧をしながら、世間話でもするみたいに言った。
テーブルに置かれたチラシの切り端には11桁の番号が書いてあった。
「連絡がほしいって言ってたから携帯の番号、そこにメモしといたから。あんた好きだったでしょ? あの人のこと」
喋りながらも化粧の手は止めなかった。香水の匂いがきつくて、わたしは鼻をつまみたくなる。
再婚したのに、この人は水商売をやめなかった。
家で腐るのはゴメンだとか言って、厚化粧を塗りたくって夜の街に出て、知らない男にお酒をついでる。義父もそれを強くは止めない。
どっちもクズだった。
軽蔑した眼差しを向けると、小馬鹿にするように嗤われた。
「あんたっていっつも辛気くさい顔してるね」
つまらなそうに言うと、母はちっちゃなバックを持って家を出た。
「…………」
夕飯のこととか、学校のこととか、友達のこととか、そういう話はもう何年もしてない。自分の娘に興味がないのだ。
チラシに書かれた番号に目をやる。
パパから連絡があっただなんて不思議な気分だった。会えるのは嬉しいけれど不安もあった。
化粧台の鏡には、冴えない女が映ってる。
母の言う通り、暗くて、地味で、垢抜けていなかった。
母みたいになりたくなくて、勉強ばかりしてきた女がそこにはいた。
「がっかりさせちゃうな……」
自嘲気味に笑った。
今さら化粧をしたり、お洒落で可愛い服を買いに行くなんて考えられなかった。練習してこなかったから何をどうすればいいかわからないし、やりたくもない。
なのにパパを失望させたくもない。
できるなら明るくて社交的な子に、今すぐ生まれ変わりたかった。
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