わたしを殺したパパが好き

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  ※  2  ※ 喫茶店の重い扉を開けると、中に入って店内を見渡す。 制服姿の千夏は窓際の席に座って、何やら難しい顔をしていた。ペンを持って下を向いてたので、勉強でもしてるのだろう。 「……式の途中で計算が間違ってる。ここの掛け算が違ってる」 こっそり近づいて指摘すると、千夏は嬉しそうに顔を上げた。 「姉様」 「その呼び方はやめてってば。ってか、それって学校のやつ? やけに難しそうだけど」 「模試の結果が落ちてたんです。姉様は縁のない話でしょうけど」 「そうでもないよ」 わたしは彼女と同じ紅茶を頼み、テーブルに広げられた参考書に目をやる。書き込みが至るところにしてあった。 熱心だなと思ったが、千夏は首を横に振った。 「今日はダメ。はかどらない」 「どうして?」 「……クソどもが不躾な視線を向けてくるから」 紅茶を飲みながら千夏は毒づく。 「若い女だからというだけで毎日誰かに消費されてる。性的な目で見る奴が全員死ぬか、わたしが死ぬしか解決法はないのかしらね」 剥き出しの敵意に、思わず苦笑する。 「相変わらず溜まってるね」 「姉様だけ。こんな風にお話できるのは」 普段の彼女ならこんな発言は許されないのだろう。 千夏の高校は県内でも名の知れたお嬢様学校だ。学力はもとより品格が求められる校風で、淑女たるものかくあるべし、という古風な教育を明治の頃から続けている。 締め付けが強い分、ストレスも相当なのだろう。 彼女はメニューを開くと、くるりと回して差し出した。 「姉様はどのケーキが好き?」 「なんで?」 ふふ、と千夏は笑った。 「お祝い。お父様に会えるって言ってたでしょう?」 妬んだりされる可能性も考えてたので、素直に嬉しかった。 千夏はネット上で知り合った友達だった。パパのことをブログに書いてたときに、よくコメントを残してくれたのだ。彼女も親との関係で悩んでて、自分に無感心な父親や、束縛がきつい母親の愚痴を書き込んでいた。深夜まで悩みを聞いたこともある。 親しくなるのに時間はかからなかった。 一つ年下ということもあり、千夏はいつしかわたしを“姉様”と呼ぶようになった。むず痒かったし、冗談かと思ってたけど、そうではなかった。 始めて会ったのは一年前で、自分と似たタイプの子が来ると思ってたらまるで違った。 千夏は白いワンピースを着たいいとこのお嬢さんで、姉様というのも彼女の生活圏では普通に使われている言葉だった。 蝶よ花よと育てられた箱入り娘。 普通に生きてたら、言葉を交わすことすらなかっただろう。 そんな子が今、自分の前で微笑みながらケーキを選んでるのだから不思議だった。 そうこうしてると紅茶が運ばれてきたので、ショートケーキとベリーのタルトを注文する。 よし、と決心して、わたしは切り出した。 「お祝いは嬉しいけど、その前に話があるの」 千夏は首をかしげた。 「わたしのパパに会ってくれないかな」 「ご挨拶するんですか?」 「……違うの。わたしの代わりに会ってほしいの。わたしの、ふりをして…」 「わたしが、姉様のふりを?」 千夏はきょとんとした。 「それは、変装をするのですか?」 「う、うん。制服とか着てもらおうかなって。背格好ならわりと似てるから……」 「姉様みたいな喋り方をして?」 「まあ、似せる感じで……」 「わたしが変装してお父様に挨拶して、びっくりさせる作戦ですか?」 「作戦?」 「ドッキリとか」 10年ぶりに会う相手に、なんでそんなことをするのだろう。 とは言え、これからやろうとしてることも気が狂ってた。 「そうじゃなくて。最後までバラさないでほしいの」 「なんでそんなことをするんですか?」 言いづらいけど、千夏には話さないといけなかった。 「……パパをがっかりさせたくない。わたしが行っても、甘えたり、気安く話せないから。せっかく会うなら、嫌な気持ちになってほしくない。千夏なら華やかで品があるし、嫌われることはないと思うから…」 「バレませんか?」 当然の疑問だし、対策は考えてあった。 「事前に写真を送れば大丈夫だと思う。当日いきなり入れ替わったらマズいけど、事前に提示して『これが本物です』って植え付ければ、ひとまず信じるだろうから」 「お母様が先に写真を渡してたら?」 「そのときは中止する。別人が写ってたら、さすがに何か言うだろうし」 「なるほど……」 母はわたしの写真なんて一枚も持ってないだろうけど、それは言わないでおいた。 「最初は説得力のあるものでハッタリかますのが一番だから、入学式の写真を加工しようとか思ったけど……さすがにフェアじゃないから止めとく。そもそもの写真がないし、そこまでやると今後に響きそうだし」 くすすす、と千夏は上品に笑った。 「姉様はアイデア豊富で羨ましい。そんなこと、普通なら考えもしない。姉様と話してると退屈しませんね」 「引き受けてくれる?」 「もちろん。姉様の頼みを断るわけない」 承諾してもらえて、ほっとした。 「ありがとう。ほかに頼れる人がいなかったから、すごい助かる。わたしの代わりを千夏にやらせるなんて図々しいとは思ったんだけど……」 その言葉を聞き、千夏は意外そうにした。 「わたしはそうは思いませんけど。姉様とわたしって、そこまで見た目が変わらないもの」 ……そんなことはない。 思わず口にしそうになる。 千夏にはわたしみたいな醜いソバカスがない。髪はくせ毛ではなくストレートだし、肌は白くて滑らかだ。その美しい澄んだ声は生まれついてのものだろう。地声の低さでからかわれたことなんて一度もないに決まってる。 何もかもが正反対じゃないか。 言い返したかったが、当の千夏は知らん顔で紅茶を口にしていた。 「自己評価と他者評価が食い違うことはよくありますからね。姉様の価値はわたしがよく知ってるので大丈夫」 彼女にとっては、どうということのない発言なのだろう。 一方わたしは、黒い自尊心が満たされるのを感じてた。 勉強しか能がないだなんて罵倒は数えきれないほど耳にした。 でも、学校の連中や親がどんな目でわたしを見てても、わたしには千夏がいるのだ。太陽に愛されてるような少女が、純粋な好意をわたしに向けている。……ざまあみろだ。 歪んだ愉悦に浸ってると、テーブルの下で何かがぶつかった。 千夏が足をパタパタさせてたらしい。 こういう仕草ははしたないから、普段は滅多にやらないのに。 「楽しそうだね」 「ええ。こう見えて学芸会では主役に選ばれたこともあるし、演技をするのは得意だもの。クラスメートはわたしが人の悪口を言ってる姿なんて想像もできないはずです。それに──」 千夏は恍惚とした表情を浮かべた。 「姉様の匂いのついた制服を着られるなんて、夢みたいだから」 「それは……よかったね」 千夏はたまに反応に困るようなことを言う。 「あ、そうだ」 忘れないうちに、渡しておくことにした。わたしは鞄から封筒を抜いて、差し出した。バイトで稼いだ3万円が中に入っていた。 「これは?」 「お礼って言うか、手間賃って言うか……」 千夏はにっこり笑って受け取ると、真っ二つに破り捨てた。 「見くびらないでください」 期待通りの答えに、わたしは嬉しくなる。 これが千夏だ。 これが、わたしの親友なのだ。
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