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※ 4 ※
二人して見つめ合ってたのは数秒だった。
パパは再度、千夏に向き直ると、石像にでもなったように固まった。頭に当てた手だけをわずかに動かして、いたわるように撫でていた。
現実味がいまいち湧かないまま、わたしも千夏を見ようとして──できなかった。
生理的に、受け付けなかった。
手足や体ならぎりぎり平気だけど、首から上は無理だった。
心臓が動いてるかの違いだけなのに、直視してはいけない気がした。
穢れてると、直感的に思ってしまった。
清らかさが失われたら、それはもう千夏ではない。
道路に棄てられた動物の死体と同じなのだと、わたしの脳は判断していた。
ほんの一時間前まで友達だったのに、自分の冷酷さに、ぞっとした。
改めて部屋を見渡して、状況を把握する。
周囲に血痕はない。
争ったような形跡も、凶器らしき物もない。千夏がこうなったのは、頭を何かに打ちつけたせいだろうか――。
脈が早まるのを感じた。
一つだけ、確かめておかなければならないことがあった。
「……救急車は呼びましたか?」
声が震えた。
殺人か、事故か。それを見分けるための問いだった。
呼んでなければ答えは前者だ。すぐにでも逃げ出さないといけなかった。
意図的な殺人だった場合、標的は『娘』だからだ。
「……忘れてた」
覇気のない声だった。
わたしは、動けなかった。
事前にどうするかは決めてたのに、逃げられなかった。
“何か”をまだ迷っていた。
その正体が自分でもわからなかった。
「君は誰」
もたついてる間に問いを返された。
「どうして人の家にいるの」
「……わ、たしは、この子の、友達です」
「何しに来たの」
「見守って、ほしいと、頼まれてました。なにか、あったら、入ってきてほしいって……」
言いながら、筋が通らないと思った。
普通なら、親子で会うのに見守るも何もないからだ。別の説明が必要だった。
「ネットで、知り合った人に、会うって聞いてましたけど…」
咄嗟の嘘だが悪くなかった。わたしがもし事情を隠したまま協力してもらうなら、そういった嘘をついただろう。
そしてこれは『わたしはあなたを知らない』というメッセージでもあった。
パパは──何も返さなかった。
名前を聞かれたら『千夏です』と答えるつもりだったが、意識がこちらに向いてなかった。
逃げ出すには好都合だった。
一歩下がり、部屋から足を出す。気付かれた様子はない。
そのまま走り出せばよかったのに、パパの顔を見てしまった。
横顔を、涙が伝うのを目にしてしまった。
逃げようと思えば逃げられた。
だけど、わたしは、見捨てられなかった。
「……このまま捕まりたいの?」
わたしが声をかけると、鈍い動作でパパがこっちを向く。
死体みたいに虚ろな表情だった。
わたしが去れば、パパは一人になってしまう。
警察がやってくるまで、彼はこうやって亡骸のそばで、途方に暮れたままでいるのだろう。
それがどれほど心細いか、わたしにはよくわかった。
誰かが味方をしてあげないといけなかった。
「死体を、埋めに行こう」
パパは、びしょ濡れの顔のまま頷いた。
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