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「だから、アレは事故だったのよ」
伸びた分だけ黒い地髪が露呈している、パサついた金髪を掻き上げる指先には尖った薄紫色のジェルネイル。
細いメンソールに火をつけ、無遠慮に煙を吐き出してから、彼女はめんどくさそうにそう説明した。
子どもの前でもどうせ、空気の汚れなど気にしたことなど皆無にちがいない。
女は、その色合いが、子どもが大事がって食べていたマーブルチョコレートを思わせる、カラフルなビジューを貼り付けた爪の出来栄えを、手をのばしたり近づけたりしてチェックはしても、子どもが座っている椅子の方など見ようともしない。
およそ幼い子どもの母親にしては鋭利な細工と言わずにはいられないその爪を見て、彼は子どもを振り返った。
そういえば、子どもの頬に鋭い引っ掻き傷があったっけ。
「突き飛ばしたりなんかしてないし、あの子が勝手によろけて、タンスの角に頭ぶつけたの」
「すぐに病院へ運んだり医者に診せたりしたのか?」
「ちょうど仕事へ出る時間だったから……。布団に寝かせて大丈夫か訊いたら大丈夫だって。本人が言うんだから信じるしかないでしょ」
それ以上踏み込まれるのが面倒で、投げやりな口調で言い放ったのか、本当に反省していないのか、装いというよりもはや作品に近いメイクの下では、どんな表情でいるのかはわからない。
「仕事? あの夜は無断欠勤したんじゃなかったか?」
彼が問いただすと、女は舌を出した。
「行こうとはしたのよ、でも出勤の途中で気持ち悪くなっちゃって」
「へえ、それで男のアパートで休憩してたわけか、48時間も」
結局、二日の間、女は戻らなかったのだ。
立ち上がることも、助けを呼ぶことも出来ないまま、子どもが母親を待っている間、女は恋人と一緒にいた。
一緒に食べたい物を食べ、したいことをしていた。
彼は狭いアパートの部屋を見回した。
床の上は食べ散らかしたプラ食器、発泡酒の空き缶、脱いだ服や未開封の郵便物で足の踏み場もない。
壁には去年のままのカレンダー、チェーンの牛丼屋のクーポンや客の名刺がピンでぞんざいに刺し止められている。
彼はそんな部屋の片隅に押しやられた子どものぬいぐるみをみつけて、拾い上げた。
片目が取れたウサギのぬいぐるみで、タグに小さく「あき」と名前が記入されている。
もとは違う色だったのかもしれない、茶と灰色の斑に染まったウサギのぬいぐるみを渡してやると、子どもは笑顔になって抱き締め
「これ、持って行っていい?」
と訊いた。
「ああ、好きにすればいい」
と彼は答えた。
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