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◆ 1 ◆
「そういえば、言ってなかったけど彼氏ができたんだ!」
2月14日の放課後。親友の朱里が屈託のない笑顔でそんなことを言ったから、驚かずにはいられなかった。
教室から保健室まで持ってきた数学のプリントが落っこちそうになって、何とか腕で持ち直す。
朱里は保健室のベッドの上でにこにこしていた。二時間前に体育で倒れたとは到底思えない輝かしい笑顔である。立ち尽くす私。
え……、まって、彼氏?
「ていうかさ、言うタイミングおかしくない?」
「ごめんごめん!」
「いや別にいいけど……。何で今言うのよ」
「なんかね、莉世が倒れたあたしのことお姫様抱っこで運んでくれたじゃん? その時にね、『ああ、そういえば彼氏にお姫様抱っこしてもらったなー。あれ? あたし莉世に彼氏できたってことまだ言ってなかったじゃん?!』って思い出したの。でもその時は、本当に寝不足で眠すぎてそれどころじゃなかったから、起きたら絶対言おう!!って決意して倒れたの」
「おお、そうなんだ……。ま、おめでとう」
「えへ、どういたしまして!」
「返事がちょっとおかしいんだけど……。普通は『ありがとう』でしょ」
でも、この子に彼氏かあ……。
改めて目の前の親友をまじまじと眺めた。
肩のあたりまで伸びた艶のある髪に、やや童顔ではあるけれどわりと整った顔立ち……。うん、まあ、外見だけ見れば彼氏ができてもおかしくはない。だけど……。
「で? 彼氏は朱里のその性格も受け入れてくれたの?」
「その性格ってどういう性格!?」
「だからその……元気なとことか……。あんた、前の彼氏に『声がでかすぎてうるさい』って振られちゃってたじゃん……」
「今の彼氏は、いつも元気な君が好きって言ってくれたもん!」
溢れんばかりの笑みでそう言う朱里。ああ、そうなんだ。
「よかったね。蓼食う虫も好き好きだね」
「ありがとー! でも後半は余計だぞ!」
「それで? 相手ってどんな人なの?」
私はプリントを朱里に手渡して、隣のベッドに腰を下ろした。ちょっとわくわく。
「えっとー、私より六つくらい年上でね、働いてる人!」
「ステイ」
社会人……!?
嫌な予感が走った。
改めて、朱里のことを見る。だまされやすそうで、純粋無垢。変なビジネスに誘われてるんじゃないよね……?と思わずにはいられない。
「そ、その人ってどういう人? お金持ち? イケメン?」
「うーんとね、普通のサラリーマンでー、こんな感じの人!」
私の不安もよそに、朱里は楽しそうにスマホ画面に表示させた写真を見せてくれた。
「や、優しそうな人だね……」
絞り出した感想はそれに尽きた。
正直イケメンとは言えない感じの人だ。髪はぼさついてるし、セルフレームのダサい眼鏡なんかかけてるし、温厚そう、と言えば聞こえはいいけどちょっとヘタレそうだ。彼氏にしたい対象というよりは、親戚のお兄ちゃんあたりにいてお小遣いをくれそうな人、という印象。
この人のどこがいいの……!?
朱里はけっこう顔が可愛いし、男子からの人気もあるほうだ。正直言っちゃなんだけど、もっとかっこいい人とつきあえるくらいのスペックはある。なのに、なんでこんな年の離れた陰キャっぽいフツメンと……。私はもやもやしてしまった。
「莉世、よくわかったね! 松橋さん優しいよ!」
そして、先ほど私が発した「優しそう」という感想を素直に受け取っている朱里(こういうところが可愛い私の親友)。
「こ、この人とどこで会ったの?」
「二週間前の日曜に、街歩いてたらナンパされたからついていったの!」
「ナンパ!? こいつがナンパとかできんの!? そんで朱里はついてったの!? 危機感、無っ! しかも、こんなダサい男についていったわけ!?」
「もー。そんなひどい言い方しない! それでその日はカフェでお茶してー、けっこう喋ってて楽しかったから連絡先交換してー、その後も何回か会ったんだけど、気が合うなって思って付き合うことになった! 松橋さんはドーナツが好きなんだって! あたしも甘いもの好きだし!」
「へ、へー……」
もう、「へえ」としか言えない。
「駅前に新しくできたドーナツショップあるでしょ? 今日この後あそこで会うんだ〜。だから、今日は莉世とは一緒に帰れないや。でも、その代わり……」
「ね、ねえ朱里ってこの人のこと本当に好きなの? 友達としての好きと履き違えてるとかじゃない?」
「え!? ちがうよ! だって松橋さんの顔見るとドキドキするもん!」
朱里は頬を膨らませた。
「いや、でもそのドキドキはさ、めったに社会人と遊ぶことが無いから緊張してた……とかじゃないの?」
「そんなわけないよ〜。今日もまた会えるの楽しみだし!」
キラキラした瞳で朱里はスマホに表示させた松橋何某の画像を見つめている。だめだ……。完全に浮かれている。
「ねえ、このあとドーナツ屋でそいつと会うんでしょ? 私も一緒に行っていい?」
「なに言ってるの!? だめだよ! 今日だけは絶対だめっ!」
「でも心配なんだって。何かその人に騙されてるんじゃないの? そのうち壺とか買わされたりするんじゃ……」
「心配されるようなこと何もしてないもん!」
朱里は頑なだ。思わずため息がこぼれそうになった。
「それにさあ、その人の何がいいの? お金持ちってわけでもないんでしょ……? ナンパとか軽そうだし言っちゃ悪いけどイケメンでもないし。朱里にはもっとかっこよくて頭よくてしっかりした男のほうが……」
「大丈夫だから、ほっといて!」
そんなこと言われたって、気になるものは気になるんだよ……。
朱里はすねたのか、シャッとベッドのカーテンを閉めてしまった。
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