第3話 放課後

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第3話 放課後

 待ちに待った放課後、ぼくはユーキに一緒に帰ろうと声を掛ける。 「そうだ。今日、一緒に勉強、いいの?」  しまった。聞かれるまで気づかなかった。ぼくはユーキに、すっかり返事をしたつもりだったんだ。 「あ、うん。忘れてたんだけど、叔父さんに店番頼まれてるから、それも一緒にやろうよ」  ……忘れてたのは、いいよって言う返事だけど。慌ててぼくが答えると、ユーキの顔が、パッと明るくなった。 「それにさ、帰りは叔父さんに頼んで車で一緒にユーキん()まで送るよ」 「やった! 店番なら任せてよ。自分のとこの直売所でしてるから、お釣りの暗算は得意なんだ」  しばらく暗算自慢を続けるユーキに、ぼくが「ウチにお客さんが来たの、見たことないんだけど」って言ったら、小さい頃お父さんと一緒に叔父さんの店で駄菓子を買ったことがあると教えてくれた。  ……本当に? リップサービスに違いない、なんて思わず疑ってしまう。  それはともかく鼻歌を歌うユーキと並んで、廊下を歩くのは……何と言ったら良いのかな? 楽しい? 嬉しい? 面白い? いやもうそれ全部マシマシでしょ。  ぼくの嬉しさまで伝達しちゃってるのか、なんなのか分からないけど、ユーキは誰かと一緒に勉強出来るのがよほど嬉しいんだな、と思わず笑ってしまう。  今までぼくの周りには、ユーキみたいに素直で分かりやすい子がいなかった。みんな何かを我慢していたり、大切な人を悲しませまいと嘘でも笑顔だったりしたから、そんなユーキを見ているだけで胸がいっぱいになる。  自分だって駆け出したいくらい嬉しいんだけど、それを見せられないのが残念だ。  あ、でももう走っても良いんだった。  生まれてこのかた身についた習慣は、なかなか抜けないんだよね。  昇降口は靴を履くのを争うように急ぐ児童と、迎えの親で何となくごちゃごちゃしていた。  それを目にしたぼくとユーキは、さりげなくその場から後退りで校長室の方まで後退する。  親切な誰か知らない人のお母さんが、ついでに家まで送ろうと声を掛けてくるのを避けるためだ。  初めて声をかけられた時、驚いた。  知らない人だよ?  小さな村ならではのコミュニケーションなのかもしれない。それに、この村は改めて氏素性を調べなくとも、誰もが遠い親戚にあたるくらいなうえに、いつ誰がどこで何をしたのかまで知られてしまう狭い村なんだ。  まあ、いわゆる筒抜けってやつ。  だから、村の人たちは、ぼくを知っている。誰の子供で、どうしてこの村に来たのかなんてぼくが説明するまでもない。    村に受け入れられた者に対する寛大さは、ありがたいんだけど、ぼくにしてみれば誰なのかよく分からない人と車に乗る気まずさ……。さらには、向こうはこちらを知っているのに、誰ですかと聞けない気まずさ……。  一度だけ、誰か分からないぼくたちを知る六年生の親に、正しくは、叔父さんのことを良く知っている人に、どうしても断り切れず乗せてもらったことがあった。  ぼくなんかに面白い話題作りは到底無理だし、ユーキはこう見えて人見知りだから話題を振られても車の中は気まずい沈黙。その六年生の子は、絵に描いたように不貞腐れていた。ぼくが一足先に降りた後の車の窓から見えたユーキのあの顔……。  それからぼくとユーキは、『徒歩連盟』を立ち上げることにしたんだ。余程の悪天候でない限り、歩いて帰るってだけなんだけどね。しかも二人しかいない、まあ今のところはね。  しばらく校長室の前で、昇降口に誰も居なくなるのを待つことにした。  ランドセルとリュックを背負ったまま、冷たい廊下に座る。ランドセルの良いところは、背後に壁がなくても鞄が背もたれになるところだ。でもユーキのリュックはそういう訳にはいかないので、校長室の壁に寄り掛かり、だらしなく二人で足を投げ出し、時折り首を伸ばして昇降口を覗いて様子を見ては、また壁に寄り掛かる。  保護者は子供そっちのけで、立ち話に花を咲かせていた。  やれやれ。  まだ時間がかかりそうだからトイレに行って来ると、鼻歌を歌うユーキがいなくなって、周囲が静かになった途端。校長室で誰かが低い声で話していることに、ぼくは気づいてしまった。  校長先生とシラユキ先生……?  そういえば、今朝もシラユキ先生は保健室と反対側に歩いていたけど、校長先生に用事があったんだろうか。  声は、大きくなったり小さくなったりして聞きづらいが、言い争う調子であるのは間違いない。 『……約束は一年。それに保っても二年だと、あの時にお話しましたよね? もう期限はとうに過ぎているんです。……ご自分でも分かっているでしょう? 限界……なんですよ……』 『そんな……! そんなこと言わないでください。今までみたいに見逃してくれませんか? もう少し……もう少しだけで良いんです。気をつけます……気をつけているでしょう? ね?』 『……すみませんが、もう前に進まなくては……これ以上は無理です。それでなくとも、貴女は特例中の特例として……』 『どうしてよ? なんで?! こんなに気をつけてるのよ? ほらっ大丈夫でしょう? まだここも、これも……ほらッ見てよ! ……見なさいよ!! どうして? なぜこんなことになるの?』    シラユキ先生の悲鳴に近い声。  何の話だろう?  ……期限?  よく分かんないけど、シラユキ先生はここに居られないって言われてる?  いつも表情の乏しいシラユキ先生の怒る顔は、想像出来なかった。  ……いや、想像したら恐ろしすぎる。 「わっ!! ね、ビックリした? ん、どうしたの? すごい顔して……お腹痛い?」  姿丸見えのユーキが、本気でぼくを驚かそうとしたのかどうかは分からないが、ユーキの声は校長室にも聞こえたと思う。ぴたりと話し声が止んでしまったから。  そんなこと知らないユーキは、屈託のない笑顔で座り込んでいたぼくの手を引っ張り立ち上がらせると、有無を言わさずランドセルの背中を昇降口に向かって押し出すように歩き出した。  なるほど。  見れば昇降口に他の人影はない。  先生たちの話は、とりあえず今のぼくたちにはあまり関係のないものだったから、ユーキに言うほどのことではないと、忘れることにした。  そんなこんなで、ぼくとユーキはそれぞれの下駄箱の前で靴に履き替えると、大手を振って外に出たんだ。    出発だ! 徒歩連盟の諸君!  ……二人だけどね?  帰り道は、いつになく楽しかった。  聞けば友達と一緒に宿題をするのはユーキも初めてのことだって言うし……なるほどそれで鼻歌なわけね。同じところに帰るっていうことが、さらにぼくたちを陽気にさせていた。  叔父さんの家まで、同じ石を交互に蹴り続けながら帰ろうと、ユーキが言い出す。  途中の駐在所の前で、下校を見守るこの春に来た新しいお巡りさんに、手を振った。石蹴りが怒られるんじゃないかと、二人ともびくびくしながら。  ぼくとユーキは、手を振り返してくれるこの新しく来たお巡りさんには奥さんと小さな娘さんがいることを、いつかの立ち話で教えてもらったのだけど、その奥さんと小さな女の子の姿を見たことは未だにない。  きっとまだ赤ちゃんなんだよ、とユーキが言ったのは随分と前だ。もしかしたら、ぼくみたいに、その子は身体が弱いのかもしれないと思う。  あっ。  調子良く続いていた石蹴りが失敗して、大きく弾んだ石が道から外れて川に落ちていくのを、ぼくとユーキは悔しそうに見送った。 「最後まで行けたら、何か良いことありそうだったのに」  残念そうにユーキが口にした言葉は、全くぼくが思っていたことだったので、思わず吹き出してしまう。 「……なんだよ。バカにして」  拗ねたユーキが、ぼくのランドセルをふざけてパンチする。 「ごめん、違うんだ。ぼくもそう思ってたから、同じだなぁって笑ったんだよ」  だからぼくはその証拠に、いつもはひとりでしている、左足で玄関の敷居を跨いだら良いことがあるっていう謎のルールを、こっそり打ち明けた。 「でもさ、左足でどうしても跨ぎたいから、最後は意味もなく小さな歩幅で調節したりしてさ」 「あははっ! ズルじゃん、それ」  笑顔が戻ったユーキは、次はそれを一緒にやろうと言う。  右足、左足。右足、左足。  みぎ! ひだり! みぎ! ひだり!  ぼくたちは笑いながら、家まで声を揃えて行進する。足元を見ながら夢中で歩いていたので、叔父さんの家のすぐ前に来たことに、気づいていなかった。すぐそばで叔父さんの笑う声が聞こえて、ぼくとユーキは飛び上がるほど驚いた。 「なんだい? 二人ともそんなに驚いて」  突然の叔父さんの登場に、ユーキが固まってしまったのでぼくは、一緒に店番と宿題をするからと告げた。  叔父さんはふっと優しい笑顔になると「分かった。店番、頼むよ。帰りは送ろう。藤田農園だったね?」と最後はユーキを見て言った。眼鏡の奥の目は、少し涙で滲んでいるように見えた。友達と宿題するってだけで叔父さん……大袈裟に喜びすぎ。  車に乗り込む叔父さんに手を振り、ぼくとユーキは玄関から家に入った。 「あーッ! 左足のこと忘れた!」  頭を抱えて、ユーキが大袈裟なくらい悔しがる様子に、ぼくは声を出して笑う。 「ほんとだ。すっかり忘れちゃったね?」 「おじさんが、ビックリさせるんだもん」  そうだそうだ、と二人で頷く。 「今日のはノーカンね。また、やろうよ」  ユーキの言葉は、また一緒に宿題をしよう。とか、遊ぼうってことだよね?  ぼくは嬉しくて、にやけてしまう。  店に面した部屋に折り畳みのテーブルを広げ、ガラス障子を大きく開け放して宿題をしながら店番をする。  二人とも、それぞれの宿題として配られたプリント……ぼくは算数でユーキは理科だった、は簡単に終わってしまい懸案の漢字ドリルに嫌々取り掛かった。  畳の上に胡座をかいて、テーブルに両手を乗せひたすら書き写していく。  漢字ドリルは苦手だ。  同じ字を何度も何度も書いてノートいっぱいになったその字を、目でなぞりながら書き続けるうちに何の字が分からなくなる。いや、それはもう文字にすら見えない。線のひとつひとつが離れて見え始め直線は歪み、跳ね上がりは動きだし、視線が定まらなくなってくる。何を書いているのか分からないのに、続けなくてはいけないその気持ち悪さと、そのうち浮き上がる文字を追って、鉛筆を握る手が宙を漂うような、痒くなるようなムズムズした感じが堪らなく嫌だ。  ふと向かいに座るユーキを見れば、頬杖をつきながら全くやる気のない様子でノートに字を書いている。  ぼくの視線を感じたユーキが、上目遣いにこちらを見ながら唇を尖らせた。 「ボーッと見てないで進めなよ……で、終わったら家の中、探検しよう」  最後、にやりと笑ってまたノートに視線を落とす。  別に、ずっとぼうっとしていたわけじゃないのに……こうなったらユーキより少しでも多く終わらせてやる。 「……でもさ漢字って、書いてると余計分からなくなるよね?」  あ、やっぱり? ユーキの呟きに、ぼくは笑った。それから黙々とドリルを進める。  部屋にある古い時計の秒針がたてる大きな音と、ノートに走らせる鉛筆の音。ぼくたちの呼吸音。  それ以外の音のしない心地よい時間。 「だーっ。もうやめた! ね、休憩しようよ」  やっぱり、というか何というか、先に音を上げたのは勿論ユーキだ。 「どれくらい終わったの?」 「三つ進めた。……簡単なやつだけど」 「ユーキ……面倒なのは後回しにするタイプなんだ?」 「うーん……そう、かな?」  えへへッて、笑ってごまかしているけど後から大変なのばかり残ってるの、辛すぎると思うんだけどな。  ぼくは順にやるタイプだと言ったら、ユーキは「真面目かっ」って。確かに、ぼくは融通の利かない面白味に欠けるタイプかも。 「お茶でも飲もうか?」 「お茶かぁ……ジュースとかないの?」  そう言いながら泳がせたユーキの視線の先には、店の売り物の白地に青色の水玉模様が描かれたあの飲み物。さては、ずっと狙っていたな。ちなみに希釈用だし。 「……売り物だよ」 「買えば良くない? 二人で半分ずつ出し合うってどう?」  言うが早いか、リュックの中からお財布を取り出した。 「何かのために、いつも五百円持ってるんだ。今こそ、その『何か』ではないかね?」  ぼくは思わず噴き出す。真面目くさった表情を取り繕うユーキの顔ったら! 「叔父さんに聞いてみてからでも良い?」  うんうん、と嬉しそうに頷く。  電話を掛けるのはぼくなのに、わざとらしく肘で邪魔し合いユーキと競うように歩いて廊下にある黒電話まで急ぐ。  電話の目の前で立ち止まり驚くユーキ。 「これ、電話? って、マジで使えるの? どうやって?」  「ユーキ、知らないの?」  なんて優越感に浸って言ったぼくだけど、電話を見た時のユーキの反応は、ぼくと全く同じだった。  ぼくも叔父さんの家に来て、黒電話を初めて見たんだ。しかも叔父さんは今時スマホを持っていない。  ちなみに携帯電話(ガラケー)を持ってはいても、全然使っていない。昔は携帯電話の電波が届かない場所が多かったから、使う習慣がなかったんだって。もしもの時に便利だし、今も圏外が多いけど前ほどじゃないから持つようにはしたんだ……なんて叔父さんは言いながら、携帯電話(ガラケー)は大抵不携帯だ。  受話器を上げて、黒電話の下にある電話番号の書かれた紙を見ながら、ダイヤルを回す。  この『受話器を持ち上げて』いないと、どこにも繋がらないのを知らなかったぼくは、叔父さんに驚かれたんだけど、ぼくにしてみれば繋がらない方がびっくりだよ。  じーっ、じーっ、じーーっ。  十一桁の番号を回すのは、少々骨が折れる。せっかちなユーキは、指を数字の輪の中に入れるたび、焦れたように軽く両膝を曲げておかしなリズムを取っていた。 「これって、本当に繋がるの? ちょー怪しいんですけど……」  ユーキも疑り深いな。  まあ、ぼくだって最初は同じようなものだったけどね。  一拍遅れて、受話器から呼び出し音が聞こえる。なかなか出ない。  気づかないのかな? 「……ねぇ。……ねぇ? 台所の方から何か聞こえない?」  ユーキが、ぼくの腕を引く。  受話器から耳を離すと、確かに台所で叔父さんの携帯が鳴っていた。 「叔父さん……また忘れたんだ」 「使えねーーっ!」  いいや、もう買おうよ。  たっぷり二人で飲めるし、ユーキがまた遊びに来てくれるみたいだし。    だけど買ったら、買ったで叔父さんのことだから多分、そんなことしなくても飲んで良いのにって言うんだろうけど。  ぼくは受話器を置くと、そのまま自分の部屋に置いてある貯金箱をとりに行った。ユーキも一緒について来る。部屋の襖扉を開けて中を覗いたユーキは「何にもないね」って言いながら、すたすたと部屋に入った。 「机、これおじさんが使ってたやつ? あとは本棚……へーぇ。漫画もいっぱいある。本はたくさん持ってきたんだ。布団を敷いて寝てるの?」  勝手に押し入れを開けて、頭を突っ込んでいる。 「……ユーキ。あちこち見ないでよ」  本棚を見られるのが、一番恥ずかしいってどうしてなんだろう。  そう思いながら首だけユーキの方を振り返って叱言を言う。机の上に置いてあった貯金箱を裏返し、蓋を外した。小銭を数えて余分をまた戻す。 「なんかさ、人ん()って、好きなんだよね。見るとその人が分かるっていうか……」  そう言いながら、ユーキは窓から顔を出して外を見ている。 「で? ぼくはどんな人だった?」 「んー。分かんない。ここは、おじさんの家でしょ? だからかもしれないけど、おじさんがきちんとした人だってことぐらいしか、分からないよ。古いのに綺麗にしてるし、余分な物は無いみたいだし。ウチなんか押し入れには要る物も要らない物も、パンクしそうなくらい入ってるからね」  今度、漫画本貸してよと言いながら、開けた窓を閉める。  ふーん。そうなんだ。  確かにここは叔父さんの家だから、ぼくの気配なんて薄いのかもしれない。  小銭を握りしめたぼくとユーキは、勉強していた部屋に戻ろうと廊下に出る。  少し遅れてキョロキョロと周りを見ながら、好奇心丸出しのユーキが後ろからついてきていた。 「あ! ねぇ、ねぇ! 上、上見てよ。ほらあそこ」  突然大きな声で、ユーキがぼくの背中のシャツを引っ張ると、天井を指差す。 「ねぇ、アレって屋根裏に物置があるんじゃない?」  板張り天井のその部分。後から作ったような不自然な四角い枠があって、天井点検口みたいになっている。 「ただの点検口じゃないの? 屋根裏の入り口なら、もう少し大きくないと不便じゃないかな?」  ぼくの言葉に不満そうな顔で、ユーキは「だってさ、屋根裏部屋があったら探検するのに丁度いいじゃん」って。  ……探検かぁ。  屋根裏部屋か物置があったとしても、蜘蛛は絶対にいる。その中に入って行くの?    掌くらいの大きな蜘蛛。  膨らんだ腹。  細く折れ曲がる脚。  暗闇で光る眼。  考えただけでぞくっと身体が震えた。 「まあ、とりあえずジュースでも買おうよ」  ぼくがどんなに蜘蛛が苦手か、ユーキはまだ知らないんだった。  気を逸らすため、握りしめていた小銭を見せ、手のひらを左右に振る。チャリチャリと小銭同士が擦れ合う音。ユーキは嬉しそうに、口を大きく開けて笑った。 「そっか、そうだ。とりあえず今日のところはアレを買ってジュースを作ろう! 知ってる? 牛乳で割っても美味しいんだよ」  勉強していた部屋から店の土間に降りるため、靴を取りに玄関まで行こうとするユーキを引き止めた。上がり框の下に式台として大きな石があって、その上にサンダルが置いてあることを教えて二人で履き替える。  古いレジの使い方は、ユーキが知っていた。やった。これ農園(ウチ)にあるやつとおんなじだ! って言いながら値段を打ち込み、会計のボタンを押す。  ……チン!  自転車のベルみたいな音がして、引き出しが開いた。  お金を入れ、品物を持って部屋に引き返す。 「ユーキが居て良かった。叔父さん、レジの使い方を教えるの忘れてるんだもん。もし本当にお客さんが来たらマズかったよ」  ユーキが脱ぎ散らかしたサンダルを揃えながら、ぼくが愚痴るとユーキは笑って言った。 「お客さんっていっても、この辺の人でしょ? 困った顔すればきっと『そんならまた来る』って帰るから大丈夫だよ。店閉めてると、何かあったんじゃないかって心配するから開けとくだけだと思う」  えー? そうなの?  なんだか納得いかないような。はじめから叔父さんに当てにされてないってこと?  台所でコップを二つ。  製氷室から製氷皿に出来ている氷を取り出す。両手で捻り氷を浮かせると、必要な分だけコップに入れて、また製氷皿に水を足して戻した。  ユーキはまたもや古い冷蔵庫を見て驚き、さらに勝手に氷が出来るわけじゃないことで、変に感心している。ジュース凍らせられんじゃん! ってさ。  そりゃぁ製氷皿でジュースだって凍らせられるけど、それはどんな冷蔵庫も冷凍室があればおんなじだよね? 勝手に氷が出来ないのって、不便なだけだよ。  ユーキおすすめの牛乳割りを作って部屋まで運んだ。勉強道具を肘でずらし、テーブルの上にコップを置き向かい合うと、なんだか突然笑いがこみ上げてきて、ぼくもユーキも涙が出るほど笑う。  ようやく笑いが収まって、コップに口をつけたけど、またユーキが噴き出すものだから溢さないようにするのに大変だった。  楽しい。  友達と一緒って、こんなに楽しいんだ。  あっという間に飲み終わったぼくたちは、さすがに二杯続けて飲むわけにもいかず、今日はもうお終いにしようとコップを台所に片付けた。  流し台でコップを洗いながら、ぼくはユーキにお礼を言う。 「牛乳割り、美味しかったよ。教えてくれてアリガト。残りの原液は今度また飲むのに冷蔵庫入れとくからさ」  ぼくの言葉に、ユーキが頷く。 「もうすぐ夏休みだし、これからもっといっぱい遊べるよ」  夏休みか……今から待ちきれない。  川遊びに、花火、お祭りにって考えるだけでワクワクする。虫捕りは……しなくていいや。  虫……嫌なことを思い出してしまった。 「そうだ。シラユキ先生っていつからあの学校にいるの?」  勉強していた部屋に戻ったぼくは、ユーキに尋ねてみた。ぼくの質問の意味を知りたそうにしたユーキが「何で?」と聞くから、廊下で聞いてしまった校長室の中の話し声のことを教える。  しばらく考えた後で、ユーキは答えた。 「……多分だけど今度の夏で、もう四年じゃないかな? じゃあ、その話からすると、もう居なくなるってこと? そういえば先生とは全然カンケーないんだけど、ウチの学校って山の中にあるから身体の弱い子とかが、学校に長い間行ってなかった子とかが、ときどき短期的に通うために来たりするんだよね。気候の良い時期だけっていうの? 春から秋の終わりまでのお試し、みたいな感じでさ。なにせ、冬は厳しいからねぇ。今までも、来てもすぐ居なくなっちゃう子がいたりしたんだ。今度もまた、そうかと思ってたんだけど……」  ユーキが、ぼくの顔を見ている。  なるほどね。転校生なのに騒がられない理由が分かった。 「ぼく? ぼくはとりあえず小学校はこっちに通う予定だよ」  それを聞いたユーキ、嬉しそうに笑って「じゃあ、中学もこっちで良いじゃん。どう?」と言うけど……ぼくだって家に帰りたい気持ちはあるんだ。  パパとママの顔がふと頭をよぎる。 「ただいま」  玄関から叔父さんの声が聞こえてきたので、ユーキの質問に答えなくて済むことにほっとしながら「お帰りなさい!」と部屋から声を張り上げた。
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