最終話

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最終話

 夜、桜のささやきが、ぼくを呼んだ。  首をガシリとつかまれ、そうかぼくは今日、死ぬんだなとおもった。  家の外だった。冷たい桜の手にひかれながら、なにか、ふしぎなフワフワのなかを歩いた。  この感覚は、まえにもあった。 「オニイタマ、今日、サクラが、オニイタマのお誕生日、いわってあげるね」  ぼくの誕生日はまだまだ先のはずだけど、桜はなにをいっているんだ?  なにもわからないまま、ぼくは歩いていた。  枯れ木の山のなかを、どこかで銃声がし、焼け落ちた家のあいまを、霧のけむる古いお城の倉庫を、海風とカモメの鳴き声のすきまを、ぼくたちは歩いていた。  そう、紙芝居のように、次々と場所がうつってゆく、これは。  ぼくたちは、あの祠をめざして歩いている。    だけど、へんだな。  あの場所にいこうと、ぼくは試したことがあった。クリスマスから大みそかまで、家に帰れず、町をさまようしかなかったとき、それとなく試してみたのだ。きっと、町のなかを歩いているのだから、そのうちルートをおもいだせるとおもったが、どうしても行き方がわからなかった。  桜はいったい、どうやってあの祠へのルートをみつけたのか。  桜のほうをみてみると、ずっと、下をむいて歩いているようだ。  ぼくの手に、よくみたら、赤いものがついていて、それは桜の血だった。  光っていた。弱い月灯りしかない、夜の道に、それはぽうと光っていた。  よくみたら、地面にも、ポツポツと赤く光る点々がちらばっていた。  そうか。  父さんがいなくなったあの日、桜は右手の人差し指を、ナイフで傷つけていた。  きっと、月乃さんに祠につれていってもらう時、道しるべ代わりに自分の血を落としていたのだ。ヘンゼルとグレーテル作戦か。  きづけば、そこは祠の目のまえだった。  祠の横の灯篭のオレンジが、眠れないぼくにはまぶしかった。 「サァ、オニイタマ、サクラやパパのように、ウマレカワルノヨ」  背後から、桜の冷たい手がぼくの首筋をやさしくなでている。 「待って、この祠につめこむには、あの笛の音で分解される必要があるんだ」 「ウフフフフフ、オニイタマも、サクラも、おんなじ、おんなじ。サクラたち、家族ダモノ。こうして、おんなじにナレバ、いつまでもイッショダモんネ?」 「いつまでもいっしょなんて、ありえない」 「ウフフフ、ウフフフフフ、サクラガ、オニイタマの、お母さんにナルノ。ドコニモ、いかせないよ? ネル時も、オフロの時も、いつまでもナデナデシテアゲルノ。シヌ時だって、ずっとズーーーット、ホッペタをすりすりシテアゲルノ。ダカラ、怖くない、コワクナイ、よっ。オニイタマは、サミシガリヤダモノ? ダカラ、サクラガお母さんニなって、ずっとそばにイテアゲナキャ! だもんね」  うっとりと、そのガラスの目玉をキラキラさせ、桜は、くちびるのはしっこからヨダレをながしていた。  ――母性。それから、家族の再生。  コイツはおかしい。  オマエは、妹なんだぞ?  なのに、本気で、桜はぼくの母さんになろうというのか?  とりあえず逃げなくては、とおもったけど、もう桜は両指で、ぼくの首をつかんでいた。  桜の指がきゅうと縮むと、ぼくは呼吸ができなくなった。  頭がチカチカしていて、目のまえが、赤い。  桜が、笑っている。  あの日、ぼくは桜の右手に噛みついた。  桜は泣き、母さんは、ぼくを無視して、桜をあやすばかりで。  母さん、母さん。  桜さえいなければ!  母さんはぼくの物だった。    母さんはなぜ桜を選んだ?    ちがう、母さんは桜を選んだじゃない。  母さんは狂わされていたんだ、……あの、右手に。  桜の右手に。あの花の香りに、吸いよせられたのは、ぼくだけじゃなかった。  思い出か、あるいは、森がつれてきた風からか。 「……ツキノ様」  花の香りがやってきた。  とたんにぼくの首をしめていた、強大な力はゆるんだ。ゲホゲホと咳きこみながら、ぼくは香りのゆくえをおった。 「イキテオイデダッタノデスネ」 「桜ちゃん、ユキト君を離しなさい。もうあなたの任務を終わりよ」  もう一個の祠、このまえ月乃さんが出荷用といっていた祠が煙をふいていて、その横に、裸の少女が立っていた。  体中はボロボロで、傷だらけだった。どこをみても痣だらけで、腕や足は折れていた。胸にはおおきな切り傷があり、そのすき間から、なにか黒いものや、ピンク色のものがもれている。  そして、片方の目からはつねに血が流れている。みたことのある目だ。この目は、おそらく、ミヅキの目だ。おそらく、冷蔵庫からもちかえったミヅキの目が、この少女に組みこまれている。  でもわかる。  これはミヅキではない。  ボロボロの少女で、たしかに目はミヅキのものであるけど、彼女の右手。  あの、黒いクッキリとした歯型のある右手。  そこから、花の香りと夜の森の香りがただよっている。 「桜っ!」ぼくは彼女の右手にむけてかけよっていた。 「私は桜ちゃんじゃないよ?」  折れていた足を、さも無造作に、ゴキっと音を鳴らしてただしい方向になおすと、彼女は右手を、ぼくの鼻のそばへかかげた。 「花の香り? 私にはよくわからないけど、私は私が桜ちゃんじゃないことはしっているよ? でも君は、そんなこともわからないの? 子犬みたいね。なんだか愛おしくみえてくる。これが子供をもつ親のきもちなのかな」  ぼくはたまらず、その手に肌をすりよせ、上目づかいで彼女をみあげる。  青い炎をまとった、ガラスの目玉。そして、もう片方の目には、ミヅキの目がはまっている。ふたつの目と、その背後から、月がぼくをみおろしている。 「いや? そっか、これ。ミヅキの目からあなたをみているからか。なるほど、そういうことね。この子のメスの目レーダー、くもっているわ。この目でつねに隣の席のあなたをみていたら、そりゃあれだけメスの香りだすわ」  花の……、桜の花の香りが、ぼくの鼻を満たす。「ねぇ」と桜はぼくの耳のそばに口をよせた。 「いってなかったっけ? 私、月乃さんという存在は、予備パーツとして保管されず、スクラップとなったパーツを集めてつくられた集合体なの」 「さくらぁ、さくらぁ……」  あぁ、そうだ。ぼくはずっとこの香りをもとめていた。  ぼくは彼女の指を口にふくみ、その一本を一本を、ていねいに舌でなめとる。 「あなたの妹の右手……スクラップ場で夜なべしてさがしてあげてもよかったんだけど、あの殺人鬼、よくやってくれたわね。ラッキーだったよ。まさか、運良く桜ちゃんの右手がくみこまれてくれるなんて。夏休みの宿題始めようとおもったら、学校が燃えちゃってナシになりました! ってかんじだもん」  桜があいている手でぼくの頭をなでてくる。  まぶたが、重い。  灯篭のオレンジ色の光が遠ざかってゆき、黒いものがふってくる。 「妹は一人でいいよね。だから、あの子は分解して森に贈りましょう。  だから、これからは私たち、家族だね。私、恋人もほしかったけど、お兄ちゃんでもいいよ? ミヅキの目からみたあなた、お兄ちゃんとしてもとっても素敵だもの。なかよくしてね、お兄ちゃん。それとも、にーにーと呼んであげましょうか?」  あとにのこっていたのは、桜の右手のぬくもりと、黒にひろがる、甘い、花の香りだけだった。
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