空っぽランドセル

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 給食の時間だった。  口のなかでパンは、ゴムのような感触をしていた。  ネズミがつぶれた時、耳障りな音をたてる。それは今もきこえる。 「ねぇユキト君」  耳鳴りがちぎれたとおもったが、となりの席のミヅキだった。 「今日の体育の時、どこにいたの?」  ミヅキはジュニアアイドルとして活動していて、猫のようにまん丸で、吸いこまれそうな、ふしぎな目をもっていた。 「私、先生にいわれていたんだよ。ユキト君が準備体操する相手がいないだろーから、私と組むようにって」 「おかしいなー」とミヅキは顎に手をそえて、なんかいっていた。  ぼくたちのクラスは四〇人で、ぼくがだれとも準備体操をしなければ、つまり一人、余る者がでてくるはずだった。  だけど、準備体操は皆、二人一組でちゃんとやっていたらしい。 「それからおかしーんだよ? 今日ね、島本さんのチームと試合した時、マンツーマンディフェンスで相手の攻撃を止めようとしたの。でも私、どうしても相手のチームの五人目がみつからなかったの……まぁだからか、あっさり勝つことができたんだけどね」  ミヅキは「1、2、3、4……」と指をなんども折りながら、首をかしげている。 「試合前の整列の時にはいたんだよ」 「月乃さんじゃないの」  つまり四一人目の生徒がいただけの話だろう。 「月乃さん? そういえばそんな子いたね。だれだっけ」  ミヅキは牛乳のストローをくわえたまま、教室をキョロキョロみまわした。  ぼくは蠅の羽の音をきいた。  無数の蠅の大群が、ぼくの耳のまわり……イヤ、耳をつきやぶって、頭のなかで羽をバタバタさせているのである。 「ンー? 月乃さんって、どんな子だったっけ? えーっと、いつも授業中に先生にあてられてるよね? たしかいつも、わかりません、ってだけいって、次の子に回答をゆずっちゃう」  吐き気におそわれた。  もうこれ以上はたべないほうがよかった。  昨晩の晩ご飯は、焦げた食パンだった。  桜の作る焦げた食パンと、アパートに出る虫たちが、ぼくのご飯だった。  ジャムの変わりに、わずかに食パンに残った、桜の花の香りをたべた。 「あれ……おかしいな。名前はおもいだせるのに、顔がでてこないや」  ミヅキは後ろの席の子と話しだした。  給食の途中、滝野君が大声をあげて、なにか怒っているようだった。  どうやら、パンがなくなったらしい。  後ろの席の男子と話していたら、トレイからパンが消えていたらしい。  だけど皆、とくにきにしてなかった。もう慣れているのである。  このクラス……、イヤ、この学校では、こんなふうに突然物がなくなることがよくあった。  給食がなくなるなんて、もう何度経験したかわからない。  アサガオの植木鉢をもって帰りなさいといった時は、前野さんの鉢がきえた。  雀が巣を作っていたから皆で見守っていたら、一羽、どこかへいった。  秋の学習発表会の時。ぼくたちはリコーダーの演奏をしたのだが、坂本さんはリコーダーをなくしたらしく、本番直前まで教室でさがしていた。  しかし、先生は坂本さんがいないことにも気づかなかったし、皆ちゃんとそろっていたよ? と教室にいた坂本さんをみて首をひねっていた。  なくなった物は、返ってこなかった。  体育の時や発表会の時にはひとりふえ、物はきえていく。  それがこの学校の当たり前だった。 「もう、滝野君たら。食いしん坊だよね」  ミヅキはクスクス笑っていた。  帰り道は、カラスの鳴き声と黒色の夕陽のなかにあった。  ふりかえると校舎は黒かった。  ひび割れた窓ガラスは、夕陽で黒く燃え、オレンジ色の人影がゆれていた。  だれかがぼくを呼んだ。  黒い影がランドセルの肩ベルトをつかみながら、ぼくにかけよってきた。  ミヅキだった。 「私、これからお仕事なの。駅までついてきてくれない?」  学校の屋上には、一本の大樹が植えられている。  ここからでも、それをみることができた。  とても大きな樹で、枝も太く、ブランコがかかっている。 「……ねぇ、私、だれかにつけられてるみたいなの」  ミヅキはぼくの耳元へくちびるをちかづけて、小声でいった。  ミヅキの体はすこしだけふるえていた。 「お願い。電車に乗っちゃえば、いっぱい人がいるとおもうから」
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