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夜、桜は学校であったことをぼくに話した。
家庭科でサバの味噌煮を作った話だった。
すこし形がくずれてしまったけど、おいしかったらしい。
「えへへ……今度、作ってあげるね」
バンと勢いよく玄関扉が閉められる音が、ぼくたちの部屋にまでひびいた。
桜の体が、音に合わせてビクンと跳ねた。カタカタとふるえ、泣きそうになった。
父さんが桜を呼んでいる。声のかんじからして、酔っぱらっているらしい。
「ごめんね、にーにー。ちょっといってくる」
桜が部屋からでていくと、ぼくはお風呂に入ることにした。
お風呂からあがり、ぼくは算数のプリントとりかかった。
途中から数字が兵士になった。
ぼくは先のちびたエンピツをつかって、数字の兵士たちに銃をもたせた。
銃から発射した弾は、兵士をつらぬいた。
赤色のクレパスをつかって、兵士たちの血を描いた。
算数のプリントが真っ赤になってしまったので、ぼくは布団に入ることにした。といっても眠ることはできないので、暗い天井をながめるだけだ。
今日の帰り道をおもいだした。
ミヅキはぼくに、病院にいけといった。
しかし、父さんは病院にいくお金をくれないだろうし、そんなことをいえば、殴ってくるだろう。
部屋のふすまが開いて、桜の嗚咽がきこえた。
じつに一週間ぶりに、桜がぼくの寝床にきた。パジャマがとても、乱れていて、花びらが散っているようだ。
桜は嗚咽を噛みつぶしながら、ぼくの布団にもぐりこんだ。
「桜、どうして泣いているの」
桜はなにもいわずに、泣いていた。そして、あの腐った魚のような臭いがただよっていた。
桜の右手を口にふくもうとした時だった。
イヤっとちいさくうめいて、桜は手をひっこめようとした。だけど、ぼくはその手をのがさなかった。むりやりにひっぱって、ぼくはそのちいさくか細い、人差し指と中指、そして薬指も口にふくんだ。
へんな味がした。
それは、桜の体からただよっている、腐った魚の臭いと、にたような味だった。
苦い。
「ダメ……ダメだよぉ」
「おいしいよ?」
だけどそんな臭いはどうでもよかった。
うまれつき桜の右手に備わっていた花の香りは、苦みより、強かった。
眠くなってくる。
やがて、ぺたんと右手を布団のうえにおとすと、桜は腕の力を抜き、されるがままになった。
ぼくはストローでジュースを飲むように、桜の指を吸いまくった。
「あたし……早く、大人になりたい」
ぼくは桜のパジャマの袖をめくりあげた。
暗闇に目が慣れてきたのか、子どもの時に、ぼくが桜の肘につけた歯形が、じんわりとうかびあがった。
「にーにーは、お母さんにあいたくない?」
きっと、この細い腕のなかには、果物の果実のように、いっぱい、いっぱい、果肉と、おいしいエキスがつまっているにちがいない。
ぼくはお腹が空いていた。
それはきっと、桜もだった。
ぼくたちは、給食以外にまともにご飯をたべていないのだから。
だけど、この歯形を食い破ることができれば、ぼくたちはきっと、お腹いっぱいになるはずだ。
ぼくは黒い歯形へと歯をあて、やさしく噛んだ。
「ツゥ……」
でも、ぼくは昔のぼくとはちがう。
もうあの時とはちがい、十二歳だった。善悪について、ある程度判断がつく。
だから。妹の腕を噛みちぎってはいけないことくらい、わかっている。
「あたし……あたし、また、お母さんといっしょに、にーにーと、すごしたい……」
「母さんは、もう死んだ。子供みたいなこというな」
「しってるよ」
桜のヒッグヒッグと泣きながら、なんかいっている。
もうだめだ。眠い。限界だ。
ぼくは、ぼくのヨダレでびしょびしょになった、桜の指を口から放り出すと、目をつむった。
「あたしが……お母さんだったら、いいのに」
翌朝、学校で月乃さんとすれちがった。
ふりむいて確認したけど、それは、月乃さんではなかった。
ならば、ぼくはなぜ、その子を月乃さんと勘違いしたのだろう。
その答えはすぐにわかった。
教室でも、月乃さんによく似た子をみた。
だけど、その子も月乃さんではなかった。
でも、月乃さんと同じ、マネキンの目をしていた。
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