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何日か観察するうちに、月乃さんとおなじ目の生徒が、教室に紛れこんでいることにきづいた。
木下さんと、川本君は、月乃さんとおなじ目をしていた。
でも、月乃さんみたいに、空気に溶けているわけではない。
ちゃんと友達と話しているし、昼休みには遊びにいっている。
本当ににている。
服屋さんにおいてある、マネキン。
光のない、ガラスの目だった。
たとえば、ぼくが服屋にジャンパーを買いに行ったとして。
ランドセルをせおった、子供のマネキンをみたとしよう。
そして、その近くでぼくと月乃さんはかくれんぼしているのだ。そろそろバスの時間がちかづいていて、早く月乃さんをつれて帰らなくてはならない。
そんな状況になるとぼくは、月乃さんとマネキンの見分けがつかず「みーつけた」といって、マネキンをつれて家に帰ってしまうだろう。
本物の月乃さんも、時々教室にいた。
眠れない日がつづくと、月乃さんと、そして、彼女とチューブでつながれている、白いバケモノのすがたがみえるようになった。
つねにヨダレを床や机にまき散らし、時々、月乃さんの足元で眠っている。
ある日の給食の時間、プリントの裏に、月乃さんの似顔絵を描くことにした。
完成したそれは、つぶれたナメクジのようにも、桜が父さんにお腹を蹴られた時に吐きだした吐しゃ物のようにも、綿の抜けたぬいぐるみのようにもみえた。
「ユキトくーん。なに描いてるの?」
牛乳を飲みおえたミヅキがきいてきた。
「月乃さんを描いている」
「エ……月乃さん、っておなじクラスの月乃さん?」
ミヅキはまじまじと月乃さんの似顔絵をみた。しばらくみていたけど、なんだか急に、苦しそうな顔になり、ぼくの耳のすぐそばへ、顔をよせた。
「ねぇ……月乃さんのことが好きなの?」
と耳打ちしてきた。
「? いや」
耳に鼻息があたってくすぐったかったから、離れてほしかった。
「そう……なら、よかった」
ミヅキはふふとちいさく微笑むと、ぼくから離れた。
「ちょっと貸して」
そして、プリントを手にとると、後ろの席の女子にみせた。月乃さんがどんな子だったが、きいているようだった。だけど、きかれた子も首をひねるばかりで、月乃さんがどんな子かわかっていないようだった。
「月乃さん……ンー、この目は心当たりあるんだけど」
目だけは似ていたようで、ミヅキとその子は教室をキョロキョロみわたした。
だけど、月乃さんは発見できなかった。
それどころか、木下さんと川本君の目ににていることにもきづかないようだった。
しばらく日がすぎて、家から桜の気配がきえた。
だが家出したわけではない。桜は家にいるはずだ。ちゃんと朝ご飯と晩ご飯を準備していたからだ。
食パンは以前よりも真っ黒こげになっていた。いつもはお皿においてくれるのに、畳のうえにほうり投げられるようになった。おかげさまでぼくは、野良猫のように、床に口を押しつけてパンにかじりつくはめになった。
苦みがひどく、水なしでたべようとすると、かならず吐いてしまう。
しかたなくぼくは、マヨネーズを塗りたくってたべていた。
桜はぼくの部屋にあらわれないし、台所にもいない。
いつもぼくを起こさずに学校にいき、夜は闇にまぎれてしまう。
家全体がとてもしずかだった。
ぼく以外にだれもいないようだった。
だから、母さんもいないんだとおもった。
その夜は、耳鳴りがひどかった。
黒板に爪を立てたような、ヒドイ耳鳴りで、ぼくの頭のなかでは、いつまでもチョークの音と、先生のやる気のない声がきこえた。
だから、深夜の悲鳴も、黒板が包丁に引っかかれた音だと勘違いした。
ぼくは悲鳴のした場所へむかった。
それはお風呂場だった。
「ヒィ……、い、イヤダ、ゆ、ゆるして」
尻もちをついた父さんが、口から血をダラダラ流しながら、お風呂場をあとずさりしていた。
父さんのまえに立っているのは、桜だった。
ぼくの大好きな右手が……血でよごれている!
「桜?」
「ア、オニイタマだ」
桜はゆっくりと、カクカクカクと、ゼンマイおもちゃのように首をまわして、ふりむいた。
「ネェネェキイテ? コイツ、夜勤イキタクネー、ってワガママイッテルンダヨ?
アタシと、オニイタマがゴハンたべられなくなってもイイノカナァ? フザケテルヨネ?」
桜は顔をこちらにむけたまま、父さんの顔を幾度も殴った。
「ハヤクイケヨ? クソジジイ」
そう吐き捨てると、桜はお風呂場から出て、ぼくの横をすりぬけ、縁側の部屋にきえた。
ぼくはきづいてしまった。
桜の目は、月乃さんとおなじ目になっていた。
あのマネキンとよくにた、光のない目。
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