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「まてっ! 桜」
桜を追いかけた。
桜は縁側の部屋の窓辺にたち、ぼくに背をむけていた。
月のうかぶ夜だったから、わずかなすき間風が、桜の髪をゆらしているのがわかった。
畳にはポタポタと、血がしたたりおちていた。
ぼくは桜の体を押し倒し、右手を口にふくみ、血を舐めとった。
アイツのけがれた血で、ぼくの桜がよごされるのは、許せないことだった。
「?! ……なんだよ、これ」
苦い、そして、気持ち悪い。
ぼくは桜の手を吐き出して、悲鳴をあげて後ずさった。
きづいた。目のまえにいる桜は、桜ではない!
「オニイタマ、オニイタマ、ウフ、フフフフ」
桜(らしき物?)は、カクカクと機械じみたうごきで、ゆっくりと立ちあがった。
めくりあがった、桜の右袖。むき出しになった桜の右肘……そこには、ぼくが昔つけた、あの黒い歯形がなくなっていた。
「オニイタマは、こんな時間までオキテ、ダメデショウ? ヨイコはもう、寝る時間ダヨ?」
靴にふみつぶされたタンポポは、弱い風でもふらふらうごく。
桜もふらふらしていた。
窓辺にいた桜は、きづけば、ぼくの目のまえにいた。
次の瞬間、ぼくの体は床に押し倒されていた。
桜がお腹にのっている。怖い。ガラスみたいな、人形みたいな、すくなくとも、生命の光をかんじないつめたい目で、ぼくを見おろしている。
「フフフフフ、オニイタマったら、いけないんだから? ヨシヨシ、サクラがいっしょにオネンネしてあげるからね? ジっトシテルンダヨ?」
呼吸ができなくなった。
桜が、ぼくの首を、両手で締めあげている!
ぼくはバタバタと必死に暴れてみるけど、桜の体はピクリともうごかなかった。
…………。
桜が、笑っている。
ウフフフフフフフ。ときこえる。耳のなかに入ってきて、そして、頭の奥の奥の方へ、ぐわんぐわんしながら、笑い声がひびいていく。
…………。
やがて、ぼくは暗いとこにつれていかれた。
暗いところにも桜はいた。イヤ、ただしくいえば、月乃さんとおなじ、ガラスの目玉の光だけが、ぼうっとぼくをながめていたのだ。
目覚めると、朝だった。
ひさしぶりに鳥の鳴き声をきいた。
朝の陽ざしがこんなにきもちいいものだと、しらなかった。
畳からおしっこの臭いがただよっている。どうやらぼくはおねしょをしたようだった。おもらししたばしょには、木炭がおいてあった……とおもったが、これはどうやら、桜が準備した食パンのようだった。
パンの横にメモがおいてある。おしっこでびしょぬれになっている。
『オニイタマ、あんまりにもきもちよさそうにねてたから、おこさないであげたよ。いつまでもげんきでいてほしいから、ちゃんとパンたべてね さくら』
ぼくは食パンをたべて学校にむかった。
途中、川辺の草むらに吐いてしまった。
学校についた。
「おーい、そこの君」
校門の横には、プールがあるんだけど、プールサイドから、掃除のおばちゃんが手をふっていた。
ちかよると、おばちゃんはひょいと、金網のうえをとおるようになにかをほうって、こちらによこしてきた。
「悪いんだけど、職員室にこれを持っていってくれんかね。私はしばらくここから離れられないから」
それは白い花をあつめた、花束だった。
キレイなビニルの包装につつまれていて、風にかさかさ鳴った。
「毎月月初めの朝に、プールにこの花がおかれているんだよ。きっと夜に献花しにくるんだろうね」
「プールでだれか死んだんですか?」
「んー? 私はくわしいことしらないけど、ずーっと昔に生徒がひとり、このプールでおぼれたって話をきいたけどねぇ」
花束を職員室の先生にわたした。
うけとった先生は「あぁ……、今日、月初めか」と、なんだか迷惑そうな様子で「ありがとう、早く教室にいきなさい」と手をふった。
授業はまったく頭に入らなかった。
昨日の夜の桜のことおもうと、勉強に集中できなかった。
桜の右腕から花の香りとぼくの歯形がきえていた。
そして、桜は筋トレに成功したのかしらないけど、父さんをボコボコにしていた。あの腕力はすさまじかった。さっきトイレにいった時、シャツのボタンを外して首を確認してみたんだけど、まるで、ゴリラににぎられたんじゃないか? とおもわせるほどに、クッキリとした手形がのこっていた。
困ったことになった。
桜の右手がなければ、ぼくは眠ることができない。
早くとりもどさなくては。
桜はいったいどこで右手をとりかえたというのだろうか?
右手だけではない。
あの、月乃さんとおなじ目。
目もどこかにおとしてしまったようだ。
月乃さんにきけば、なにかわかるかもしれない。なんせ桜は月乃さんと同じ目になってしまったのだし。
だけど、あいにく月乃さんは、教室にいないようだった。
昼休みの時間にミヅキにきいてみようとおもったが、ミヅキもいない。
ぼくの様子をみた、後ろの席の女子が声をかけた。
どうやらミヅキは昨日の帰り道、例の追跡者にイタズラされたらしい。
たまたまちかくをとおりかかった大人が止めると、追跡者はものすごいスピードで逃げ出したそうだ。
ミヅキはそのショックで、今日は学校を休んでいるとか。
放課後、先生によばれた。
なにごとかとおもったけど、連絡帳と宿題のプリント、それから献立表をミヅキの家に届けろという。
先生はミヅキの住所をつげると、さっさと教室をでていった。
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