空っぽランドセル

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 父さんはおびえた子猫のようになった。  ぼくにも、桜にも、暴力をふるわなくなった。  サボりがちだった仕事も、まじめにいくようになった。    『ハケン』でかせいだお金の一部を、台所の引き出しにいれ、時々桜は、そのお金をつかってスーパーで食パンを買った。  夜、お風呂場のほうで、うめき声がきこえるようになった。  夜、水のしたたる音がどこかできこえるから、トイレの帰りに覗いてみると、バスタブのなかで父さんが泣きながら、ふるえていた。体には殴られた痕があった。桜はよく、うつぶせの父さんの後頭部を何度も殴っていた。だから、脳をやられ、バスタブを自分の布団と勘違いしているのかもしれない。  桜の右手を舐めさせてもらおうとしても、桜は拒否した。  寝てる時にコッソリ舐めようとしたが、桜は眠っていないようだ。  いつも畳の部屋の窓辺に突っ立ち、月の光をあびていて、まるで、日光浴をする、観葉植物のように、あんまりうごかない。  桜は子守歌のかわりに、ぼくの首を絞めるようになった。  子犬の毛のさわりごこちのようにやさしくて、つめたさで胸がいっぱいになる、すごい力だった。  だけど、花の香りはしなかった。  ぼくはたちまち、眠りについた。    桜の腕の力はすこしずつ、強くなっている。  黒く、どでかい手形が首に残った。  冬がちかかったから、ぼくはマフラーで首をかくしていた。  このままでは、いつかぼくの首の骨は、小枝のように折れてしまうかもしれない……そうすれば、マフラーなんかではつなぎとめられないだろう。  放課後。  その晩は満月だった。ぼくは忘れ物をとりにきたふりをして、屋上に忍びこんだ。  屋上は風が強く、ぼくのマフラーは、首をしめるようになびいていた。  きっと、屋上の柵を乗り越え、マフラーを柱にくくりつけてとびおりれば、ぼくはおおきな、そして、汚らしいテルテル坊主になるのだった。  ブランコの鎖がキィキィ鳴っていた。大樹はとてもおおきく、一番上の枝にのぼれば、月にまでてがとどきそうなほどだ。  月の光は大樹にあたり、影をつくっていた。  ブランコの鉄の音は、さらに耳ざわりなほどにひびきだし、少女の笑い声が、風にのって、影のほうからきこえる。    月乃さんと、そして、白いバケモノがいた。  月乃さんはブランコをこぎ、バケモノは大樹の根っこのあたりを這いまわっていた。時々、樹をよじのぼろうとするんだけど、そのうごきは、なんだかとてもおおきなトカゲのようにもみえる。 「君は天体観測クラブの生徒ってわけではないよね? こんな時間に学校の屋上にいる生徒なんて、星好きか、あるいは自殺の下見にきているかくらいだ」 「ユキト君だね? たしかおなじクラスの」  月明かりがこんなにも光っているから、そのガラスの目玉のおくで、しずかな闇がどんよりかくれているのがわかった。  月乃さんは、ブランコからぴょんと、宇宙にとぶように、ふんわりと、そして、ふわふわとスカートをはためかせながら、おりたった。 「ヌル君っていうのよ。やっぱり、ユキト君はヌル君がみえるのね」  ヌル君。  ヌル君の体からは、今日も無数の緑色のチューブがのびていて、月乃さんの体に突き刺さっている。  緑色の液体が、月に照らされ、ヌラヌラ光りながら、チューブを走っていた。(あれがうあさの……メロンソーダだろうか?) 「ヌル君とやらは、ドラゴンににているけど、翼はないんだね?」 「メタボなの。きっと翼があったとしても落っこちてしまうわ」  月乃さんの表情は、よくわからない。  まばたきをするごとに、顔の印象がかわる。おばあちゃんになったり、人体模型になったり、頭がへこんだ人形になったり、首の折れた女性になったりする。  だけど、ガラスのような目玉はそのままだった。  ヌル君はぼくにきづいたようで、首をこちらにむけていた。彼の首は、ブヨブヨしたその見た目の通り、のびるようだった。2メートルはゆうにありそうだった。 「主食はなんなの? やっぱり人肉?」 「E粒子」  月乃さんはヌル君の首をなでた。 「良い漁師? この町に漁師はいないよ?」  なでられて気持ちがいいのか、ヌル君は首を、ふるふるゆらしていた。 「ユキト君。なにかお願い事があってきたの? でも、私、君の体にはまったく興味がないの」 「あぁ、そうだった。ぼくの妹の右手をかえしてほしい」
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