第2話 出会い

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 ひたりと、冷たい感触を顔に感じ目を覚ました。 「…?」 「起きたか。済まない。顔にも怪我を」  頬に絞ったタオルがあてられている。そこで漸く自分のそこに痛みを感じた。 「俺、は…?」  見慣れない古めかしい彫りの入った天井。 「ああ。俺の犬があなたに飛びかかったんだ。鹿を追っていたんだが、何を間違ったのか、あなたの方へ…。すまなかった。幸い落ちた崖の下に茂みがあって。それがクッションになって、大怪我にならずに済んだ」 「俺の…連れは?」 「居間で休んでいる。アルドルとケオだろ? しかし、どうして、あんな森の奥へ?」  そこで俺は頬に置かれたタオルを手に取り、身体を起こした。傍らに置いた椅子に腰かけ、こちらを見ていた男と視線が合う。  あ…。  思わず、息を呑んだ。  艶のある黒い髪に、憂いを帯びた灰銀の瞳。その瞳がじっとこちらを見つめている。  闇に浮かぶ月の様だ。瞬間、そう思った。切れ長なそれは鋭くも見えたが、目が合ったとたん、小さくそれが見開かれた気がした。 「狩りで…」  ようやく言葉を継ぐと、男はああと頷いて。 「あの連れの二人だけならその答えで納得できたが…。彼らはこの地方に住む部族の者だからな。だがあなたは違う。見事な金糸の髪…。光の神子か?」  それは誰もが知る光の神子の特徴だった。そして、黒い髪を持つ者は──。 「…そうだと、言ったら?」  襲うだろうか。  手近に剣はない。光の力を発動させてもいいが、居間にいると言う二人に迷惑がかかりそうだった。うかつに手を出せば、彼らに害が及ぶ可能性がある。 「別に…。ここはただの古びた屋敷で、住まうのは俺の主人とその使いが数名。ここは数か月前にわが主が手に入れた。主人は人と関わることを極端に嫌う。だからこんな辺鄙な場所を選んで住んでいるんだ。光の神子が何を疑っているのか分からないが、ごく普通の民だよ」 「民…。ここで、闇を見たものがいる。それは幻だと?」 「そうだろう。あると思って疑いの眼でいれば、そうでないものもそう見える。それだけの事だ」 「…屋敷の中を見て回っても?」 「主人の許可が下りれば幾らでも。だが、気が済んだら、ここへは二度と近寄らない事だ。主人は美しいものが好きだ。特に金色に輝くものに目がない。気に入られればここから出られなくなるぞ?」 「それは脅しか?」 「忠告だ。今までも幾度かそういう目にあって来たものを見た。金糸の髪に美しい容姿。気に入れば何としても手に入れる。…皆、光の神子ではなかったが。末路は悲惨だ」 「助けはしなかったのか?」 「主人には逆らえない。それに、その間は大人しくもなる。他への害が減ったからな。好きにさせた」 「それでは主人と言うより、獣に近いな? そんなものに仕えていて、嫌気は差さないのか?」 「それが仕事だ。他に生きるすべもない」  男はどこか投げやりにそう口にした。  この男。  どこか付け入る隙がある様に思えた。  それより何より。  男の灰銀の瞳に、酷く魅入られている自分がいた。 「綺麗だな…」 「何がだ?」 「いや。言えば変な奴だと思うだろう」 「別に。いいから言ってみろ」  ルークスは躊躇ったのち。 「目が…綺麗だと。闇に浮かぶ月のようだと──」  ふと気がつくと、男がじっとこちらを凝視していた。 「…すまない。おかしな事を言った」  気恥かしくなって、視線を反らす。と、男の手が伸びルークスの顎を捉えた。 「あなたの目こそ、とても綺麗だ。透き通った遠浅の海の色。深く惹き込まれる──」  互いの視線が、熱く絡み合う。  この感覚はなんだろう? 初めて会った人物なのに…。  まるで、旧知のものの様に感じる。 「俺の名はシン。あなたは?」 「ルークス…」  ルークス、と小さく呟く、シンと名乗った男の口から自分の名が漏れた時、心が浮き立つ様な感覚を覚えた。 「では言う、ルークス。悪いことは言わない。ここを今すぐ立ち去れ。でなければ──」 「『でなければ』? どうなると?」  いつの間にか人が一人部屋の中にいた。  足音もなく、気配も感じさせず。  扉が開いた気配もなかった。まるでそこに降って湧いたよう。  真っ黒な衣装に身を包み、その髪も目も闇の黒。真っ白な肌との対比に、どこか人離れした不気味さを感じさせた。  シンは直ぐに身を翻し、そこへ伏す。この男が主か。 「これは…美しい。光の神子…ですかな?」  ルークスがベッドから降りようとすると、そのままで、と、手で制した。  歳の頃は四十過ぎと言った所か。長く黒い髪を緩く背でひとまとめしている。  ガッシリとした体つきではあるが、妙に骨ばって見えた。背は高く、頬は痩け、目ばかりがギョロリと光るよう。 「はい。ルークスと申します。この辺で闇を見た者がいると通報を受け、この周辺を探っておりました…」  今更嘘もつけない。既に猟師でないことはばれているのだ。これ以上、偽っても無意味だった。  それに、この男の反応を見たい一心もあった。もし、闇に関わるものなら通常とは何か違う反応が見られるのでは? そう思ったからだ。  主人はふっと笑むと。 「ほう。闇、ですか…。確かにこの辺りは闇が深い。一つや二つ、あっても良さそうなものですな。いいでしょう。私はデセーオと申します。この館の主人をしております。この屋敷含め、敷地内を好きなだけ探索して構いませんよ。その間、この館の一室を提供いたしましょう」  男に動揺の色は無かった。 「そうですか。しかし、それはご迷惑というもの。捜査はこちらの勝手。あなたにご迷惑をおかけするのは──」 「いいえ。構いませんよ。あなたのような美しい方と数日でも過ごせるのであれば喜んで。部屋を提供する代わりに、ぜひ客人として食事も共にしていただければ、嬉しい限りです。シン、部屋の準備を」 「…は」  恭しく頭を下げたシンは、部屋を退室していく。ちらとその視線がこちらに投げかけられたのは気のせいか。主人はこちらについと歩み寄り、 「その金糸は生まれつきで? 両親ともに?」  ベッドの端に腰かけた。重みでベッドがきしむ。 「いいえ。両親共に茶色の髪でした。家系にも誰ひとりいません。私は突然変異で生まれたようで──」 「そうですか。そんな不思議な事もあるのですね? どうぞ、滞在中は自分の家だと思って気楽にお過ごしください」 「…有難うございます」  主人の手がふと伸び、ルークスの髪をひと房手に取った。そこへゆったりとした動作で口づけて見せる。身体に緊張が走った。 「光の神子。確かに光の化身の様に美しい…」  ぞくりと、背筋に冷たいものが走った。主人の舐めるような視線に居心地の悪さを覚える。 「ぜひ、お近づきになりたいものだ…」  デセーオは漸く髪から手を放し、部屋を後にした。
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