47.魔美子、去る

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47.魔美子、去る

 その、翌日のことだった。  事件を担当した縮録助警部から、鋏蝸牛へと電話連絡があった。逮捕後、所轄署へと連行された婀娜花凡児は、署内駐車場でパトカーから降り、職員に促されて大人しく署内へと足を一歩踏み出した途端、突っ込んで来た軽自動車に跳ね飛ばされたそうだ。建物の壁に激突した凡児をひと目見て、誰もが即死だと直感したという。  あり得ない事態に場は騒然となった。事故を目撃者したのは主にその場にいた警察官たちで、録助含め五人以上いた。 「でも、それだけじゃないんです」  その、録助が言う。驚くべきことに、凡児を跳ねた車を運転していた犯人を、というのである。車は警察署玄関の階段に乗り上げてすぐに停止したが、駆け付けた警察官たちが運転席を覗き込んだ時には誰も乗っていなかったそうだ。  車の持ち主はたまたま免許の更新に来ていた四十代の女性で、事故発生当時は署内で諸々の手続きを行っていた。つまり、運転者のいない車がひとりでに発進し、猛スピードで凡児をはねて即死させた、ということになるのだ。 「ただね、おやっさん」  録助は声を潜め、蝸牛にこう告げた。 「一人だけ、側で見てた目撃者がいたんですわ。若い職員なんすですけどね、そいつが言うには、確かに初め、車を運転してる人間が乗ってたらしいんです。髪の長い女で、ハンドルの上っ側に両手を置いて、しっかり前を向いて運転してたって。そいでもって……いや、これはあんまり言いたくないんですが、あくまでそいつが言うにはですが、その女の両手、指の爪が全部なかったんだそうです」  レージロ。  あ?  暑い。  あー。夏だしな。  アイス喰いてえ。  はん、バラバラくんはまだ入荷してねえよ、誰かさんのせいでな。 「えーーーー!」  魔美子はその場でしゃがみ込んだ。  婀娜花家からの帰り道、陽炎立ち昇る炎天下の路地である。  全身が、焼けた鉄のように重かった。  魔美子は音を上げ、 「溶けるー」  と空に向けて叫んだ。  霊次郎は魔美子の隣に立って、 「残念だったな」  と声をかけた。 「……別に?アイスはバラバラくんだけじゃねーし?」 「でも」 「……」 「……頑張ったよお前は」 「あー?なーにがだよぉぅ」 「お前は命を張って、あの人たちを守ろうとした」 「は。だってあーし、死なねーもーん」 「そういう問題じゃねえさ」 「そーゆー問題でしょー?」 「違うさ」 「……」 「誰だって死ぬのはこえーんだよ。例え、お役目に入るまでは絶対に死なないと知っててもだ。そんなこと、実際その時になってみなけりゃ本当かどうか分かんねえんだから」 「……」 「お前は確実に一度、自分の命をかけて、ちゃんと頑張ったんだよ」 「……ッチ」 「これで俺も、魔美子の爺さんに胸張って良い報告ができらぁ」 「チ!チ!」  魔美子は照れと怒りの籠った舌打ちを連発し、そして疲れてすぐにやめた。 「レージロ」 「ああ?」 「この世にはさぁ、本当に綺麗な心をもった人間なんているのかなぁ?」 「……」 「どー思う?」 「いてほしいよな。魔美子はどう思うんだ?」 「さーねー」 「何だよ聞いといて……でも、あの鄙美って人はさぁ」 「レージロ」 「あ?何だよ」 「うちの近所を夜な夜な徘徊してる婆ちゃんがいるんだよ」 「いきなり何言い出すんだよ」 「婆ちゃんってのはァ、一般的にどんな食べ物が好きなのかね?」 「はあ?いや知らねえけど、何で?」 「久しぶりに爺ちゃんに電話して聞いてみよ」 「はあ……いやそれよりもさ、あの鄙美って人」 「レージロ」 「何だよ!」 「お前、私が爺ちゃんから貰った金、本当はどうしたんだ?」 「だ……だから競馬ですったんだよ、何度同じ話させんだよ、別に今言うことじゃねえだろ。俺は今あの鄙美って人の」 「でもレージロ競馬やんないじゃん」 「や!やるしッ!」 「ルールも知らねえし」 「知ってるし!」 「じゃあ今一番勝ってる強い馬の名前は?」 「……」 「……ん?」 「サンデー……」 「はい噓!」 「何だよ!まだ全部言ってねえだろ!」 「蝸牛に聞いたぞ。お前、初めて乗った山手線で有り金全部スラれたんだってなぁ」 「は!?なわけねーし!山手線とか乗った時ねーし!一攫千金狙っただけだし!」 「お前、やっぱダセーよなぁ。昔っから変わんねえ、そのダサさに安心する」 「はああ!?」  魔美子はケラケラと大笑いし、顔を真っ赤にして憤慨する霊次郎の隣で、完全にエネルギーを使い果たし、コテン、と地面に転がった。           『怨霊魔美子あらわる』……おわり。  
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