9.島

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9.島

「この野菜全部、ご実家から送られて来たものなんですか?」  鄙美は足の踏み場もない程床に置かれた段ボールを爪先でそっと押しやり、キッチンに立つ魔美子の背中に声をかけた。 「そう。生まれ故郷は小さな島でね。野菜作るか魚獲る以外基本的にはやることないから」 「そうなんだ」  この時の魔美子の出で立ちは、上が白地に水色の縦縞が入ったブラウスに、下はサスペンダーで肩に吊ったダボダボのワイドパンツ、色はオレンジ。足は裸足。頭にはバカでかい黄色のリボンを乗せている。このリボンさえ無ければメンズライクな服装で割と見れるのに、と鄙美はひそかに残念がった。 「でも送ってき過ぎて、冷蔵庫に入りきらなくてどんどん腐っていくんだ。匂う?」  魔美子が包丁でひたすら胡瓜を切り刻みながら尋ねた。 「まあ、若干」  と鄙美は答えた。本当は若干所ではなかったが、窓が全開になっているおかげでなんとか鼻がひん曲がらずに済んでいる。夏の終わりがそろそろ見えて来た時期とは言っても、昼日中に冷房なしとはおそれいった。だが聞けば、料金滞納で電気が止められているらしい。ということはそもそも冷蔵庫自体使い物にならないのだ。  裏の林では、蝉が、殺気を孕んだ声で啼いていた。 「でも、優しいご両親じゃないですか。一人暮らしの娘のためにこうして食べきれない量の野菜を送ってくださるわけでしょ。野菜なんて日によって目が飛び出る程高い時がありますから、まあ、こうなっちゃったものは少し可哀想ですけど、でも嬉しいじゃないですか」  魔美子の家の台所には小さな食器棚と冷蔵庫以外、なにもない。平屋ではあるが一軒家の為それなりに広いスペースが確保されているものの、食卓もなければむろん椅子もなく、床の空いた場所にはひたすら段ボールが放置されている。中にはまだギリギリ食べられそうな野菜と、しなしなの野菜、そして腐った野菜たちが生きる気力のない顔で収まっている。 「両親はいないよ」  と魔美子は言った。  鄙美は足元のキャベツを拾い上げ、散歩中のアオムシを眺めた。 「そうなんですか。じゃあ誰が?」 「爺ちゃん」 「お爺様が」 「胡瓜食べる?」 「いただきます」  魔美子は色んな形に切った胡瓜を皿に盛り付けて塩とごま油で混ぜ込んだ後、白ごまをふりかけてから爪楊枝を二本刺した。 「ん」  その内の一本を使って角形に切った胡瓜を口に運び、皿ごと鄙美に差し出した。鄙美は爪楊枝を手に取り、アオムシを見ながら胡瓜を口に入れた。 「おいしい。夏はやっぱり胡瓜ですね。この胡瓜も田舎のお爺様が?」 「何しに来たの?」  と、魔美子は鄙美の質問に質問で返した。  鄙美は魔美子に呼ばれて来たわけではなかったし、どうぞと言って家に上げてもらったわけでもない。勝手にやって来て勝手に上り、台所に立って包丁を握っていた魔美子に唐突に話しかけたのだ。  鄙美は奥歯でコリコリと胡瓜を噛みながら、 「また来ますって言いましたけど」  と答えた。 「さあ」  聞いてなかった、と言って魔美子は胡瓜を食べる。 「私、なんだかとても、魔美子さんの不思議な力に興味があって」 「なんで」 「こないだも言いましたけど、義兄の家でおかしなことばかり起こるので、相談にのって欲しくて。つい昨日だって女の後ろ姿とか家鳴りとか……」 「何で私が?」 「……何でっていうか」 「コンビニで売ってるアイスバーを連続で当てる女がいたからって、いきなり自分家の悩み事を相談したりする?そんなのそいつこそやばくねえ?」 「それは、確かに自分でもよくわかりませんけど」 「藁にも縋る心境、とか?」 「そうそう、それそれ」 「適当だなぁ」 「あるいは、亡くなった姉が私と魔美子さんを引き合わせてくれたのかもしれませんね」 「……」 「とにかく私はあなたに魅かれたんです」 「私には何も出来ないよ」 「……」 「私はまだ、自分に何が出来るかを知らないんだ」  鄙美の持っていたキャベツからアオムシがポトリと床に落ちた。落ちると分かっている場所から前に進んだその様は、何となくアオムシが自害したよう見えた。鄙美は眉根を寄せて、 「どういう意味ですか」  と魔美子に尋ね聞いた。 「私にも分かんない。これが運命の出会いなのか、そうじゃないのか、それさえも」 「運命?」 「あの日私は血の涙を流して目が覚めた」 「……血の」 「私が島を出て、本土に出て来たこととも大きく関係してる」 「そうなんですか?」 「胡瓜、もっと食べる?」  鄙美はそれが、魔美子の話が長くなるという合図だと分かって、 「いただきます」  そう答えて頷いた。    魔美子の言うその島は、現在の日本地図には載っていないそうだ。  京〇府と〇井県の境目あたりから真北に進路を取り、6時間程航行した海域にかつて『油目島(あぶらめじま)』と呼ばれた小さな島がある。もともとが島流しの為の流刑地だったのが、制度の廃止とともに人の手が入らなくなり無人島と化した。船さえあれば誰でも辿り着けてしまう為、不法占拠や犯罪の温床化を懸念した政府が地図上から島の名を抹消した、と言われている。しかし、実際にはそうではない。  
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