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1.魔美子
溶けて、歪み、空間がねじ切れるくらいに暑い夏。
ある朝、怨霊魔美子は両目から血を流して目覚めた。
水垢と歯磨き粉の飛沫で汚れた洗面台の鏡に映る、血塗れの自分の顔。
「エイ」
小さな掛け声とともに、右正拳突きで鏡を割った。
最寄りのコンビニエンスストア「アゲインアゲイン」、通称アゲアゲのレジ前に立つと、客商売には決して向かない仏頂面の店員から、
「お前って奴はほんとに」
あからさまに嫌な顔を向けられた。すると魔美子は、
「ん」
と口に咥えていたアイスの棒を引き抜いて店員に見せ、
「早く持って来いやぁ」
そう言って不敵な笑みを浮かべた。
魔美子がカウンターに置いたアイスの棒にはしっかりと当たりの三文字が。店員は舌打ちし、アイス売り場から同じ商品を取って来てレジでバーコードを読み込んだ。
「何度目だよこれで」
「知るかぼけ、見せてみ」
魔美子は言い返し、カウンター内に置かれたゴミ箱を覗き込もうとする。店員は体でガードして魔美子の視線を遮った。
「もう来んなよ」
店員から新しいアイスを引ったくった魔美子は豚鼻を鳴らしてせせら笑う。
「当たらなければねえー」
だが、外に出てアイスを食べた魔美子は再び店内に戻って来た。いや、その再びは単なる二度目という意味ではない。
「おい!」
レジの店員がいい加減にしろと怒鳴る。
魔美子は当たりと書かれたアイスの棒をカウンターに投げ、
「早く持って来いやぁ」
と、眉をハの字にしてベロを突き出し挑発した。
何連続かは魔美子自身覚えていない。だがおそらくこのコンビニ内で売られていた「バラバラくん血祭味」は全部魔美子が食べ尽くしてしまった。その全部で当たり棒を出したからである。
もはや運がいいとかそういうレベルではない。当然店員は魔美子の詐欺行為を疑った。何かトリックがあるに違いない。だが目の前に当たり棒を出されては、新しいアイスを持って来る以外何もできない。きっと裏があると勘繰った所で、カウンターの中から見ている限りでは全く見当もつかなかった。
「ねえ」
魔美子の声に、
「何だよ、早くそれ持って帰れよ!家で食え家で!」
店員はイライラした声色でそう返した。
「トイレ貸して」
魔美子はお腹を壊した。
やりとりの一部始終を見ていた窮屈鄙美は笑いをこらえるのに必死だった。見た所十七、八の女が、頭の悪そうな金髪のコンビニ店員と揉めている。どうやら購入したアイスバーで当たりを連発しているらしい……。
鄙美はずっと見ていたが、あの女に怪しい素振りはなかった。店員が持って来たアイスを受け取って外に出て、店の前に置かれたベンチに座って食べるだけ。そしてすぐまた戻って来ては、
「早く持って来い」
と当たり棒を放り投げるのだ。噓みたいな話だが鄙美はずっと見ていたから噓ではない。
鄙美は雑誌コーナーに立って「月刊墓参り」を読んでいた。四十七分前からずっと立ち読みしていた。何なら昨日もおとといも来ていた。昨日も今日と同じ「月刊墓参り」を読んで、おとといは「週刊あばずれ煉獄」を読んだ。明日は「別冊びっちょんこ ~あなたはもう知っている」の新連載エッセイ「子宮へと還る日」を読みに来る予定だ。
「くすくす、くすくす」
それにしても面白かった。あの金髪馬鹿店員の苛立に歪んだ顔ときたら。
鄙美は「月刊墓参り」の特集ページ、「ご存知!石井経血の!お盆以外でも楽しめる!霊園アウトドアレシピ☆大特集!」の見開きグラビアに鼻を突っ込んで笑いをこらえるのに必死だった。
「そんなに面白いの?」
突然背後から声をかけられ、鄙美はふくらはぎがツるくらいビーンと踵を持ち上げた。振り向くと、トイレから出てきたらしいあの女が立っていた。バラバラくん血祭味食べ尽くし女が現れたのだ。
「いや、あの、なんか、そのォ」
「お前変わった雑誌読んでるな」
「は、はい。好き……なんです、これ」
「へー」
「あのぉ」
「へー」
「なんであのぉ」
「へー」
「なんであんなにアイス、当たったんですか?」
「見てたんだ?」
「はい。もしかして、ちょ、超能力とかですか?」
「ちょ、超能力とかではありません」
「じゃあ」
「ま、摩訶不思議な力があるんです」
「……一緒じゃん、変なの」
「エイ!」
魔美子は鄙美のどてっぱらに正拳突きを見舞った。
「痛ったぁ!な、何も殴ることないじゃないですか!」
「初対面で人を変なやつ呼ばわりするからだ」
「でも、不思議な力があることは否定しないんですね?」
「でもって何だよ。だからそう言ってるだろ」
「例えば、どんな?」
「あー、んー、それは自分でもよく分かんない」
「人には見えないものが見えたり?」
「あー、あるある」
「聞こえたり?」
「それもあるな」
「何かのおまじないとか!必殺技が使えたり!?」
「……は?何言ってんの?お前ひょっとしてやべー奴?」
鄙美は、魔美子のどてっぱらに遠慮気味の正拳突きを放った。
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