5.バッグ

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5.バッグ

「いやぁ、だけどそれは良くないよぉ」 「でも、お義母さんもお義父さんのことで大変だし、私も行ったり来たりするよりは体力的に楽だから」 「それはそうだし、分かるんだけどさ」 「仕事だって私はほとんど家で出来ることだし」 「今はやりの在宅ワークってやつ?」 「まあ、うん、まあまあ、在宅に限ったことではないけど、そんな感じ。いわゆるライター的な?全然駆け出しだけど」 「そっかぁ。いやー、うーん、でもねえ」  保育園で遊び回ったおかげだろう。川太郎はシャワーを浴びた後は夕食を食べながらずっとうつらうつらしていた。凡児が抱きかかえて布団に寝かせると、そのまま一度も目を開けずに深い眠りに落ちた。  凡児はその後、台所で食器を洗っている鄙美の側に立って、 「あのさ、さっきの続きだけど」  と声をかけた。  廊下で見かけたボストンバッグ。 「ああ、うん」  やはり鄙美は婀娜花家に泊まり込む気だった。それ自体は凡児にとっても迷惑な話ではなかったが、死んだ紙魚子の手前と、やはり隣近所の目もある。もしも夜中にひとりで帰宅するのが怖いなら家まで送って行くと申し出るも、 「今日みたいに川太郎くんが早く眠っちゃったら、ひとりで家に残して出るわけにはいかないでしょ」  と言われて、 「確かにそうだね」  となった。 「それに。川太郎くん、今日も少し変だったし」 「変……って」 「うまく言えないけど、でも、ね、何となく分かるでしょ?」  言われて凡児は、思わず鄙美から目を逸らした。  洗面所で見た、風呂場のあの人影。  あれは何だったんだろう。  あんなもの、この家で一度も見たことがなかった。 (まさか、川太郎はずっとアレを見ていたのか?) 「まあ、もし問題があるようならその時はまた通いにすればいいだけだから」  鄙美に明るくそう言われ、凡児もしぶしぶ頷く他なかった。  婀娜花家は古い。  数年前に中古物件を購入したのだが、適切な修繕が施されていない状態で買ってしまったようで、目に見えない箇所の老朽化がかなり進行し、放置されたままになっていた。  例えば一階と二階を行き来する廊下は全て絨毯敷きで、初めのうちは足裏から伝わる柔らかな感触が心地良かったのだが、すぐにくすみやほつれが目につくようになった。手入れも難しかった。目立つ汚れがあっても洗えないし、細かいゴミや髪の毛がなかなか掃除機では吸い切れなかった。さらには二階のある部分などは踏むと床が凹むようになった。見た目には絨毯なので下がどうなっているかは分からず、深刻な事態になってやしまいかとストレスだった。  そしてついには、天井の壁紙が湿気で継ぎ目から剥がれて来た。梅雨時期などは大きくたわんで、今にも落ちてくるんじゃないかと不安になった。もちろん、風向きによっては雨漏りもする。それに、 「またか……」  布団の中で凡児は呟いた。  家鳴り、というらしい。  カカカ  カタタ  ザー  コトコト  トトトン  夜寝ていると、家のあちこちから出所の知れない物音がした。加えて、  くふー  ぶはぁー  といった人の吐息のような声が耳元で聞こえて飛び起きることもあった。  古い家だと分かっているからなるべく気にせぬよう努め、次第に慣れてはいったのだが、紙魚子の死後、その家鳴りが酷くなった気がするのだ。川太郎は、風のない日にも音がする家を次第に怖がるようになった。 「はあ……」  凡児は今日の出来事を思い返していた。  鄙美のことである。  彼女は今、凡児が趣味に使っていた部屋で眠っている。彼女が住みこみで生活の面倒を見てくれるという話は純粋に有難い。凡児も仕事に専念できるし、母も出来れば弱った父の側にいたいだろう。それに、もともと鄙美になついていた川太郎も喜ぶはずだ。  だが、しかしな、と思う反面もあった。 (何だったんだあれ)  鄙美が持参したボストンバッグだ。  話し合いの後、さすがに同じ部屋で寝るのはまずいとなって、凡児は自分が使っていた趣味部屋に鄙美のバッグを運び入れようとした。 (は!?)  腕がもげるかと思う程バッグが重かった。 (何だ、何が入ってるんだよこれ!)  しかしすぐそこに鄙美がいる状況で中身を確認するわけにもいかない。鄙美はニコニコ顔で礼を言う。怪しまれているとは露ほども感じていない様子だった。 (それに今日見たあの風呂場の影だ。鄙ちゃんのあの鞄といい、一体何なんだよ)  凡児はこの晩、とうとう一睡も出来なかった。
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