3人目

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「初めてですか?」 【カマンカマーン】の店先でマスターに声をかけられた。 坂下あかねは、隣にいる井上太郎と目を合わせ、深く頷きはいと答えた。 ー半年前ー バツイチの過去を胸に秘め、1人お見合いパーティに参加したあかね。今回で3回目になるも会場の雰囲気には馴染めずにいた。 手持ち無沙汰をまぎらわす為、ビュッフェ式のスイーツをやけ食いしていたところ、声をかけてきたのが10歳年上の太郎であった。 看護師のあかねに薬剤師の太郎。 お互い医療関係者とあって会話がことのほか弾んだ。 さらに共通の趣味であるスイーツの食べ歩きで意気投合、2人でお店を巡り歩くにつれて、着実に愛を重ねていった。 自身の離婚に関してはとやかく詮索されなかったこともあり、前妻を病気で亡くした太郎の過去を、あかねからも詳しく聞かことはなかった。 そういった事情もあって次第に彼との結婚を意識しつつも、その気持ちを話題にするのはまだ時間を要するであろうと踏みとどまっていた。 その実、来年40歳を迎える接目から来るであろう焦りで、胸が疼く事もあった。 「うちは1人でやっているので時間がかかりますけど」 あらかじめネットで調べた通りに注意喚起が続いたが、2人は承知方を示すとカウンターの席へ案内された。 薄暗い店内の壁一面には、様々な種類の花の写真が小さな額に収められ雑然と飾られている。 床には小さな棚や果たして使えるのだろうかと思われる古めかしい空気清浄機や消火器、枯れ気味の観葉植物、大きな花瓶などなどこちらも雑然と置かれていた。 【カマンカマーン】 作り置きせずに、注文後ほぼ手作りで提供する絶品プリンが評判。 マスターのみで全てをこなす為、食すまでに2時間以上かかることも稀にあり、また、平日のみで開店時間が21時などの制約も。 運が悪いと退店が終電時刻を過ぎる場合もある、それら諸々の覚悟なくして絶品プリンにありつくことができない、ハマる者はとことんハマって常連になるか、逆にダメな者は1度きりで嫌になるか、はっきり分かれる超個性的なお店。 医療に携わるあかねたちにとっては非常にハードルの高い店であったが、タイミングよく空いたスケジュールを突いてようやく来店する機会に恵まれたのだった。 薄暗い店内はカウンターのほかテーブル席もあり、見る見るうちに満席となっていく。 年若いカップル数組から女性2人組のほか、1人客もちらほらいる。ちょっとガラの悪い若者3人が気になったが、あかねが何より目を引いたのがカウンター後方奥で共用テーブルに座っている、左腕に女の子の人形を抱いた初老の男性であった。 あかねは初めての店内を興味深く観察しつつ、この奇妙な男性が気になって太郎に小さな声で囁いた。 「随分と個性的な方がいるわね」 「多様性が叫ばれる昨今であるからなあ」 確かに人形を抱いた男性と相席になった客たちは平然としていた。いや、装っていたとも言える。 「この店の中では違和感を感じない不思議さがあるな」 「白昼街中にいたらちょっと面食らうかも」 そこへマスターが注文を取りにやって来たので、プリンとコーヒーを2つ頼んだ。 カウンターの隣で並ぶ、常連と思しき男性と初来店と思しき女性の会話が時折あかねの耳に入ってくる。 「プリンに使うバニラビーンズ自家栽培してる説」 「え〜?バニラって栽培できるの?」 「卵も自家製、2階でニワトリを飼育してる説」 「何それ〜、ウケる」 「それほど素材の新鮮さを感じるってことですよ」 「そうなんだ、楽しみ〜」 こうした会話で時間を潰す者もいれば、壁がけの花の種類をスマホで調べているカップル、ちっちーのちをやるグループなどなど、皆思い思いに、プリンが届くまでの長い待ち時間を過ごしていた。 入店してから1時間以上は過ぎたであろうか、あかねはふと花の写真の入った額に目を止めた。写真ではなく額のガラス面に反射して映るもの。人形を抱いた男性がこちらをじっと見ているような気がしたのである。 太郎に小声で囁く。 「ね、ね、人形のおじさんこっち見てない?」 「気のせいでないか」 「いや絶対見てる、どうしよう」 振り向いて確認しようとした太郎を、あかねが慌てて制止する。 「刺激しちゃったらまずい、ダメだよ」 「考えすぎだって」 「やばい、やっぱ見てる」 「わかった、トイレ行くから」 と言って太郎は立ち上がった。 2人してトイレを探す体で周りを見たついでに、あかねは人形おじさんの方をチラッと伺う。 こちらの方は見ていなかった。 あら、気のせいだったか… 人形おじさんは絵本を読んでいた、女の子の人形に読み聞かせるかのように。 「この店の地下、実はシェルター説」 「ふふ、なぜそうなる?」 「シェルター内は秘密結社の本部説」 「何の活動してるんだか」 数分後、戻ってきた太郎が言った。 「どうだった?」 「確かに見てたような気がしたんだけどな」 「おじさんが?それとも女の子?」 「ちょっと!怖い事言わないでよ、もう」 「ごめんごめん。はいこれ」 「何これ?」 民間会社による保険案内のチラシだった。 〜未来に対する不安を解消しましょう〜 と大きな文字が躍っている。 「トイレの中にあった。ご自由にどうぞって。心配性のあかねに…いい機会だと思って」 これも【カマンカマーン】の名物だった。トイレ内に立て掛けた書類ケースに、常連たちが自由に広告や宣伝に関わるチラシなどを置くことが出来た。トイレを利用した客が興味のあるチラシを持っていくのである。 「何でまたトイレに…」 これもまた【カマンカマーン】の世界観にハマってゆく要素なのかと、あかねは思った。 「マスター実は3つ子で、3人で店をまわしてる説」 「ぷぷっ」 「マスター3つ子どころかクローン説で厨房一杯説」 「じゃあ何でこんなに待たされるんじゃい!まじウケる」 しばしの時間、チラシの内容を吟味するように読み込んでいたあかね。 「いろんな種類があるんだね」 「あかねは何か入ってるの」 「入ってないよ。入ろうとは常々思いつつも、なんか面倒くさくってそれっきり。太郎さんは?」 「……」 返答がなかったので太郎の方を見れば、神妙な面持ちであかねをジッと見つめている。 「どうしたの?」 しばらく黙ったままだったが、やがて口を開いた。 「…来年50になる」 「ついに大台かあ。ほんとあっという間だよね」 「何があってもおかしくない年齢だからさ」 「う、うん。だから何?」 「だから…保険入ろうかなって思ってる」 「ああ、どれ、何入りたいの?がん保険?傷害…」 「あかねを心配させたくないから」 「あ、うん。そうだよ。心配させないでよ、ビビリなんだから」 「…この先一緒になっても、もし俺に何かあっても大丈夫なようにと思って」 えっ、と一瞬声が出そうになった。 あかねの胸の奥底が徐々に熱くなっていく。 太郎と出会ってから幾度となく疼いていた胸のつかえ、その隙間から何かが芽生えてくるのを感じた。 「それってつまり…」 時刻は間もなく23時を回るところだった。 ガラの悪い若者の1人が席を立ち、マスターがいる厨房に向かって、 「すいませーん」と叫んだ。 声は明らかに苛立っていた。しかし厨房からは何の反応もない。 もう1度声をかけたがやはり反応はなく、若者は席へ戻り仲間に囁いた。 「いつまで待たせる気だよ、限度ってもんがあるだろうが」 依然として厨房からは物音一つ聞こえず、シン…と静まり返っていた。 「マスター実はアンドロイドで、プログラムで操作されてる説」 「何でやねん!」 「(小声で)後ろのおじさんが実は本当のマスター説、そして人形が真のオーナー説」 「ふっ、そろそろネタが尽きてきたんじゃないの〜」 「…今日は遅い日に当たっちゃったかもしれないです」 「そうなの?ひょっとして厨房で倒れてたりして…」 「マスターは不老不死説」 「まだ言うか〜」 「それってつまり…」 あかねがそう問いかけた時… 突然目の前が真っ白になった。 しばらくは何が起きたのか分からず混乱していたが、急に喉が苦しくなり激しく咳き込んだ。涙が滲む。隣の太郎も激しく咳き込んでいた。 火事?まさかテロ?いやいや… それにしてもこんな時に…せっかく太郎からプロポーズを受けたかもしれないのに何で?と、保険…入っとけば良かったな、火災保険?それとも…と、あれやこれやと思考が湧き出ていた。 これが死の瞬間?走馬灯だったっけ。 いや違うか… そう思いながらも白く霞む左右上下も分からぬ空間を、必死にすがるようにして手を彷徨わせる。 指先で壁に掛けてあった額に触れたような気がした。 バタバタと床に何かが落ちる音。 ああもうダメだ… そして、この世の終わりを覚悟した。 あかねが無事店の外に飛び出るまでのことは、断片的でよく憶えていなかった。 腕をグイッと引っぱられていく中で、方々から叫びや咳き込む声が聞こえたこと、逃げ惑う人やテーブル、足元の障害物にぶつかりながら転ばないよう必死であったこと。 今は店前の歩道にある花壇に腰を掛け、呼吸を落ち着かせていた。 店内にいた客たちは無事全員出ており、服をはたく者や呆然としている者などでごった返している。 マスターを中心にして何人かと話し込んでいた場所から、太郎が戻って来た。 そして、事の真相を説明してくれた。 それによると、待ちくたびれてイライラしていたのか、ガラの悪い若者の1人が消火器を足で何度も小突いていたそうだ。その消火器が倒れた拍子に誤動作でガス噴出、そして店内真っ白…以上。 常連の1人が一部始終目撃していたらしい。 当の若者たちの姿はこの場にはおらず、立ち去っていた。当然だろう、とんだ営業妨害を働いたのだから… 「ひどい目にあったな」 「もう死ぬかと思ったよ」 「よかった、無事で。本当に…」 太郎が心底ホッとした顔で言った。 そこまで心配してくれたんだと思うと、うれしくて涙が滲んだ。 歩道には保険のチラシが落ちている。逃げ惑う者たちに踏まれしわくちゃになっていた。 〜未来に対する不安を解消しましょう〜 の文字がかろうじて読み取ることが出来た。 「まったく一寸先は闇…いや一寸先は白い…か」 「お、うまいこと言うな。だいぶ落ち着いてきて何よりだ」 「一瞬、我が人生を諦めたよ…助けてくれてありがとう」 隣で寄り添うように座った太郎を見つめる。 「ここで、あかねを失うわけにはいかないから…」 そう言って、太郎があかねをギュッと抱きしめる。 太郎に抱かれながらあかねは思った。このままこの人とずっと一緒になれるんだ…未来の明るいきざしに包み込まれ、夢心地の心境だった。 店は臨時閉店となり、客たちは次第に解散していなくなっていく。 太郎の胸の中で、あかねは穏やかな声を聞いた。 「結局、プリン食べれなかったな」 「うん。そだね、また来ようね」 その後終電に間に合う事に気づいた2人は、足早に駅へ向かった。 去ってゆく2人を、人形を抱いた初老の男性が見つめている。 男性が女の子の人形にそっと話しかけた。 「彼女、気づくだろうか」 “うん、きづくよ“ 「そうかそうか」 “いろいろあるけど、なんとかへいき“ 「お前がそう言うなら安心だよ」 “ただ、しばらくはかなしいときがつづきそう。つらいだろうな“ 「そうかそうか、でも彼女はまだ若い。いくらでもやり直しはきくだろう。何とか乗り越えてほしいね」 “うん“ あかねたちが見えなくなるまで見送ると、反対方向へ歩きだし、やがて闇の中へ霞んでいった。 その日の夜更けに帰宅したあかねは、小さな額がバッグに入っていることに気づいた。 あっ【カマンカマーン】の… あの騒動の中、何かの拍子にバッグの中へ入ってしまったんだろうかと振り返る。 額に入った写真には白い花が写っていた。下にお辞儀するように垂れ下がっている可憐な花。 お店に返さないと… それにしてもきれいな花ね。後で調べてみよっと… 早速【カマンカマーン】へ行く口実が出来たと思うと、あかねは心弾んだ。 もちろん太郎と一緒に。
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