勿忘草が今日も咲いてた

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 私の祖父はとても立派な人だった。若い頃に志した政治家というものを長年続けたが、世間で言うその職業とはかなり違う。田舎町の市議会議員で実力などは有って誠実を売りにしていた。  順調そのもので長年その職に携わって、人気もあって市議どころか市長や国会議員よりもこの街では有名だった。望めばそのくらいの地位になれただろう。しかし、祖父はそれ望まなかった。  地元の為に働く。その一心で更に普通の会社員が定年を迎える歳になるときっぱりと引退をした。もちろん祖父の息子で有る私の父などに継がせることもなかった。  父もその家族、そして私も今年就職をしたが、そこに祖父のコネクションはない。確かに家柄で勝ち取ったということは有るが、祖父からお願いしたことなんてない。だから一般的な職業でもあった。  そのくらいに祖父は真面目な人だった。  引退してからはのんびりと夫婦で過ごそうと思っていた。しかし、その時になって祖父の人生に暗雲が立ち込めた。祖母の病気だった。  重い病気を患った祖母は祖父の献身的な介護を受け、三年という闘病生活の上、亡くなった。楽隠居の期間としてはとても僅かと言える。  まだ病気だった頃は良かった。まだ六十代と若く祖母もそれほど弱ってなく、祖父や私を含めて家族で楽しい時間も過ごせた。 「あいつはどこに居る」  最近祖父が良く言う言葉。まだ痴呆というには若すぎる。けれど、それも有り得ない事ではない。  元々祖父は「ボケないため」なんて笑いながら日ごろから気を付けて、簡単な計算問題を解いたり、テレビのお笑い番組なんかを見て日々笑っていた。それは祖母と共に。  正直孫の私から見たら不思議な風景とも言えた。祖父は真面目な人だった。それは世間からの評価もそして家族からしても間違っていない。しかし、一方で家族には厳しい人で特に祖母とは若い頃から良く喧嘩をしていた。  小さな事で言い合いをしては子供の様に拗ねてしまう。その割にいつの間にか仲直りをして、また喧嘩をしていた。とても喧嘩の多い夫婦だった。  けれど、祖母が病気をして特に最期に近づいた時には、黙って二人手を繋いでずっと一緒に居たりをしていた。祖母と仲良くしている祖父は私の記憶にはあまりない。  祖母が亡くなって、祖父はまた違う人間になったようだった。  元々真面目だからボケ防止はもちろん、引退しても街の困りごとを引き受けて居たりもした。それが亡くなってからは家で静かにしている事が多い。テレビを見るでも、本を読むでも、無く。ただボーっと庭を眺めていた。  家の庭はきれいに整えられているが、それはガーデニングの好きだった祖母が作った庭で、最近はそれを母が受け継いで手入れをしている。広く小さな青い花が春先から夏前に咲く。その花は夏を越せないで枯れてしまうが、勝手に種を残して次の年にはまた花を咲かせていた。  その青い花を祖父が眺めて「あいつは?」と祖母のことを探している。  こんな事を言うようになったのは、私の就職が決まった頃になる。祖母が亡くなって三か月が過ぎ、家族もその悲しみを忘れようとしていた頃。 「おじいちゃん、久しぶり。これからはまた一緒だよ」  大学が遠方だったからそれまでは会えなかったけれど、就職先は地元を選んだ。それで家に帰ることになったとある休みの時、私が家に帰ると、 「そうか。だったらあいつが喜ぶな」  祖父が「あいつ」と呼ぶのは祖母のことだった。亡くなった祖母が喜ぶのだろうと「うん。そうだね」と私が返事をした次の言葉だった。 「そう言えば、あいつはどこに居るんだ?」  誰もが冗談かと思った。そのくらいに祖父がおかしな事を言うのが信じられないかったんだ。 「親父、あいつって誰のことだよ。俺か? なら居るじゃないか」  祖父が馴れ馴れしく呼ぶとしたら、実の息子の父しかいないと、父は冗談に答えるように返事をしていた。 「お前じゃない。母さんはどうしたんだ」  父の子供のころは祖父はまだ祖母のことを母さんと呼んでいた。それで父もハッとしていた。それでも父は祖父がボケたなんて思わないから考えていた。 「この子の母さんなら俺の嫁だよ。不思議なことを言うなよ」  ちょっとその時にはもう父は怒っている雰囲気を醸していた。それに対して馬鹿にされた祖父は更に怒った。 「母さんだよ。お前はなにを言っているんだ!」  ハキハキと声量もある声で話していたので、これは本当にどうかしていると父も観念したようで、ひと呼吸置くと穏やかに話した。 「お母さんは亡くなっただろ」  その瞬間に祖父は涙を流し始めた。 「どうしてだ。どうしてそんなことになった」  泣きながら父の肩を掴んで蹲ってしまった。それからはどう機嫌を直させたのかもわからないが、家族みんなでとにかく明るい話題を勧めるようにした。  そんな祖父の発言はそれからも続いている。父はその度に祖父にきちんと説明をして、祖母が最期は皆と祖父に感謝をしながら穏やかに息を引き取ったあの頃の様子を教えている。  けれど、祖父の言動は私が家に帰ってからもまだ続いている。もう父も疲れてしまって祖父はボケてしまったと言うようになり、病院で診察も受けた。  その時にはまだ仕事も始まらない暇な私も同席したが、祖父はとても痴呆とは思えない。痴呆のテストをすると私たちよりもしっかりしているくらい。もちろん普段だって祖母が亡くなった事以外はしっかりしていて、今でも議員くらいは続けられそう。  そして、医師からは痴呆ではないが、一部で記憶が定かではなく、祖母が亡くなった事に関しては忘れているのだろうととの事だった。  まだ六十代の祖父なのだから痴呆老人と言えない。普段はあの真面目な祖父なのだから。  世間ではそんな風に思われない。きちんとした物応えをしていてもやはり祖父は祖母の死を忘れていて、それは他人の前でもそうだった。なので、もう立派な地元の名士ではなくボケ老人と呼ばれるようになってしまった。 「君のおじいさんも立派な人だったのに残念な事だ」  私の就職した会社でもそんな過去の人のように言われる。私自身これは気分が良くない。言い返したいところだけれど、間違ってもないからそれができないところは辛いんだ。祖父は今でも素敵な人なのに。  そしてそれは私だけでなくて父も言われている様で、とある日にふとグチを言うように「親父を馬鹿にされると寂しいな」とつぶやいていたのを聞いた。その時の父は本当に寂しそうに話していたので、息子である本人が一番辛いのだろうと思っていた。  祖父はそんな事も知らないで度々祖母が亡くなった事を忘れて、私たちに聞いたりしていた。もう、私や母は適当に聞き流すことが多くなったけれど、父はそうではなかった。祖父は家の外でもそんな事を語るので、どうにか本人に自覚させようと話の度に真実を教えている。  その度に祖父は悲しみに包まれていた。毎回泣いている訳ではなかったけれど、そんなことも少なくはない。その姿を見ているのも私としては辛くなるばかりだった。 「後援会の人たちが久しぶりに集まろうと言うらしい。皆でどうだ?」  痴呆老人と揶揄する人は少なくないが、それでも祖父はまだ人気がある人でもあった。届いた知らせは別になんの利益も含まない、ただ祖父の事を応援していた人たちが集まるので主賓として祖父を呼びたいとのことだった。そんな席には家族も呼ばれる事もある。だから祖父は私たちにも声をかけていた。  子供の時なら理由もなく断っていた。そのくらい祖父は気にしない人だったので。しかし、世代も違っている。祖父はあくまで引退した人間。そんな人が今は寂しく家族にも相手にされてない雰囲気を作るのは良くないのかと思う。だから断りにくいので私は黙っていた。 「そうだな。家族みんなで出席させてもらおう」  答えたのは父だった。こちらも普段なら強制もさせない人だが、それは今はなかった。別に断る理由もないので私は普通に頷く。そんな皆の姿を見ると祖父はちょっとうれしそうだ。祖父が主役の舞台で家族が居るというのはやはりうれしいのだろう。  しかし、祖父がその返事の電話をするために部屋から離れると、 「またおかしな事を言われても敵わないからな。皆で注意しないと」  微笑ましい家族の風景はなかった。父は世間体を考えている様な話し方をしている。確かにまた祖母の事を公で言い始めると面倒と言える。そうは思ったけれど、なんだか気が進まない。  私の思いがどうであれ、日々は当然に進んで祖父のパーティーの日が訪れた。久しぶりの政治家の家族という印象があって、私たちもゲストのはずだが、当日は幹事を働かせないように動いていた。まあ、これは昔の名残なのだろう。  祖父は昔馴染みの人たちに挨拶をしている。なんだか現役のころに戻ったようだ。年齢的にはまだ現役でもおかしくはない。そんな人だから立派に思えていた。  形式ばった会ではなくてあくまで同窓会のように、との建前があった。一般人の集まる食事会で政治家は関係ない。だから和やかにも進んでそれでも祖父が挨拶する段階に進む。 「懐かしくも有りながら今も献身的に活動をしている方が私のために集まってくれて申し訳が無い」  軽い演説なんてとても引退しているなんて思えないくらいに簡単に進め話し始めていた。 「本日は私の家族もみんな集まって」  祖父の言葉はそこで詰まった。私たち家族の居るほうを見ている。当然良くない予想が付いていた。 「おい。あいつはどこに居るんだ?」  始まってしまった。私たち家族はもうどう言う状況か理解をしていた。特に父は「こんな時に」と独り言ちていた。  そうまた祖父は祖母が亡くなったことを忘れてしまっている。父に対して祖母の事を聞いていたのだ。  なので父は若干怒りを表しながら祖父のほうへ向かう。他の客たちも祖父がボケた噂を知っているので本当だったのかとざわついていた。祖父が笑われている気がして私は良い気分ではなかった。父が怒ることも良くない。  私は祖父の元に向かう父と追い越して、祖父へと向かう。自分よりも急いで進む私の姿に父も驚きながらも自らが怒らないで良いならと足を進めなかった。支障もなく祖父の元にたどり着く。祖父のほうは答えが聞けるなら誰でも良い様子で待っていた。 「おばあちゃんはお友達と旅行でしょ」  嘘をついた。その時に父が怒りの表情をしているのが解る。 「そう、だったか。あいつも旅行が好きだったからな。皆様すみません。妻はお友達と旅行をしているので今日は不在ですが、孫がしっかりと育って私も安心です」  祖父の挨拶はそれから順調に続いた。集まった人たちも祖母のことまでは気にしていない。しかし、嘘なんていつまでも良い方向には進まない。私が祖父の元から戻ると父が怒っている。 「嘘なんて解決にならないぞ」  人前なのであからさまにはしてないがかなりご立腹の様子だったが、横から母が、 「この子にも考えが有るんだろうから、任せなさい」  と言うので取り合えず私に任されることになった。問題はこれから。祖父が居なくなったところで集まった人たちに私の思惑を説明しなければならない。  その時はほどなく訪れた。祖父が一度タバコ休憩だと会場から離れた。もちろん私はこの機会にさっきの事を説明しようと思った。 「先ほどは失礼しました。残念ながら祖父は祖母の亡くなった事を時折忘れてしまいます。しかし、今はそれを許してください。本人もショックなんだと思います。こちらの勝手ではありますが、また祖父の中で祖母が亡くならない様に、嘘にお付き合いくださいませ」  私が考えたのはこういう事からだった。祖父は祖母の死を再確認する度に悲しみを背負っている。亡くなった事を知らせたらまた祖母が亡くなった悲しみを新たに受けてしまう。それでは可哀想すぎる。愛していた人を亡くす悲しみなんて一度でも辛い。だからこの嘘なんだ。  恐らくはまた祖父は祖母が亡くなった事を忘れるだろう。庭に植えられた小さな青い花のように毎年植え替えをしなくても勝手に花を咲かせるように蘇る。祖母が居る平穏な世界に戻ってしまう。ならそこで生きているのも悪くはないだろう。  奇妙とも言える私の説明に人々は戸惑っていたのだが、誰かが拍手をしてくれると段々とそれは広がった。皆が祖父の事を思ってくれている人たちなのだから、祖父のためなら嘘なんていとわない。  戻った祖父はそれから祖母の事を気にする様子でもなかった。本当に祖母は旅行で居ないと信じているのかもしれない。それでも良い。この日のパーティーは問題を残さずに終わった。  まだあの日から祖父は祖母の死を忘れることは有った。しかし、そんな時は私や母が嘘をついた。そして、元は納得してなかった様な父もそのうちに嘘をつくようになった。これが平和な方法なのかはわからない。  一年が過ぎようとしている。祖母の一周忌の事を祖父以外の家族で話していた。 「あいつの一周忌を考えないとな」  最近は祖母の事も聞くことも少なくなっていた祖父が急にそんな風に言う。てっきり家族みんなが祖父は忘れて嘘に騙されているのだろうと思っていた。 「おじいちゃん、忘れてないの?」 「自分の連れ合いの命日なんて忘れないよ」  なんだか騙されているのは私たちのほうのような気がする。でも、祖父はそんな気は無いだろう。祖母の死を受け止めることができただけなのかもしれない。もう忘れないできちんと向き合えている。庭に花は今日も揺れていた。 「覚えてるなら別にそれで良い」  取り合えずこんな時が訪れるのならあの時の嘘も悪くないと今なら良い切れるから。 おわり
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