僕の特別な時間と運命的な楽しみ

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 我がホンダビートはF1マシンのように運転席の直ぐ後ろにエンジンがある。それを見るにはエンジンルームカバーを外さないといけない。それを外すにはリアシールド(幌の後ろの部分)も外さないといけないのでエンジンを見ようとすると、とても面倒だ。なのでリビルトエンジンに乗せ換えた後、それを見るべくリアシールドを外してからエンジンルームカバーを外した時、リアシールドを外さないでもエンジンを見れるようエンジンルームカバーを外した儘、リアシールドを装着した。  よって本来、エンジンルームカバーの上に敷く遮音且つ遮熱用マットだけを介してエンジン音を聴くことが出来、前のくたびれたエンジンとは違ってメカニカルノイズがなくなり、本来のクリーンなエンジン音をダイレクトに楽しめるようになったからまるでバイクを運転しているような感覚でドライブを楽しめ、オープンにすれば猶更だ。  一般のドライバーにとってはとても煩く感じるだろうが、僕にとっては最高に良い感じだ。何せ、60年代の古き良きホンダF1ミュージックをビートに求め、あそこまで甲高い、魂の叫びのような音は出ないにしてもビートは僕の要求に十分応えてくれ、3000回転を過ぎると、フォーンという高周波の音が響き出し、レッドゾーンの8500回転までビートの利いた音の迫力を増して行きながら軽く回る感覚は正にバイクそのもの。オープンにすれば、猶の事、バイクそのものになり、僕的にはF1マシンそのものになる。F1の技術を踏襲した3連スロットルボディのお陰と吸排気系がチューンしてあるのと本田宗一郎の息吹がかかってるからだろう、まるで魔法の仕業かと思える程、不思議な位、好い音がするのだ。トンネルの中を走る時なぞはムチャクチャ響くから本当に60年代のホンダF1マシンみたいな快音を奏でる。  公道でも持て余すことなく性能をフルに発揮でき、オープンエアーも気持ち良くて嗚呼、なんと楽しい車だろう。でも、僕はビートが理解のない好奇の眼で見られる車だと分かっているし、とても人目を気にする質なので車がほとんど走っていない早朝しか走れない。その方が空いていて思い切り走らせられるから都合が良いという事もあって早朝しか走らない。  明け方は当然ながら静けさが漂っており、エンジン音も排気音もクリアーに響くからそれも僕には好都合なのだ。リビルトエンジンの慣らし運転が終わってエンジンオイルもオイルフィルターも代えたことだしと調子に乗ってぶん回す。どうせ、この世の中、無茶苦茶になるんだ。地球温暖化も糞もあるものか、今の内に楽しんどけとばかりに、実際、この期に及んでも危機感を持てず糞の自民党を支持するこんな世の中、どうにでもなれとばかりに・・・殊に岸田のポスターが張ってある通りなぞを走った日には、お前ら好い加減目を覚ませと言わんばかりにエキゾーストノートを炸裂させ、撒き散らす。で、エンジンもタイヤも温まった頃には時に1965年のメキシコグランプリでホンダに初の栄冠を齎したRA272を駆るリッチー・ギンサーになった気分でドライブすることが出来、そんな時に鳥肌を立てながらシフトチェンジを上手く決めてコーナーをスリリングに駆け抜けると、高揚と興奮と熱狂がマックスに達して心臓をどきどきさせている自分に気づく。僕に与えられた特別な時間。巡り巡って出来上がった運命的な楽しみ、それも束の間の事、日陰者らしく朝日が眩しくなる頃、僕はビルトインガレージの家に帰るのである。
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