青紫のしるべ

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 6月も終わろうという頃のことだった。委員会の用事があり、帰途に着くのが少し遅くなった。校門を抜け、緑の葉を茂らせた桜の木が両側に連なる坂道のカーブを曲がりきると、20メートほどの距離を隔てた先に見覚えのある背中があった。私は少し早足になって、その背中との距離を半分ぐらいに縮めた。  つかず離れずという状態を保ちながら、坂を下りきる。それほど栄えてはいないが、坂の下には商店街が続いている。閉め切ったシャッタ―の合間合間に灯りが見える。パン屋の先はしばらく空き店舗が続いていて、ようやく左手に八百屋と、それから右手には花屋が見える。  先生は急に、その花屋の前で立ち止まったからドキッとした。私の足は、反射的に止まっていた。  先生は腰をかがめて店先の鉢植えを丹念に眺め始めた。このまま進めば、挨拶をしないわけにはいかないが、考えてみれば、先生と1対1で挨拶をする場面は、これまでに一度もなかったのだ……。  先生は何クラスも受け持っているのだから、いちいち生徒の顏なんか覚えていないかもしれない。でも、制服を見れば、自分の高校の生徒だということはすぐにわかるわけだから、挨拶をしても不審がられることはないだろう。  いや、……不審がられることはだろうって?  もはや、挨拶をしたいのか、したくないのか、それすらもよくわからなくなっていたが、どうしてなんだろう、仮にこれが他の先生だったなら、こんなに屁理屈を唱える必要性もなかったはずで……。  とにかく、お世話になっている先生なのだから、生徒として挨拶ぐらいして当然なのだ。何をそんなにドキドキすることがある!  私は自分にそう言い聞かせると、まごつきながらもようやく、小さな一歩を踏み出した。
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