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もう少し。あと少し。
もう10歩、いや、8歩ぐらいかな?
先生の輪郭が見る見るうちに大きくなる。比例するように高鳴る鼓動。
お父さんが生きていれば49歳。先生は56歳。お父さんよりも7歳お兄さんだ。でも、もしもうちのお父さんとお母さんの結婚がもう少し遅かったら……お父さんが56歳ってことだってあるわけで。
そこまで考えて、あっと思った。
何かが少しだけ違っていたら、少しずつ人生の歯車がずれていって……。
だとしたら、あの事故だってなかったのかもしれず……。
荒唐無稽な妄想を振り払うように、うつむき加減に小さくかぶりを振る。
視界に見え隠れする青紫色の花びら。
「これ、お願いします」
落ち着きのある先生の声を聞きながら、視界の隅で白い鉢植えを持ち上げるその手を捉える。
いつもはチョークの粉で真っ白になっている指先が、今は肌色そのものだ。
そうこうしているうちに、ついに先生の背中と私の右肩が並んだ。
「さ……」
あろうことか、絞り出した声がつかえてしまった。
気を取り直して、もう一回。
「さよ・・・・・・」
「ありがとうございます!」
威勢のいい女性店員の声が被さってきて、私の声はすっかり飲み込まれてしまった。
そのはずだった――
けれども、私の耳には確かに、「さようなら」という先生の声が届いていたのだ。
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