青紫のしるべ

8/8
前へ
/8ページ
次へ
 好美の新居は私たちが通っていた高校のすぐそばだった。彼女の家を後にした私は、思うところがあって、駅までの道を少し遠回りして帰ることにした。  アジサイの咲き誇る、目になじみのある公園の角を曲がると、11年前に通学路として使っていた一本道に差しかかった。夕陽の滲むアスファルトのうえを進んで行くと、見覚えのある建物と全く記憶にない建物とが混在している不思議な街並みが広がっていた。  確かあのあたりのはずだったが……。  建物は見当たらなかった。  古いアパートだったのだから、そういうこともあるだろうと覚悟はしていた。私は見定めるように目を凝らしながら、ゆっくりと足を進めて行く。  近づいていくにつれ、胸が打ち震えるような感じがしてきて、何だが不思議だった。その感覚は、高校3年の頃、花屋の前に立つ岩倉先生に接近して行くときの高揚感にとてもよく似ていた。  緑色の金網は錆びれてくたくたになっていたが、確かに、高さといい形状といい、道路とアパートの庭を仕切っていたものに間違いなかった。  敷地は、建物がない分、当時よりもかなり広く感じられる。  道路から敷地へと続くコンクリートの短い階段は所々崩れかかってはいたが、階段としての機能は果たせる程度に残っていた。  半階分あがると、そこにあったはずの集合ポストも無論なくなっていて、高さのあるものといえば、土地の隅にのびている、朽ちた実をつけた琵琶の木ぐらいしかなかった。  ひょうたん型をしていたはずの池に水はなく、すっかり土や雑草に埋もれ、その輪郭を失っていた。  何もかも色あせてしまったような、セピア色の風景だったが、ただひとつだけ、私の目を引くものがあった。季節野菜が育っていたその場所だけが、まるで他の場所から切り取られたみたいに青紫色に染まっていたのだ。  夕暮れ時の風にそよぐ花の群れ。  この場所に私たちの小さな暮らしがあったことの(あかし)のように、ひっそりとそれらは咲いていた。〈了〉
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加