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ミッション・職員・トイレッシブル
4時間目──
俺は額に脂汗をびっしりかいていた。
別に授業が難しいからじゃない。
腹がめちゃめちゃに痛いのだ。
「──ということで、ここで因数分解して…」
教師がなんか言っているが、もはや授業内容なんか全く頭に入ってこない。
そもそも因数分解なんて将来なんの役に立つん──
きゅ〜きゅぴぴぴ!
俺の腹が限界を感じて非常アラートを鳴らした。
「ふうん〜!うん!うん!」
俺は授業で相槌を打ってる風にして、自分の腹の音を誤魔化した。
「なんだー?せがれ。お前もそう思うか。」
「──だから先生はギターよりもベースの方が渋くてモテるんじゃないかって思ったんだけど…」
コイツはコイツでなんの話をしてるんだ。
不可抗力でベース派ということになってしまったが、そんなことは些末な問題だった。
もう俺の腹は限界だった。
「先生、ちょっとトイレ行ってきます…」
生まれたての子鹿のように内股で脚をプルプルさせながら廊下へのドアに向かう。
「…で、結局シンセサイザーに落ち着いたわけなんだけど……」
後ろからどうでもいい話の続きが聞こえる。
そろそろと廊下に出ると、同じタイミングで出てきた二つの影があった。
ハットリとたむけんだった。
二人とも生まれたて子鹿スタイルをとっている。
お互いがお互いの姿を観て思う。
ブルータスお前もか──
ぷるぷるしながらとりあえず合流する。
昼休みの時間が迫っていた。
このままトイレの個室に駆け込むと、ヤンチャな生徒に個室に入っているところを見つかり、不名誉なあだ名を賜る可能性大だった。
何かいい方法は無いものか…
その時ハットリが口を開いた。
「前に遅刻した時…こっそり職員用のトイレに忍び込んだことがある…
あそこなら昼休みでも生徒は寄り付かない筈だ…
しかもウォシュレットに音姫、便座シートと消臭用のスプレーとなんでもござれだ…」
マジで何やってんだコイツ。
「生徒の方のトイレには何も無いってのに許せねえな!」
たむけんは変なところに噛みついている。
とにかく時間が無かった。
「じゃあとりあえず職員トイレ目指そうぜ」
俺が提案し、二人もそれに賛同した。
──今ここに三国同盟が結ばれた。
当たり前だが職員トイレは職員用であり、生徒が使ってはいけない。
しかも授業時間中であり、3人でコソコソしているのを先生にでも見つかったら、説教は免れないだろう。
そうなれば色んな意味でゲームオーバーだ。
エデンを目指し、3人でソロソロと進む。
無駄に置いてある無駄にデカい鏡の前をこそこそと歩く。
そこには生まれたて子鹿ポーズを取った男子高校生3人が並んでいた。
その姿はまさに駄目キャッツアイといった感じだ。
そこの角を曲がれば、職員用トイレだ──
「しっ!」
先行するハットリが俺とたむけんを手で制した。
びっくりした衝撃で危うく大惨事になるところだった。
「ぴっ!」
たむけんが変な声を上げる。
大丈夫かコイツ。
角からこっそりと覗くと、学年主任が廊下に突っ立っている。
壁にポスターを貼っているようだ。
その奥に職員トイレが見える。
あと少しなのに…
貼り終わるのを待つか?
その問いに対して、俺の腹は「キュ〜〜」と明確な拒絶の意を示した。
どうする、どうする。
頭をフル回転させる。
やっぱり大事な時に因数分解なんて役に立たねえじゃねえか。
「俺が…」
「俺が囮になる」
さっき「ぴっ!」と変な声を出したっきり、押し黙っていたたむけんが口を開いた。
「でもお前は…お前はどうするんだよ!」
たむけんに問いかける。
たむけんは不思議なほど穏やかな顔をしていた。
まるで全て終わったかのような…
……
……俺とハットリは全てを察し、黙ってうなづいた。
たむけんは威風堂々と学年主任に近づいて行く。
その背中は普段の何倍も大きく見えた。
たむけんの意志を無駄にはしない…
俺とハットリはたむけんが気をひいてくれている内に、無事職員トイレに辿り着くことが出来た。
ちなみに授業時間中に堂々と生徒に話しかけられた学年主任は死ぬほどびっくりしていた。
……
放課後会ったたむけんは下だけジャージになっていた。
上下ジャージにしろよ──
そんな風に思ったが、何も言えなかった。
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